プロフェッショナル・ゼミ

住めば都? 東京から下関に帰って10年になりました《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:安光伸江(プロフェショナル・ゼミ)
 
平成20年9月8日、私は東京から下関に帰ってきた。
この原稿の締め切り日でちょうど10年になる。プロフェッショナルゼミの最終期・最終原稿だ。この区切りのいい日にあたるのも何かの縁かもしれない。
 
大学進学で上京して以来、ずっと東京にいた。
進みたかった音楽大学に、大学卒業と同時に入学した。
でも実はその前にうつ病を発症していた。失恋が原因だったように思う。
 
音楽の修行は、うつ病との闘いでもあった。
ピアノの置けない下宿に4年間住んでから音楽学校に行ったので、ピアノをほんとに基礎からやり直すことになった。それでもピアニストになった。
 
演奏活動もした。一流の音楽家の伴奏もした。オケの中でも弾いた。
ソルフェージュを受験生に教える仕事もした。
母校の助手の仕事もした。
そして別の音大で非常勤講師としてソルフェージュやキーボーとハーモニーを教えた。
 
今から思えば何が不満だったんだろうと思わないでもないけれども
当時はうつ病をやり過ごしながらやっとこさで働いていて、満足感はあまり得られなかった。
 
好きな人に振り向いてもらえず結婚できなかったこと
非常勤講師のままで専任になれなかったこと
収入が少なくてずっと親に援助してもらっていたこと
 
それはまぁ表面的にはダメダメなことだけれども
 
今から思えば、たったそれだけのことではないか、という気もする。
 
一人で強く生きている人だっているじゃないか
収入が少なくてもうまくやりくりして自活している人だっているじゃないか
 
なんでずっとうつ病なんだろう私
 
そして、うまくやり過ごして教える仕事ができていたのに、うつ病の発作みたいなのを起こし、それ以来うまくいかなくなった。なんとか持ち直そうとしたけれども、夏休み中にもどんどん悪くなっていった。
 
ダメだ。
もう間に合わない。
授業、できない。
 
9月に入って授業開始1週間前になった時、休職を決めて学校に連絡した。実家にも「動けない」と泣きついた。父が新幹線でとんできた。
 
父が大家さんと話をして、東京の住まいを引き上げることを決めた。私も学校側も、数ヶ月休んでまた仕事に復帰する、ということを考えていたから、青天の霹靂だった。
 
長いことしがみついていた東京を離れる。
 
私がしていたのは東京でないとやりにくい仕事だったから、東京にいるのが誇りだった。ちょっと田舎の練馬といっても23区だ。純粋な都会じゃないけど、東京だ。
 
東京にいる、ということが、私の生きる望みのすべてだった。
 
だから、東京を離れて下関に帰ることになり、荷物の多い部屋を1週間以内で片付けて引っ越すことに決まった時、私はパニックを起こした。
 
荷物の片付けはほとんど父がやってくれた。
だがいろいろな手続きは私がやらないといけない。
 
幸い、郵便局の本局や、練馬区役所が徒歩数分のところにあったので、公的な手続きはわりと簡単にすんだ。これが遠くに行かないといけなかったら、私の病状からしてとてもできなかったに違いない。
 
クリニックに行って診断書をもらい、大学に提出し
区役所で転出届を出し、住民税の残りも全額払い
郵便局で転送の手続きをし
スポーツクラブ、3カ所に個人ロッカーを借りていたから、その解約手続きなどをし
 
今となっては、よくできたなぁと思う。
 
私が出かけている間、父は黙々と本の束を作っていた。大量にある楽譜は「まだ捨てたくない」と死守したのだが、その他の書籍類、特にため込んだ語学関連の本はほとんどすべて捨てることにしたのだ。
 
何十年も住んでいた部屋なので、本当に本当に荷物が多かった。引っ越し業者には、大きな荷物はほとんど捨てるように頼んだのだけど、本は処分できないということで、資源ゴミに出すことにした。こんな一度に出したらほんとはいけないんだけど、資源ゴミの日は朝の5時から父と二人で黙々と運んだ。ひもが手に食い込んだ。うちの集積所は6時頃に謎の業者がが~~~~っと本をさらっていくので、それを狙って5時から出したのだ。練馬区のホンモノのゴミ収集の人が持って行くんだったら怒られちゃったかもしれない量だった。
 
