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プロフェッショナル・ゼミ

非常事態を経て、わたしは自分の人生をちゃんと生きようと思った。《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:たけしま まりは(プロフェッショナル・ゼミ)
 
「元から借金ぐせのある人だったんだけど、私がついてないとあの人はダメになるからって言ってママはパパと結婚したのさ」
北海道で大きな地震が起きた。東京在住のわたしはたまたま北海道の実家に帰省していて地震に遭った。今年78歳になったばぁちゃんが「こんな大きな地震は生まれて初めて」と言うくらいの前代未聞な事態のさなかに、わたしは生まれて初めてママとパパの馴れ初めをばぁちゃんから聞いている。
 
ママとパパはわたしが6歳のときに離婚した。離婚の話はそれとなくママから聞かされていたけれどはっきり覚えていない。離婚の理由はパパの借金、しかも結婚する前からわかっていたことらしいから、ママはいわゆるダメンズと一緒になってしまったらしい。子どもができたからパパは心を入れ替えて……ということには残念ながらならなかった。
ずっと気になってはいたのだが、改めて本人に聞く勇気もなかったのでばぁちゃんから馴れ初めと離婚の理由を聞いて「そうだったんだ」と積年の疑問が解消される。けれどママの「女」の部分を知ってむずがゆい気持ちにもなる。ママはマメなタイプだからなぁ。その後ママは2、3人の男性とお付き合いをし、10年前にいまのパートナーに落ち着き山梨県で一緒にのんびり暮らしている。
 
しかしなんでこんな話になったんだろう。ただいまうちは停電中だ。日が暮れる前に夜ごはんを済ませちゃおう! と言っていたのに日の入り時刻を勘違いして「いただきます」と言ったときには完全に日が暮れていた。ろうそくを灯してごはんを食べる。これから怖い話でも始まるのかな? という雰囲気。そしてばぁちゃんが話す内容はいろんな意味で怖い。
前から聞きたかったから聞けて良かったんだけれども、べつに今じゃなくても。こんなに長い停電は初めてで、今までにない非常事態だからばぁちゃんが「最期にこれだけは話しておきたい」って思ったのかなぁ。ものすごく不謹慎なことを思いながらサッポロクラシックのロング缶をあけて飲む。帰省用に自分で買ってきたビールだ。ばぁちゃんは飲まないし、ぬるくなる前に飲みたかった。ビールはまだ冷えていて、おいしかった。地震と停電で昂ぶっていた神経が少しだけ落ち着いた。
 
非常事態は人間の本性をむきだしにする。
9月6日の深夜3時過ぎに大きな揺れで飛び起きた。揺れも怖かったがなにより怖かったのは音だ。緊急地震速報のアラーム、家がミシミシとしなる不吉な音、ガタガタガタと家中のものが騒ぎ、心拍数をぐんと跳ね上げさせる。寝起きだから頭がぼぉっとしていて身体が思うように動かない。そのころばぁちゃんも飛び起きてとっさに玄関のドアを開けたりテレビをつけたりお祈りをしたりしてあちこち動き回っていた。ばぁちゃんの身のこなしには感心した。わたしは何もできなかった。
しばらくして揺れがおさまったので寝室からリビングへ移動しNHKを見る。津波の心配はありません。あぁ良かった。震源地は苫小牧の方らしい。苫小牧に親戚のおじさんがいる。大丈夫だろうかと思いながらママにラインで「無事です」とだけ送る。すごく大きな揺れだったけれど、幸いなことに家具も家電も倒れなかった。ばぁちゃんの無事も目で確認できた。ばぁちゃんは一人暮らしだ。たまたま帰省していて本当に良かった。ホッと一息ついた数分後に電気が消えた。あ、停電、と思ったけれど家族と家の無事を確認したらなぜかもう大丈夫だろうと思ってふたたび寝室に戻って寝た。夜中だったし、帰省の移動疲れが溜まってとにかく寝たかったのだ。今のうちにできることはないかなんて一ミリも考えなかった。どこまでも自己中心。わたしの悪い癖がむきだしになった。
 
