【天狼院BOX】「教養」とは即ち〈面白がる能力〉のことである《11月期BOXオーナー藤倉さん》
※この記事は、11月期天狼院BOXオーナーの藤倉さんからいただきました。
世の中はどうやら教養ブームらしい。いや世の中としてしまうのはいささか過剰かもしれない、正しくは出版界における〜だろうか。書店の平積みには『ビジネスに効く最強の「読書」 本当の教養が身につく108冊』『池上彰の教養のススメ』『教養力』などのタイトルが目につき、『クーリエ・ジャポン』『日経アソシエ』や『PRESIDENT』らの雑誌媒体においても次々と「教養」を冠とした記事を特集している。
これまでも”教養を身につけよう””教養とは〜だ”といった主張は間歇的に繰り返されてきた。この言葉のもつ曖昧さとある種の怪しさが、知の病に罹患した人々を魅了してしまうのだろう。私自身も思い当たるフシはある。もう10年ほど前だっただろうか、竹内好や高田里惠子によるかつての教養主義関連の著作、また浅羽通明や石原千秋によるライトに「教養」の世界を見せてくれる著作なんかを好んで読んでいた。掲載された関連書籍リストを眺めては図書館で次々と借り、そして毎度の如く挫折し教養人には一生なれないなぁなどと思っていたものだ。
そしてそこで描かれた「教養」とは概ね教養科目=リベラル・アーツをさし、古典文学・思想書を中心とした読書のことであり時にいくつかの建築・芸術を含むものであると捉えられていたように思う。
しかし昨今の「教養」ブームにはこれとは違った趣があるようだ。それは「ビジネスに役立つ」というニュアンスが言外に、時に露骨といっていいほどありありと含まれていることだ。かつては「教養=役に立たないもの」とさえ見られていたというのに。先ほどのあげたタイトルからもその傾向はみてとれるが、齋藤孝『古典が最強のビジネスエリートをつくる』(毎日新聞社 2014年)に至っては、すがすがしいほど直接的だ。これらのベースにあるのは「先の見えない世界のなかでは、古典を中心とした読書によって涵養された教養こそが活きてくる」あるいは「教養により世界への理解を深めることによって初めて0から1を生み出すことができるのだ」といったところだろうか。なるほど、確かにこれは説得的である。実際に読書にはそういう力があると思う。もしかすると少し前までのビジネス/セルフヘルプ本界隈にあった”新しいメソッド、現代的なデバイスやソフトウェアを利用して仕事の効率を高めよう”、”これからは英語・会計・ITだ!”という流れへのカウンターとしてあるのかもしれない。
しかし同時にこの「役立つ」という俗な言い回しに疎ましさを感じてしまうのだ。果たして「教養」とは「役立てる」目的で個人にインストールするパッケージなのだろうか?いわゆる「ビジネスパーソン」は仕事に役立てようとおもって世界史や日本論を必死に読むのだろうか、そしてその人は仕事で大成できるのだろうか…。
またもう一点違和感をもつのは上記の雑誌や書籍で「教養」だとしてリストアップしている書籍群だ。例えば出口氏の本でいうとこんな書籍が紹介されている。
・ヘロドトス『歴史』
・アレント『人間の条件』
・マン『ブッデンブローク家の人びと』
…
正直いって読んでいない本は多いし面白そうなものばかりだ、それも相当に。それでもこれらはいささか古典によっているし歴史によっている、そして何より人文科学によっているといえないか。もちろん歴史を乗り越えた古典を現代の数多の書籍とは同列では語れないし、そもそも人が教養を語るとき「俺にとっての教養」という個人のフレームを超えるのは不可能だ。
しかし、だ。
こういう「役に立てるために」とか「古典が素晴らしい」とするメッセージは時に「教養」というものの持っている面白さを毀損してしまっているように見えるのだ。なぜなら役に立つというのは教養のもつほんの一部の側面だけを取り上げただけだからだ。では、教養の定義とは何か。この数年ずっと考えてきたのだが、おそらく「教養」の最大公約数的な定義は以下のものだと思っている。
「教養とは面白がる能力のことである」
例えば20年後に「民間の宇宙開発によって一般の人が宇宙旅行に行けるようになった」とする。おそらく誰もが凄いと思うことだが、ただこの最終的な事実を知るだけでなく「どんな歴史を踏まえて辿り着いたのか」「実現した人は何を考えていたのか」「そんな技術的・政治的困難を克服したのか」がわかれば何倍も面白くないだろうか。より単純な例をあげると、映画をみて感動したときにいろんな観点からその面白さを表現できたら、自分がどうして感動したのかわかったら面白くないだろうか。
あるいは、最近巷間でささやかれる「テレビみないんで…」「最近はテレビがおもしろくない」などという言説がある。テレビもマスを対象としたものからサブカルの一つとなっていると捉えれば、彼らにはテレビを楽しむにたる教養が不足しているともいえるのではないか。
確かに「役に立つ」のは事実だろう。しかしその本質は「これを知ってたら面白いよね」に全てがあるのだと思う。もちろん出口氏が本の目的に合わせてあえて選書しているだけのなのも、池上氏も面白さについて言及していることも理解している。しかし本当に教養を身につけようと思うなら、このポイントを強調してもしすぎることはないだろう。教養なんてなくても活躍しているビジネスマンはたくさんいるし、何よりビジネス目的だなんてもったいない。世界を楽しくするのが教養だからだ。
とすればリストの類は必ずしもお固い書籍である必要はない。ある種の普遍を表現する古典も確かにいい、しかし同時に現代に生きる我々の教養があっていいはずだ。ロシア文学やドイツ文学と同列に、動画サイト・ソーシャルゲーム・ラノベ・アイドル・ヒップホップがあるのだ。いつまでも先行世代に決められたものばかりを有難がるのやめ、10代でも40代の人でももっと「俺の教養」を主張するべきだ。同時代の文脈にまみれたコンテンツを楽しむのには同時代が一番あってる。
そしてさらに重要だと思うのは、「面白がる」には単に知識があればいいということではない。その読書を元に思考を深め・表現できることを含む、すなわち知識ではなく技芸のようなものだということだ。最後にその意味において、指針となる一冊の本を紹介したい。
山形浩生『新・教養主義宣言』(1998)。
既に初版から15年が過ぎようとしている。しかし本質はいまだスリリングだ。この本では「新教養」としてマンガ、経済学、ハッカー文化、封建主義、SFから前衛文学まで紹介している。読めばいかに「俺の教養」が狭いかを思い知らされるだろう。そして魅力はそのレンジの広さだけではない。ただの本の紹介にとどまらず、これらの何が面白いのかが著者の読み方によって間接的に教えてくれるのだ、「こんなふうに本を楽しめるんだよ」と。
「教養」とは「面白がる能力」のことであり、それは知識であると同時に技芸である。とするならばこれこそが最高の「教養本」だ。
ぜひ天狼院書店にて手にとってみてほしい。
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