昭和の母が、飄々とした子供に教えられたこと《週刊 READING LIFE vol,105 おためごかし 》
記事:神谷玲衣(READING LIFE 編集部ライターズ倶楽部)
「キンドルの中身の本は、本屋さんで買えるのですか?」
その問いに驚いて、声を発した中年の校長の目を思わず覗き込むが、冗談を言っているわけではなさそうなことに、美恵子は深い絶望を覚えた。
「いえ、キンドルの中身の本は本屋さんで売っているわけではなくて、オンラインで購入するんです」
一生懸命説明するが、さっきからどうも話が噛み合わない。
息子の健太が入学したばかりの、私立中学の応接室で、美恵子は中年の校長と教頭に向かって、噛み砕くようにキンドルについて説明していた。
ことの発端は、入学説明会のときだった。その学校はスマホが禁止されていたが、連絡用としてキッズ携帯だけは持参して良いということだった。
キッズ携帯使用には許可証を申請する必要があるとのことだが、それ以外にも何か特別な機器を持参する場合は許可が必要だと言われたので、美恵子はキンドルについて確認したのだ。
その時は許可証を申請すれば持参して良いと言われたのに、入学後学校から
「そういったものは、我が校では禁止しております」と電話がかかってきた。
「入学説明会で確認したら、許可証を出せば良いと言われたのですが」と食い下がると、
「では、後日実物を見せてください」と言われて、美恵子は校長の元へ、キンドルと分厚いハリーポッターの英語の原書を持って行ったのだ。
アメリカから帰国したのは、健太が小学校2年生のときだった。
夫の仕事の関係で海外転勤が続き、健太は国をまたいで転園、転校を繰り返していたが、その明るい性格のためか、どこに行ってもすぐに馴染める子供だった。
初めての、日本の地方の小学校にもすぐに馴染み、楽しく学校生活を送っていた。
美恵子と夫は中学受験を考えていなかったが、6年生の夏過ぎに、その私立中学の部活に入りたいがために、健太が急に受験をしたいと言い出したのだった。
古風な校風らしいと聞いたので健太にも確認したが、本人の気持ちは変わらず、結局合格して進学することになった。
美恵子と夫は、健太に勉強や習い事を無理強いしたことはなかったが、せっかく身につけた英語力だけはキープさせたいと思っていた。
しかし帰国から4年も経ち、だんだんと英語力が落ちてきたのは、致し方ないことかもしれない。
ずっと所属している帰国子女向けの英語教室の先生からは、「とにかく英語の読書量を増やすように」と言われていた。
長時間の電車通学の時間にキンドルで英語の読書をさせるため、中身を何冊も購入したあとで、学校からキンドル禁止と電話があった。
こうした経緯がありキンドル許可の要望書を持って説明に行った、というわけだった。
「英語の原書は高額で、しかもアメリカの中学生向けの本で、紙で出版されているものは、日本では手に入りにくいんです。ハリーポッターなどの原書は分厚いので、それでなくても重い通学カバンで持ち運ぶのは大変です。その点キンドルならば、英語で出版されている本ならほとんどが入手可能ですし、本国とほぼ同じ値段で購入できて、しかも軽いので体力的にも負担になりません。携帯などの通信機器とは違うので、電話もSNSも出来ませんし、写真も撮れません。もちろんゲームも出来ません」
美恵子が噛んで含めるように懸命に説明しても、先生方には、ピンと来ないようだった。
電子機器というだけで拒否しているのが、ありありと手にとるように感じられる。
アメリカの小学校では教科書はなく、学校ではiPadを使って電子図書を使って授業をしていたし、海外で日本語の本を入手したり、日本で洋書を入手したりするのにはキンドルが欠かせなかった。
実際は紙の本が好きなのだが、それでも電子図書の利便性に馴染んでいた美恵子にとって、キンドルを知らない先生がいるということは、衝撃だった。
美恵子がキンドルを禁止する理由を尋ねると、教頭が眉間にシワを寄せてこう答えた。
「以前、我が校でもスマホを許可していた時があったのですが、その際、生徒同士がSNSで揉め事を起こしました。とてもひどい結果になってしまったので、それ以来一切の電子機器を禁止しているのです。子供を守るためには仕方がないのです」
その言葉を聞いて、美恵子は強烈な違和感を感じた。
子供を守るため? それは責任逃れの、単なるおためごかしではないだろうか?