とは言え神経が昂ぶっていたのでなかなか寝つけなかったのだが、無理やり目をつぶって2時間ほど眠り、6時過ぎに起きた。
朝日がまぶしかった。天気は快晴、北海道特有の湿気のない気候に9月の気温はちょうどよく、そよそよと吹く風が心地よくて電気が無くても生きていけそうな気がした。そういえば、ここは自給自足の生活をする家族の日常を描いたドラマが大ヒットした場所だ。停電でリアル「北の国から」状態になってしまったとは言えうちは自給自足じゃない。テレビが映らない、携帯の充電ができない、お湯が湧かずお風呂に入れないのはやっぱり困る。これから断水するかもしれないからお風呂に水をはる。断水したらトイレは最悪外でしよう。家の庭のあの茂みなら誰にも見られないだろう。などと考えたがありがたいことに断水にはならなかった。わたしたちの生活は電気と水で支えられていることを身に染みて感じた。
 
簡単に朝ごはんをすませた後、わたしはばぁちゃんができないことをやろうと思った。
スマホでの情報収集。ばぁちゃんはガラケーだ。わたしはスマホのモバイルバッテリーを持っているのでしばらくは大丈夫。と言いつつ職場や友人からのラインに返信をし、SNSをチェックしていたらあっという間に1時間以上経ってしまった。いくら省エネモードに切り替えたとは言え使いすぎた。気を取り直してあれこれ検索すると、どうやら北海道全域で停電になっているらしい。手先が急に冷える。こんなこと、今までないよ。
拡散されていた旭川市防災の公式ツイッターによると道内の停電の復旧の見込みはないとのこと。「復旧の見込みはない」という文字を目にして、頭をガツンと殴られたようなショックを受けた。本当にどうなるかわからないんだ。パニックになるからしばらくばぁちゃんには言わないでおこうと思った。
 
わたしの地元には防災無線が流れる受信機が一家に一台設置されている。人口5000人ほどのちいさな町なのでふだんは町民のお悔やみや町の行事案内が流れたりするのだが、今日はずっと沈黙している。きっと役場にも確実な情報が入らないのだろう。わたし自身、ネットで手に入れられた確かな情報は「停電復旧の見込みなし」だけだった。
 
天気が良くて、適温で風も気持ちよくて、畑もあるから当分食べものにも困らない。それなのに電気と情報がないだけでこんなにストレスになるなんて。
ばぁちゃんは地震直後から起きっぱなしだ。あれこれ動き回りつつ、ガラケーで隣町の親戚や友人らとひっきりなしに連絡を取り合っている。しばらくその様子を眺め、ハッとして「ばぁちゃん、わたしのスマホ使いなぁ!」と叫んだ。ばぁちゃんのガラケーの充電器はコンセント式だ。いつ電気が復旧するかわからないのでばぁちゃんのガラケーは使わないようにし、わたしのスマホでママや親戚と電話をしてもらうことにした。道外にいるママにはテレビの情報収集をお願いした。
電話がつながるのは不幸中の幸いだった。7年前の東日本大震災のときに東京で就活中だったわたしは数日間家族と連絡がとれなかった。災害時にまわりに知っている人がいない、連絡が取れないストレスはわたしをじりじり追い詰めた。非常時だから仕方ないと理解しつつも居ても立っても居られない。あのときの不安を思い出し、通話ができる環境に心から感謝した。
 
その後もしばらくスマホで情報収集を続けたが、雑多な情報が雨のように降り注ぎ、自分にとって必要かそうでないのかを振り分けるだけで疲れてしまった。そもそもわたしは何の情報を集めるべきなのかあまり考えていなかった。整理された情報を待とう、情報収集はママに任せてわたしは連絡係につとめようと思い、ツイッターでうちのまわりの様子をつぶやいてスマホを見るのをやめた。結局わたしはほとんど役に立っていない。その後も新たな情報は入らず、停電状態のまま夜を迎えた。
 