そんなこんなで9月の8日を迎えた。朝からめっちゃ緊張していた。
引っ越しの○○のおにぃさんたちは、仕事が速かった。詰め込みをするおねぇさんも、ばばばばばばばばばっと箱に楽譜をぶち込んでいく。
 
はやっ
 
私はもはやぼ~っとしているので、いろんな手続きは父が全部した。必要なお金は私の口座から自分でおろしてきてあったけど、それを払うのも父がした。
私の名前でサインも父がした。
 
そしてピアノの引き取りも来て
 
予定より早く、昼過ぎに中野駅から電車に乗った。練馬から中野まではバスで行く予定だったけど、大家さんの娘さんが車に乗せてくれた。
 
ぼ~~
 
帰りの新幹線の中でも私はぼ~っとしていた。
今、何してるの、私は帰るの、と父に聞いた覚えがある。
 
東京を離れる悔しさとむなしさと、将来への絶望と
 
そんなことを思った10年前だった。
 
そして下関で病院にもかかれることになり、老いた両親との3人暮らしが始まった。最初のうちは何かといってはパニックを起こし、両親を困らせた。家のことも何もできなかった。
 
そんなこんなでどん底の状態で下関に帰ってきたけれども
 
翌年末にはうちから徒歩数分のところに「ゆめシティ」というショッピングセンターができた。昔は田んぼだった田舎の中に突然都会ができた。
 
練馬にいた頃は、駅まで10分くらいかかっていた。スーパーはいくつもあったけどなぜか駅ビルのスーパーが好きで、買い物はそこまでいっていた。区役所は駅に行く途中にあったので近かったけど、ゆめシティは練馬の家から区役所までくらいの距離だろうか。近い。かなり、近い。これまで下関の我が家の周りには歩いて気軽に買い物に行けるところはなく、父が車で買い出しに出ていた。母は心筋梗塞の既往症があるせいもあって買い物は父の仕事だった。
 
ゆめシティができてからも、父が車をやめるまで買い出しは父の仕事で、私は何もしていなかった。病院に送っていってもらった帰りに途中でおろしてもらってゆめシティにお茶しに行くのが楽しみだった。ゆめシティが近くにあるのは、東京にいる頃よりよっぽど都会暮らしをしている感じだ。
 
そして病院の帰りに父が駐車場で人の車にぶつけるという事故を起こし、車をやめることになった。もう老齢だからしょうがない。それからは私も買い物に出るようになった。特に、米の買い出しは、ガラガラをひいて私が行くようになった。
 
そうこうするうちに母の具合が悪くなった。圧迫骨折を起こしてほとんど歩けなくなったのだ。買い物にはもともと行かなかったけど庭いじりが好きだった母が、まったく外に出なくなった。さらに調理は母の担当だったのが、台所に立てなくなった。これはまずい。私は料理が苦手でほとんどできないので、朝ご飯に鮭を焼いて卵焼きを作り、昼は両親がパンを食べ、夜はゆめシティのお惣菜で食べることになった。米は母と私の二人がかりで研いでいた。洗濯は父の分は父がして、母と私とみんなのタオルは私が洗った。
 
少しずつ、少しずつ、私のご用が増えていった。今まで長いこと何もできなかったけど、ちょっと役に立っているような充実感もあった。両親が二人で食べている時「伸江がいてくれてほんとによかったのぉ」と父が言ってくれたのを聞いて、ちょっとだけうれしかった。
 
そしたら今度は父が急逝した。出先で転んでアタマを打ったのだ。くも膜下出血を起こしたとかなんとかいう話も聞いたけどよくわからない。アタマがふらっとしたから転んだのか、転んだからアタマを打って出血したのか、本当のところは今となってはわからない。ともかく父は苦しまずに死んだ。
 
兄が来て
親戚が出入りするようになって
 
母の介護申請をしなくちゃねという話にもなって
 
母と二人の暮らしをなんとかかんとかこなしていた。
 
そうこうするうちに今度は私の乳がんが発覚した。
 
母を別の病院に預けて、私は手術を受けた。私が退院してから1ヶ月ほどして母も帰ってきた。入院中に審査があり、介護認定は今度は2になったそうだ。
 
訪問介護の人が来るようになり
私ひとりで全部背負わなくていいんだと思うようになり
いろいろ相談できるようになって少し安心した。
 
母の通院もあり、私の抗がん剤などの化学療法もあり、精神科の病院にも歩いて通院し、病院と買い物とお茶する以外はほとんどごろごろしていた。
 
そして
 
母が吐くようになり、訪問もしてくれる先生に主治医を変える手続きをする途中、ショートステイに入れ、病院に入れろということになり、検査したらがんがみつかった。その後あっという間に緩和ケア病棟で亡くなった。
 
