麗しのドイツ文学の世界《1月期天狼院BOXオーナーFixleinさん》
※この記事は、1月期天狼院BOXオーナーのFixleinさんからいただきました。
ドイツ文学から5つの本を選出しました。ドイツ文学から選んでいるくせに、ニーベルンゲンの歌、あるいはレッシングはおろかゲーテやシラーさえない。角笛やグリム兄弟も無いし、ハイネやリルケの美しい詩もない。トーマス・マンもない。とお叱りを受けるかもしれませんが、それはまた第二弾、第三弾等でご紹介できればと思います。尚、並びは年代順です。
ジャン・パウル「ジーベンケース」
ジャン・パウル(Jean Paul, 1763-1825)が築き上げた長い長い小説は、広範なドイツ文学の中でもかなり癖のあるものであり、同時代のゲーテやシラー、あるいはロマン派の作家の作品と比べても類するものが無く、読むにあたってはじめはとても骨が折れます。ドイツにおいてもそれはどうやら同じらしく、死後は異様に熱心なファンが一定数いた他は、ジャン・パウルは分からないということで、一般にあまり読まれることは無かったようです。しかしながら、大量の比喩や雑談、脱線が満載の何でもありかつ極上の麗しさをもつ世界は、一度飛び込むとたまらなく病み付きになる魅力に溢れています。また彼は、(実際に小説が読まれているかは別として)ドイツ文学の参考図書には必ずといって良いほど登場する重要人物であり、その作品価値は失われてはいません。
さて、この度ご紹介する「ジーベンケース」という本もやはり相当に独特なもので、正直なところ何をどうご説明すれば良いのか分かりません。そこでとりあえずタイトルを全部記し、少しの付言を置くことにします。
「花の絵・果実の絵・茨の絵あるいは帝国市場町クーシュナッペルにおける貧民弁護士F.ST.ジーベンケースの結婚生活と死と婚礼(Blumen=Frucht=und Dornenstücke oder Ehestand, Tod und Hochzeit des Armenadvokaten F. St. Siebenkäs im Reichsmarktflecken Kuhschnappel)」
いかがでしょうか。一体どういう意味なのかと疑問に感じた方もいらっしゃるかと思います。その意味は、この本の構成に関係していて、ある意味このタイトルは本の内容を全部表しているものといえます。つまりこの本は、ジーベンケースという一人の弁護士の、結婚、ちょっとしたいきさつのもとの死んだふり、婚礼についての「茨の絵」と称される長い物語(全体の約93%)と、その物語の中に話の筋とは全く関係無く差し込まれた「花の絵」「果実の絵」と称される雑談・論文(全体の約7%)から成っているのです。実際に目次を見ていただくと、確かに第一章、第二章…とジーベンケースの物語が進行していく途中で、花の絵や果実の絵と題する章が挟まれており、さらには「花の絵の週刊広告紙」などというものまであります。
何故このような構成にしたのかという意図は分かりません。分かるのは一般的な小説とはかけ離れすぎているということくらいです。またその内容も、物語中でも平気で本文とは無関係の脱線や冗談があったり、比喩が飛びすぎて何を言っているのか全く分からない箇所があったりと、混乱を招くことだらけです(実際に少し読んでみてください。)。例えるなら、遠くから森を眺めていて、もう少し詳しく見てみようと近づいた途端に、顕微鏡で木の根の細胞を観察させられる感じ、とでも言いましょうか。
しかしながら、それでも何か人を引き付ける美しさ、詩的霊感の輝きなどが、あらゆるところに散りばめられています。どうぞ、ゆっくりゆっくりとこの大長編を味わってみてください。
E.T.A.ホフマン「黄金の壺/マドモワゼル・ド・スキュデリ 他2篇」
ドイツロマン派の鬼才E.T.A.ホフマン(Ernst Theodor Amadeus Hoffmann, 1776-1822)の短篇選です。ホフマンは実に様々な才能をもった人で、昼は優秀な法律家(裁判官)として実務にあたり、夜は風変りな芸術家として、ワインを片手に文学・音楽・美術の創作に励みました。
そんな彼の描く文学世界は、幻想的ときに悪魔的でさえあり、皮肉や痛烈なパロディで俗悪なものを笑い飛ばす一方、甘い夢や純粋で美しいものへの無限の憧れに満ちています。彼の小説は、堅実な日常を送っていた市民がふとした事から道を踏み外してしまい、幻想と狂気の世界に吸い込まれていくというものが多く、このような特徴は、現実と夢、実務的なものと精神的なもの、俗と聖などといった二面性に喘ぐ芸術家達に、多くの影響を与えました。
今回の短篇選には、彼が愛好したジャック・カロ(Jacques Callot)というフランスの版画家が描く世界(非常に奇々怪々で魅力的です。ネットで検索してみてください。)から影響を受けて書かれた「カロ風幻想作品集(Fantasiestücke in Callot’s Manier)」より、「黄金の壺(Der goldne Topf)」、「ドン・ファン(Don Juan)」、「クライスレリアーナ(抄訳、Kreisleriana)」が、沢山の短篇が収められた「ゼラーピオン会員作品集(Die Serapionsbrüder)」より、「マドモワゼル・ド・スキュデリ(Das Fräulein von Scuderi)」が訳出されています。いずれも上述のような特徴に満ちており、読み進めるうちに、現実と幻想の境界が曖昧になる不思議な感覚に陥ると思います。