暗がりの食卓での会話はママの離婚話からばぁちゃんの再婚話に移った。
ばぁちゃんは「ばぁちゃん」になってからも恋をした。ばぁちゃんは52歳で夫と死別し、その後勤め先の老人ホームで再婚相手と出会う。籍は入れず内縁のまま、老人ホームを退所し実家で同居を始めた。その数ヶ月後にママはパパと別れわたしを連れて実家へ出戻りした。
わたしの本当のおじぃちゃんはわたしが2歳のときに亡くなったため、10年以上一緒に暮らした義理のおじぃちゃんの方がわたしにとって思い出深い。
「じぃちゃんは足が不自由なだけで頭はしっかりしているし、ほとんど自分でなんでもできる人だったんだよ。ばぁちゃんはじぃちゃんに毎日新聞を届けてあげたのがきっかけでじぃちゃんと仲良くなって、それでじぃちゃんの面倒を見てあげようって自然に思ったのさ〜」
気恥ずかしいのか、上ずった声でばぁちゃんは思い出を語る。義理のおじぃちゃんも8年前に亡くなったので、思い出を語り終えるとどこかさみしい気持ちになった。わたしはばぁちゃんの話を聞きながら、当たり前だがママにはママの、ばぁちゃんにはばぁちゃんの人生があったのだなぁと思った。ママはわたしのママである以前にトシエだったし、ばぁちゃんはチエだった。一時期だけママやばぁちゃんの役割に集中していたが、その後トシエとして、チエとしての人生を再開しているのだ。
 
ばぁちゃんは言葉にはしなかったけれど、わたしはばぁちゃんとママの話のなかに「あんたも自分の人生を生きなさい」というメッセージが込められているように感じた。
わたしのわがままな性格のせいでそう都合よく受け取ってしまうのかもしれないが、夫との死別や離婚を経て第2、第3の人生をたくましく歩んでいるふたりを見ているとついそう思ってしまう。ふたりはたくさんの困難に遭いながらも人生の手綱はちゃんと自分で持っている。そんなふたりの生き様をそばで見てきたわたしは、自分の人生の手綱をちゃんと引けているだろうか。
 
地震が起きたとき、わたしは「このまま死にたくない」と思った。結婚とか、子どもとか、自分の将来設計とか、ライティングとか、志半ばにしていることがあまりにも多すぎる。災害はいつ起きるかわからない。東日本大震災の痛ましい不幸が頭をよぎる。わたしたちは人間の力ではどうにもできない不条理を抱えながら、心残りをできるかぎり減らして生きていかなきゃいけない。やりたいことをとことんやって生きていかなきゃいけないのだ。わたしは暗がりのなかでそう実感し、胸に刻もうと強く思った。
 
実家の停電は幸いにも地震から一日で復旧した。地震から2日後に帰る予定だったわたしは予定通り東京に戻ることができた。東京は蒸し暑いけれど天気がよく、着陸後に空を見上げてお天道様に感謝した。
夕方に自宅に戻り、溜まった新聞を整理してようやく北海道地震の被害の全容を知った。震源地付近の土砂崩れがひどく、家が潰れて亡くなられた方がいることを知り胸が痛む。北海道地震の数日前にあった関西での台風の被害も甚大で、被害に遭われた方の日常が早く戻りますように、と強く祈った。荷物を片付けながら家にある保存食品や消耗品をひとまとめにした簡易的な防災カバンをつくり、記録用に今日の新聞も入れた。いままで災害への備えをちゃんとしていなかったことを反省した。防災カバンをつくり終えたところで北海道帰省の疲れがどっときて、わたしは倒れるように眠った。
 
今回の地震を経験して、わたしは自分のやりたいことをやりながらわたしに関わった人に「安心」を与えられる人になりたいと思った。実家ではほぼ役に立たなかったが、少なくともばぁちゃんのそばにいて、ばぁちゃんの話を聞いて相づちをうったことでばぁちゃんの不安を少しばかり取りのぞけたのではないかと思う。これからの人生においても、ばぁちゃんやママを心配させないとか、まわりに迷惑をかけないとか、できる範囲で人に優しくするとかささいなことしか思いつかないけれど、まわりの人の不安を少しでも取りのぞけるような人でありたい。
 
停電した日の夜空はきれいな星空が広がっていた。隣家からも歓声があがり、景色と声の明るさに癒されたのを覚えている。星空に例えるのはおこがましいかもしれないが、わたしも人にほぉっと安堵の息を吐かせるような、そういう人になりたいと思った。
 
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