母を病院に入れた時につらくてつらくて、精神科の看護師さんと話をしたら、先生にかけあってくれて訪問看護を入れてもらえることになった。今まで母のケアばかりに気をとられていたけど、私の話を聞いてもらえる。私のケアをしてもらえる。それがむちゃくちゃうれしかったことを覚えている。
 
母を往診してくれた先生が、グリーフケアも必要だよ、とうちのケアマネにおっしゃってたらしい。私のために、誰か行ってあげた方がいい、と言っていたらしい。幸い、私は精神科にかかっていたから、訪問看護の制度でその「グリーフケア」も受けられた。救われた。
 
自分ががんになった時もそうだ。がんになると、うつを起こす人も多いという。でも私は先にうつ病患者だったから、先生にいろいろ相談できた。乳腺外科の主治医と、精神科の主治医と、ふたりの先生にがっちり支えてもらっている感じがする。だから治療にも前向きに取り組める気がする。
 
だから、うつ病でいるのはいやだけど、悪いことばかりでもないなと思った。
人間万事塞翁が馬、とでも言おうか。
 
東京から帰ってきて10年。
10年生きてみて
 
まぁ……生きててよかったかもな、と思っている。
 
私が下関に帰る前、実家に電話すると「最期の10年くらい親のめんどう見てもバチはあたらんよ」と母に言われていたけれど、ほぼ10年一緒に暮らして、十分ではないにしろ介護もして、最期の呼吸がとまる瞬間には間に合わなかったけれどもまがりなりにも看取りもできて、
 
よかったのかもしれないな
 
と思っている。
 
まだうつ病は完治してないし、乳がんも今のところ再発・転移はないとはいえいつどうなるかわからないし、仕事ができているわけじゃないから、安心というわけにはいかないけれども
 
親が遺してくれた家に住み、なにがしかの遺産で食べているので、結局自分の力では生きてないのだけれども
 
それでも生きていてよかったのかもしれないな、と
 
生きている時も、死んでからも、両親は私を守ってくれているのだな、と
 
しみじみ思う、帰省10周年記念日。
 
親と暮らし始めた時はいろいろぶつかったし、父とは最後までよくけんかしたけど、それでも一緒に暮らせてよかったんだろうなぁと思う。
 
たぶんまだ働ける可能性はあると思うから、これからしっかりがんばろう。
近所の人たちとも仲良く暮らそう。
 
うちの母は甘えん坊で、私と離れているのがさみしくて、帰ってこい帰ってこいとことあるごとに言っていた。
 
親元を離れている皆さん
 
ときどきは、家に電話してあげるとか、顔を見せてあげるとか、しておくといいと思うよ! そして、お葬式はどんな風にしてほしいとか、死んだ後どんな供養をしてほしいとか、もし話せるなら話しておいた方がいい。
 
私はあまり聞けなかったけど、親の小さい頃の話とか、聞いておくといい。
 
私はもう、聞けなくなっちゃったけど……。
 
先日、東大病院救急部長だった先生の「人は死なない」という本を読んだ。その先生の本を続けて何冊も読んだ。人の肉体は死ぬけど、魂はずっと続いていく、というのだ。だからうちの両親もきっと、きっと、私を見守っていてくれるのだと思う。
 
そして次の10年、もし乳がんを超えて生きられたら
 
その頃には自分の力で食べられるようになっていたいな!
 
でもね、早くお父さんお母さんのところに行きたい気も、ちょっとするよ
帰っておいで、ってあんなに言っていたママ
早くこっちにおいで、って言わないかとちょっと心配。
 
うちの親はもう死んじゃったけど、親御さんが生きているあなたは
 
どうか
 
大事にしてあげてください。
いっぱい話をしてください。
 
下関に帰って10年
両親も亡くなり
 
私の代講をしてくださった先生も
私が非常勤になるときに推薦してくださった先生も
同僚で大変お世話になった先生も
 
私より先に、病気などで亡くなられた。
なのに、私はまだ、生きている。
 
親やいろんな方に感謝して、残された命を、大切にしたい。
 
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