なにか問題が起こったら、とりあえず禁止する、というのは問題の本質を解決することにはならない。
本来なら、その問題を起こさないよう教育する必要があるのに、それをしたくないという責任逃れを「こどものため」という大義名分にすり替えているようにしか思えなかった。
結局その日は、学校全体の問題なので即答は出来ないと言われて、美恵子の持参した要望書を手渡しただけで終わった。
入学後、しばらく経って学校から帰宅した健太が言った。
「母さん、俺もスマホ欲しいな」
美恵子は驚いて聞いた。
「スマホ? だって、学校で禁止されてるんでしょ?」
すると、健太があざ笑うように言った。
「禁止されてたって、みんな持ってるよ。今どきスマホ持ってないなんて俺くらいだよ」
え? 美恵子は驚いた。
そうか、健太はスマホよりも前にパソコンやiPadを使っていたのだが、一般的にはスマホを持たせる家が多いのだろう。
「もうクラスのみんなでライングループを作ってるんだよ。ライン入れないなんて少数派なんだから」健太は口を尖らせた。
なるほど、学校がいくら禁止したところで、子供たちはスイスイと抜け道を探すものだ。
その後、担任の先生と連絡をとった際に、美恵子はこの件を伝えた。
すでにクラス全体でライングループを作っているのだから、禁止するばかりでなくて、きちんとデジタルリテラシーについて教育して欲しいと伝えた。
そして、ゲーム機器メーカーが作っている、子供に響きやすいデジタルリテラシーの無料の動画教材まで教えたのだが、先生からの答えは
「そうした動画教材を見せるということは、学校がスマホを容認していることになります。子供たちがSNSでつながっているのは認識していても、学校としては、あくまでもスマホは禁止しているので、教材の動画を見せることは出来ないのです」
というものだった。
またもや驚愕の答えである。
以前、SNSで揉め事があったと言うわりに、生徒がラインのグループを作っていると知りながら、「スマホは禁止している」の一点張りで、デジタルリテラシーの教育をしようとしないというのは、問題を無かったことにして、臭いものにフタをしているだけだと言われてもしかたがないだろう。
2学期になってもまだキンドルの返答がないので、しびれを切らして学校に問い合わせたところ、今度はこんな答えが返ってきた。
「学校としては、電子機器は一切禁止なのですが、今回だけは息子さんは、特例としてキンドルを持参することを認めます。ただし、登下校時、周りに他の生徒がいるときは使用しないでください。そして学校についたら他の生徒に見えないように担任に預けてください。息子さんの英語の読書のための特別措置ですので、よろしくお願いします」とのことだった。
美恵子はまたもや、強烈な違和感を感じずにはいられなかった。
では、もしも他の生徒にキンドルを読んでいるところを見られたら、健太は校則違反ということになるのだろうか?
健太のキンドル使用を認めるならば校則を変えるべきだと思うが、学校としてはそこまではやりたくないのだろう。
ただし、一度入学説明会で許可した手前、むげにダメとも言えないので、「息子さんのための特別措置」という、おためごかしでカタをつけるつもりなのだろう。
こうした一連の対応を知れば知るほど、学校に対して不信感が募るばかりだった。
その日、帰宅した健太にこの事を伝えたところ、驚くような答えが返ってきた。
「そんな学校だってわかって入ったんだから、べつにいいよ。学校自体は楽しいし。学校はさ、たくさんの生徒がいるから、きっといちいち真剣に対応してられないんだよ。」
なるほど、健太なりに学校の本音は見透かしているようだ。
子供は鋭い。
こうして大人のご都合主義なんて、あっという間に見抜かれてしまうのだ。
「子供は、古い価値観にしがみついて取り繕うだけの大人を見透かしながら、頓着せずに軽々と超えていくのかもしれないな」と、美恵子は、飄々とした健太の横顔に、昭和の母である自分とは違う、軽やかな頼もしさを感じていた。
□ライターズプロフィール
神谷玲衣(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
イタリアでファッションバイヤーとして勤務。帰国後は、16年間、カラーコンサルティング、テーブルコーディネート、人材育成事業などの講師として、専門学校、大手企業、ホテルとフリーランス契約。日本で出産後、夫の転勤でドイツとアメリカで子育てをする。2020年9月から天狼院ライターズ倶楽部に参加。
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