ペットのクオリティ・オブ・ライフと私のエゴ
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記事:岡田ゆり子(イティング・ゼミ日曜コース)
「この子泣いてるのかな?涙が出てるみたい」
車の後部座席に座っている小学三年生の娘が、ケージの中にいる三毛猫の方を覗き込んでいる。
「車に乗せられて不安なのかな?家についたら可愛がってあげようね」
車を運転しながら、私はバックミラー越しに娘に答えた。その時ただの涙か目やにだと思っていたその体液が、死につながる病の前兆だったとは考えも及ばなかった。
その日、我が家は保護猫のシェルターから、メスの保護猫を二匹を家族に迎え入れた。我が家にとって待望のペットで、生後五ヶ月の愛くるしい子猫達だった。
翌日、その三毛猫(ミケと命名)の目の分泌液は糊のように固まって瞼を開けることすらできなくなっていた。相方のハチワレ(ハチと命名)の方も目やにが出ていたため、私は二匹を連れて動物病院に行った。
病院では子猫にはよくあるウイルス性の風邪と診断された。ハチは治療のおかげで少しづつ回復していったが、ミケは風邪の症状をぶり返し、いつも何かしら具合が悪く、毎週のように病院に連れて行かなくてはならなかった。一ヶ月後のある日、ミケがキャットフードに全く手を付けていないことに気が付いた。慌てて病院に連れて行くと、いつもおおらかなかかりつけの獣医が真剣な顔つきで、ここでは対応できないからすぐ救急病院に連れて行くようにと私を急き立てた。私は急に不安を覚えた。
その日の夕方、救急病院を受診して薬を処方されたが、ミケの様態は良くなるどころか悪化するばかりだった。さらなる検査の結果、ミケはFIP(猫伝染性腹膜炎
)またはリンパ腫を発症していて、どちらにしても治療法がなく、余命は一週間から数週間と獣医から告げられたのだ。同時に私は対処的な治療を継続させるか、安楽死させるかの選択を迫られた。
「安楽死」
私はその言葉を聞いて思考が停止した。聞いたこともない病気を理解するのにも時間がかかるのに、元気ではないけれど、まだ生きている動物に対して、どうしてそんなに安易に安楽死というオプションを獣医が提示してくるのかが信じられなかった。それに、私というような分際が、子猫を安楽死させる、つまり自然に反して動物の寿命を決めることができるのだろうかと。
ここアメリカでは、ペットの安楽死の話を日常的に耳にする。私はそれに対していつも疑問を感じていた。ペットはおもちゃではない。ペットは家族の一員なのだから、最後まで看取るのが当然で、それが飼い主の責任なんじゃないかと。だから私自身、その責任を負う心の準備ができず、ペットを飼うことを長い間躊躇してきたのは事実だ。
とはいえ、少しだけでも長く生きながらえさせるために対処的な処置を続けるにしても、経済的に裕福とは言えない我が家が、保険が効かないペットの医療費をどこまで支払い続けることができるのか正直不安だった。その時点ですでに支払った二匹の治療費の総額が3000ドル(約31万円)を超えていたのだ。私は獣医にそれらの思いを率直にぶつけた。
獣医は、今すぐ安楽死を選ぶことができないならば、今はミケが幸せだったと思えるように自宅で一緒に時間をすごしたらどうか。ミケが苦しそうならば安楽死を考えてはどうかと提案した。私は獣医の提案を受け入れて、その日は安楽死を選ばず、ミケを病院から引取って自宅に連れて帰った。
数日後、ミケは何度かひきつけを起こした。呼吸も苦しそうで、ぐったりしていた。日に日に成長するハチとは対称的に、ミケは骨と皮だけになり、一ヶ月半前に我が家に来たときよりも一回り小さくなっていた。
私は獣医からミケの安楽死の選択を迫られて以来、毎日インターネットでペットの安楽死についてリサーチした。安楽死は悪で無責任な飼い主のすること。私の頭の中にはそれしかなかった。しかし、いろいろな記事を読むうちに私は気がついた。私が安楽死を拒否する理由は、ミケを失いたくない、少しでも長く生きながらえてほしいという自分勝手なエゴではないのかと。現在は人の安楽死が認められていない国の方が多い。だがもしも自分がミケの立場で安楽死の選択を与えられたとしたらどうするだろうか。苦しむだけで助かる見込みがないのなら、私なら早くこの苦しみから逃れたいと思うような気がした。このときから、私の安楽死に対する考え方が少しづつ変わっていった。これ以上、ミケに苦しんでほしくない。ミケを楽にさせてあげたいと。
私は義理の姉に付き添ってもらって動物病院に向かった。彼女が受付を済ませると、すぐ診察室に連れていかれた。担当の獣医は診察すらせず、安楽死のための様々な手続きを取った。私は看護師から言われるがままに、痩せて小さくなったミケを毛布にくるんで抱きかかえた。
「肺機能を止める薬剤の後、心臓の動きを止める薬剤を注射します。
進めてよろしいですね?」
獣医が私に確認する。あくまでも最後の決断を下すのは飼い主の私なのだ。
「私の決断は正しいのでしょうか」
私はゆっくり獣医に確認する。少しでも死の瞬間を遅らせるかのように。
「正しいのですよ」
私の質問を最後まで聞かずに獣医はそう答えた。
「うちに来てくれてありがとうね。大好きだよ」
私は最後にミケに気持ちを告げると、獣医に薬剤を入れてもらうように指示をした。まもなくして小さなうちの子は、苦しむことなく私の腕の中で眠るように安らかに息を引き取った。私の決断が正しかったのだかどうかは今でもわからない。ただ、六ヶ月と言う短い時間だったが、ミケの人生が幸せだったことを願がって止まない。
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