「自分らしさ教」の信仰に疲れた時に見るべき日本画の透明さ〜東山魁夷展にあてて〜
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:水峰愛(ライティング・ゼミ木曜コース)
上京してきた母と、六本木で待ち合わせた。
待ち合わせたというより、呼び出されたのだ。母は、日本画家・東山魁夷のファンで、大規模な展覧会が東京で開催されるからつきあってくれと頼まれた時は、本当のところ、少し億劫だった。
第一に、私は六本木が苦手だ。簡単に言えば、この街に対して、軽度のアレルギーを持っている。
私のように内省的な人間は、そもそも派手で豪奢な文化が横行する(らしい)この街には受け入れられないような負い目を感じているし、ここに集まる人々もまた、生きる上で大切にしていることとか、承認欲求の方向性が私とはまるでちがう、異人種であるというイメージを勝手に抱いていたからだ。
第二に、東山魁夷に対して、思い入れがない。
風景画の巨匠ということくらいは知っているけれど、それくらいの印象しか持っていなかった。つまり私の人生とは関係のない、たくさんの偉人のうちの一人だ。
だから、混み合った休日の六本木まで、興味の無い画家の展覧会に赴くというのは、今年還暦の母の頼みがなければ絶対に起こさない行動だった。
それなのに家を出て2時間後、国立新美術館のトイレで、私は泣いていた。
鏡に向かって一心不乱に化粧をする中国人観光客の隣で、真っ赤な目をして鼻を啜りながら、何度も思い出し泣きを堪え、肩を震わせていた。
一体何があったのか。
六本木が苦手と言いつつ、いや、苦手だからこそ、この街に負けない装いが必要だと思ったのかもしれない。いつもより洋服やアクセサリー選びに慎重になっている自分には気づいていた。
真剣にクローゼットを点検している時、漫画を読んでいた夫が、へらへらと話しかけてきた。
「お、パリにでも行くんかな」
夫は生粋の関西人である。気取ったことや格好つけたことを見つけるや否や、光の速さで茶化してくることに定評のある、あの人種である。
確かに、「六本木」というワードに力んで、頑張っていることを悟られない為に頑張ることは全然クールじゃなかったけれど、鏡の前に立った私は、じつに自分らしいファッションに身を包んでいて、そのことは私に自信を与えてくれた。赤い口紅が似合っていることに満足し、そして余裕たっぷりに夫に言い放った。
「六本木へ行くの」
夫は、一瞬顔を上げ、そして「ははぁ!」と、大げさな返事をし、そしてどうでもよさそうに、また漫画に没頭した。
その日は晴れていて、国立新美術館は大勢の人々で賑わっていた。
母と同世代の年配のお客さんが多かったけれど、同世代くらいのカップルや、美大生らしき若者も散見された。
画家の経歴について、私は何も知らない。
だから、年代ごとに区分して展示された作品の冒頭に掲示されたパネルを、ひとつずつ読みながら進むことにした。
それは、「描くことは祈ることです」という画家の言葉で始まった。
戦争の前後に家族と家を立て続けに失ったこと、そのどん底の時に感じた自然のたくましい輝きに感化され、新しい気持ちで描き上げた作品で大きく世に認められたこと、有名になってからも謙虚な気持ちで創作を続け、怠惰になりそうな自分を戒める為に、寒さの厳しい北欧へ渡ったこと、写生へ出かけることも難しくなった晩年は、心象風景の描写へ移行していったこと。
彼の作品自体は、メディアで何度も目にしたことがある。
しかし、実物を目にすると、その迫力に圧倒された。青色の使い方と、静寂の表現がとても美しくて、引き込まれた。
描かれた風景ごとに「ここに行ってみたい」と強く思ったし、同時に、そこに立って清らかな空気を吸い、心が研ぎ澄まされてゆくかのような疑似体験をさせる力もあった。
しかしそれ以上に、どの絵も静かで平明で誠実でありながら、胸を掴まれるような痛切さが漂っていると感じたのは私だけか。それは、画面を通した形では、決して伝わったことのない生々しい質感だった。
「描くことは祈ることです」
その言葉が、ずっと引っかかっていた。
彼は、一体何を祈っていたのだろう?
そう思いながら、鑑賞を進めたけれど、最後のコーナーに差し掛かるまで、答えは分からなかった。
「描くことは『祈り』であり、それであるならば、そこにどれだけの心を籠められたかが問題で、上手い下手はどうでもいいことなのだと思い至る。信じがたいことではあるが、これまでずっと自分には才能がないと思い続けていた画家は、ようやく自分が描き続けることの意味を悟り、価値を見出すことができたのだ」
晩年の作品を展示した最後のパネルの冒頭には、こうあった。
自分には才能がない。描く意味が見出せていない。
そんな風に彼は思っていたのか。世に認められてからも、ずっと。
衝撃的だった。
そして、なぜか一気に「わかった」気がした。
彼の絵に込められた気迫の正体が。そしてずっと私に疑問を投げかけていた「祈り」の意味が。
気がつくと、ぽたぽたと涙が溢れていた。
「祈る」という行為は、シンプルでありながら、複雑な精神性を示すことがあると思う。
必ずしも具体的な内容と対象があるとは限らない。
また、「祈る」という行為は、原初的でありながら、普遍的でもある。
いつの世も、限界に直面した人間に残された最後の方法だからだ。
つまり、画家は、「祈るしかない」から、祈っていた。
そして、それは、「描くしかない」から描いていたことと同義でもある。
富と地位と名声を手にし、生前から画壇に名を残すであろうことを誰も疑わなかった才人は、人知れずずっとその切実な瀬戸際に立ちながら、絵を描き続けていた。
祈りの内容を言葉にするのはやはりとても難しいのだけれど、自分に生きる力を与えてくれた自然と、絵を描くことに対する深い畏れのようなものなのではなかったかと思う。
芸術表現というのは、「自分らしさ探し」の極致だと思っていた。
エゴを積み重ねて、他と差別化しつつ、洗練させてゆくもの。そんな風に解釈していた。
しかし、東山魁夷は、モチーフである自然に対し、徹底的なまでに裸だ。エゴを削ぎ落として、余計な主張を加えず、自然の風景が持つ美しさだけを透明な眼差しで見つめ続けた結果、
それが彼の唯一無二の「らしさ」になった。
そして心を裸にした人間の最たる力は、それに対峙した人間の心もまた裸にすることではないか。
私は、図らずも、六本木のまんなかで裸にされてしまった。
あんなに一生懸命、洋服を選び、アクセサリーを選び、「街に負けない自分らしい装い」に満足していたその自意識を、ひとりの天才によってまっさらに漂白されてしまった。
なんて清々しい体験だろう、そしてなんて尊い体験だろう。
一緒に行った母は、私よりもずいぶん早くに見終わり、ケーキを食べてコーヒーを飲んでいた。だから、皆が皆、こんなカタルシスを体験するわけではないらしい。それは、皆が皆、私ほどのエゴにまみれているわけではないからだろう。
しかし、「自分らしさ」について考え疲れ、ピュアな心に戻りたいと思ったことのある、ひとりでも多くの人に、是非見に行ってほしい。
季節は、思ったよりも早く過ぎてしまうよ。
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