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メディアグランプリ

最後に「ごめんなさい」と言ったのは……


 
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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(記事:大石 達也 ライティング・ゼミ日曜コース)
 
「ごめんなさい」
謝罪の気持ちを伝えるためのシンプルな6文字。
大人になり私は、この言葉を耳に、そして口にすることがほとんどなくなった。
詫びの気持ちを伝える際、耳にするのは取り繕った空虚な言葉ばかり。
 
しかし、あなたも薄々気付いているだろう。
それらの言葉に心は宿らない。
このシンプルな言葉にこそ、心が宿るということに。
そして、自分もこの言葉を発することができなくなってしまっているということに。
 
「誠に申し訳ございませんでした」
「遺憾の意を示すと共に心よりお詫び申し上げます」
 
頭が深く下げられ、無数のフラッシュが巻き起こる。
連日行われる謝罪会見。
この文章を読むあなたも、恐らくそれなりの数を目にしてきたことだろう。
少し、それらを思い返してみてほしい。
それらの中で心に残っているものは果たしていくつあるだろうか。
 
もはや星の数ほど存在する謝罪会見。
私の心にはほんの一握りしか残っていなかった。
もちろんどれもしっかりと謝罪は行っている。
しかし、そのほとんどに心が宿っていないように感じてしまうのだ。
 
それもそのはず。
社会人となった私たちが謝罪の言葉に心は宿すことは、そうそう容易ではない。
 
私たちは大人になるにつれ、様々なことを学び、様々なものを得る。
立場、権利、人間関係、プライド……。
日々の社会生活の助けとなり、私たちが社会人たることを証明するこれらの要素。
 
これらは謝罪の際、大いに足枷になり得るものだ。
直接手をくだしたわけではない、しかし立場上の責任者が、謝罪に心から向かうことへの難易度の高さは想像に難くない。
また、関係各位に迷惑をかけられない、無様な姿は見せられない。そんな意識で臨む謝罪は心を宿すことはできないだろう。
 
これはもっと小さな「謝る」というレベルにおいても同様だ。
日常の些細な指摘、車のクラクション、会社での説教。
自分が悪い場合でも先ほど挙げた要素が邪魔をし、どこか素直に謝れない自分がいる。
誰もが思い当たる節があるはずだ。
 
このように日々の中で、真に心のこもった謝罪を耳に、そして口にすることは非常に稀だ。
 
しかし、私たちは不思議と謝罪に心の有無を感じることはできる。
それは、私たちがかつて本当のそれを「知って」いたことの証明に他ならないのではないだろうか。
 
思い返してみれば、かつて私もそれを「体感」したことがある。
それは実に3歳の頃だった。
ガキ大将のゆうくん。太っちょで鈍い私はいつも、ゆうくんにいじめられていた。
ある日、ゆうくんは僕の大切なカードをとって逃げる。
慌ててゆうくんを追いかける私。そこで私は大いに転んでしまうのであった。
 
膝をすりむき大声で泣く私。
それを見てオロオロするゆうくん。そんなゆうくんの口から出たのが次の言葉だ。
 
「ごめんなさぁい!」
 
ゆうくんも泣いた。大声で泣いた。
そして、その言葉は純粋そのものだった。
私を泣かせてしまった罪悪感そのものから生まれた言葉。
何の他意もない、謝罪の心のみが込められた言葉。
 
その時、私はゆうくんの心をしっかりと感じることができたのだろう。
カードは返してもらい、がっちり握手した。
翌日からは何もなかったかのようにゆうくんと遊ぶようになった。
もっとも、ゆうくんがガキ大将であることは変わらなかったが……。
どこか少しだけ優しくなったような気もする。
 
何ということはない公園での出来事だが、今でも私は鮮明に覚えている。
星の数ほど存在する謝罪会見より、この体験の印象のほうが勝っていた。
それはまさに心がこもっていたからであろう。
このような体験は誰もが一度はしたことがあるのではないだろうか。
 
学べば、学ぶほど能力や知識は増えていく。
明日の自分は今日の自分よりできることが増えていく。
学んでいる最中はそのように考えがちだ。
しかし「素直に謝る能力」は幼い頃の私たちのほうが数段上だった。
少なくとも私はそう考えている。
 
学びの機会は「能力の拡充」のみではなく、時に「能力の取捨選択」をもたらすことがある。
社会人生活における学びの機会は私たちから、「素直に謝る能力」を奪ってしまったようだ。
 
あの時、素直に謝ることができていたら……。
そのような後悔はそれなりに重ねてきた。
素直に謝っていれば、失われなかった機会もあっただろう。
 
現に素直に謝ったゆうくんと私は仲直りをすることができた。
あれから20年以上経った今でも、時々飲みにいくような大切な友人だ。
 
子どもが何かやらかした時、「ごめんなさいって言いなさい」と大人は言う。
自分はしっかりと言えるだろうか。
最後に「ごめんなさい」と言えたのはいつだろうか。
それは、遠い記憶のように思えてならない。
 
かつては発していたこの言葉。
理屈では分かっていても言えなくなるということは何とも不思議なことだ。
取り繕った言葉で謝罪することも大事だが、時には勇気を振り絞って言ってみる必要があるかもしれない。
かつてのように「ごめんなさい」と。
 
 
 
 
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2019-09-05 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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