涙の味が変わるとき
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:町田和弥(ライティング・ゼミ平日コース)
「献杯」
僕はむりやり日本酒を飲みこむ……
二十歳の僕には、受け入れがたい、からくて苦い味でした。
はじめて経験する家族の死……
その涙は、大人になってはじめて飲んだお酒のように、受け入れがたい、からくて苦い味でした。
おじいちゃんとのたくさんの思い出が涙になってあふれてくるのです。
無口だったおじいちゃん……
だけど、シャイな僕も無口だから、
お互い気が合って、一緒によくお出かけをしていました。
夏休み、おじいちゃんの家にお泊りをした次の日の朝、
近所のタバコ屋へ、競馬新聞を買いに行くおじいちゃんについていくと、
おじいちゃんは競馬新聞と
駄菓子の「チョコバット」を手に取り、
レジに向かいます。
タバコ屋を出ると、おじいちゃんは無言で、
「チョコバット」を僕にくれるのです。
パン生地にチョコレートをコーティングしたスティック状の駄菓子、チョコバット……
「うまい!」
僕はおじいちゃんが大好きでした。
その夜、仕事帰りの父親もおじいちゃんの家に合流し、
家族みんなでご飯を食べていると、
たわいもないことで、僕は父親とケンカをして、泣いていました。
ケンカなんてしたくなかったのに……
飲みたくもない、苦くてまずい粉薬のような涙。
泣いている僕をおじいちゃんは、外に連れ出してくれて、
トボトボと歩く僕の手をひいて、家の近所を一緒にお散歩してくれました。
おじいちゃんはあいかわらず、無口だったけれど、
一緒にいるだけで、ホッとするような優しさを僕は感じていました。
おじいちゃんがくれた優しさを、
僕は、チョコバットを食べるたびに思い出します。
僕の気持ちをホッとさせてくれるチョコの甘さは、
まるで、一緒にいるだけで、ホッとする優しいおじいちゃん。
チョコでコーティングされたパン生地のように、
僕の涙をやさしく包み込んでくれる優しいおじいちゃん。
夏の夜の暖かい空気は、
何も言わないのに一緒にいるだけで、ホッとするような優しさをくれるおじいちゃん。
僕の涙は、いつのまにかチョコの味。
チョコバットの甘さが、
夏の夜の暖かい空気が、
おじいちゃんとの思い出が、涙の味を変えたのです。
おじいちゃんが死んで、僕はチョコレートがはがされたパン生地になった気分でした。
日本酒のようにからくて苦い涙を、チョコの味にしてくれる人はもういないのです。
チョコレートのように甘くて優しいおじいちゃん。
おじいちゃんロスで、甘いサワーに走った大学時代。
働いてみて、はじめてわかったビールのおいしさ。
上司と飲んだ焼酎のお湯割りの暖かさ。
日本酒のおいしさを初めて知った30歳。
お酒と共にいろんな出会いがありました。
大学時代、夜遅くまで実験をして、一緒に勉強をした仲間たち。
彼らと飲んだカシスオレンジは、青春の味。
新卒時代、夜勤や休日出勤で残業は月80時間。
みんなで汗をかいて一生懸命モノづくりに取り組んで、
仕事終わりに、みんなで飲むビールは、苦くてしょっぱい汗の味。
仕事では、よく叱られたけど、いつも気にかけてくれた上司との思い出。
僕の成長を暖かく見守ってくれた上司と飲んだ焼酎のお湯割りは、親の味。
お互い、三十路を過ぎていろいろあったねと
幼なじみの友達と思い出話をしながら味わう熱燗は、友の味。
チョコバットの甘さが、
夏の夜の暖かい空気が、
やさしいおじいちゃんとの思い出があふれたから、
僕は、おじいちゃんのお葬式でからくて苦い涙があふれたけれど、
からくて苦かった日本酒を、とても美味しく飲めるいま、
おじいちゃんの死をようやく受け入れることができたように思います。
おじいちゃんがいなくなって、ぽっかりと空いた穴を埋めるように、さまざまな味が僕の心の空腹を満たしてくれたからです。
おじいちゃんが僕の心を満たしてくれたように、
お酒の味が、僕の心を満たしてくれたのは、
出会った人たちとの思い出が、物語になって、僕の心を動かしたからでしょう。
青春や汗や、親心や友情が年輪のように重なって、大きな幹になるように、ひとつひとつの物語が僕の心を強く支えてくれたのです。
そして、その物語には、まさに成長して変わってゆく人生の味わいが含まれているのです。
そして、涙の味が変わったいま、僕もおじいちゃんのように、大切な人をチョコレートで包み込むことができる優しい人になりたいのです。大切な人の心にぽっかりと空いている穴を埋めることができる暖かい人になりたいのです。
チョコバットをあてに、日本酒を飲もう。
「おじいちゃんに、献杯」
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