追伸:ドン・ファンは、モーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」の鑑賞中に不思議な体験をしたある男性の話、クライスレリアーナは、ホフマンが作り上げたヨハネス・クライスラーという架空の狂える音楽家の話をベースにした音楽論であり、如何にホフマンが音楽に熱を入れていたかが伺われます。クライスレリアーナについては、後にロベルト・シューマンがここからインスピレーションを受け、同名のピアノ曲を作曲しています。ホフマン風の雰囲気を味わえる名曲ですので、こちらも是非。
テオドール・シュトルム「みずうみ 他四篇」
ドイツ文学には美しい作品が沢山あります。その中で最も美しい作品は何か、ということを決めることは不毛の極みであり、そもそも「美」というものの主観的性質からして恐らく不可能でもあるといえるでしょう。しかしながら、時にはそういったことを考え、議論するのは愉しい時間つぶしになるかもしれません。そして、そんな遊びが仮に行われたとした場合、筆者の頭に候補として真っ先に挙がるのは、北ドイツの法律家であり詩人でもあったテオドール・シュトルム(Hans Theodor Woldsen Storm, 1817-1888)の「みずうみ(Immensee)」です。
シュトルムが活躍した時代のドイツでは、ロマン主義が落ち着きを見せ、身近な現実を詩的な心をもって描くという作風が好まれました(「詩的リアリズム」という言葉で説明されることもあります。)。シュトルムは、この作風の代表的な人物と考えられています。
さて、シュトルムの初期作品「みずうみ」は、ラインハルトという一人の老人の思い出の物語です。幼馴染エリーザベトを巡る幼少期から青春までの淡い記憶が、深い抒情性を湛えながら明澄な筆で瑞々しく語られます。そこには何か心躍る冒険や英雄譚は存在しませんが、純粋で優しい色彩に溢れていて、読んでいる間はまるで自分がラインハルトになったかのような気分になります。そして読み終わるときにはいつも、「こういうものをこそ文学というんだろうな」という、良くわからない感想をついつい抱いてしまいます。
尚、この本には「みずうみ」の他に、「マルテと彼女の時計(Marthe und ihre Uhr)」、「広間にて(Im Saal)」、「林檎の熟するとき(Wenn die Äpfel reif sind)」、「遅咲きの薔薇(Späte Rosen)」という4つの作品も収められています。いずれにも、水彩画のような穏やかで静かな息遣いが漂っており、読後は「良い短篇を読んだ」という充実した気持ちに満たされることと思います。
シュテファン・ツヴァイク「人類の星の時間」
シュテファン・ツヴァイク(Stefan Zweig, 1881-1942)は、オーストリアの作家です。彼は、マリー・アントワネットやジョゼフ・フーシェなどを題材とした歴史物語を多く記し、当時ヨーロッパで大変な人気を博していました。また彼は、あらゆる国の人が集いコスモポリタニスティックな雰囲気をもっていた第一次世界大戦前のウィーンを愛しており、いつか人類は一つになれるという強い理想をもっていました。しかしながら、第二次世界大戦が激化する中で崩壊していくヨーロッパに絶望し、亡命先のブラジルで服毒自殺という悲劇的な最期を遂げました。
さて、「人類の星の時間(Sternstunden der Menschheit)」は、ツヴァイクが書いた歴史物語の真骨頂といえる作品です。これは、ヨーロッパ周辺の歴史から、『人類の星の時間』ともいうべき、『避雷針の先端に大気全体の電気が集中するように、多くの事象の、測り知れない充満が、きわめて短い瞬時の中に集積され』た12の決定的瞬間を選び、描いたものです(『 』内は引用)。「星の時間」には、非凡な天才のもとに必然的に訪れたものもあれば、およそそれを託すにはふさわしくない平凡な人物の手に偶然落ちて生じたという皮肉なものもあり、いずれも歴史の力の強大さを感じさせます。
筆者にとって特に印象に残っているのは、フランス革命歌であり現在はフランス国歌となった「ラ・マルセイエーズ」を作曲した、『一晩だけの天才』クロード・ジョゼフ・ルージェ・ド・リールの話と、南極点到達をノルウェーのアムンセン探検隊と争い、敗れ、南極の地に眠ったイギリスのロバート・スコットの話です。まさに世界の行先を決定する極限の瞬間において、一人の人間が、時代の巨大な手の中で決断し行動するさまが、生き生きと描かれています。勿論、他の十編も、限りない力を放射する作品に仕上がっています。
ツヴァイクの文章は、一文一文は簡潔ですが、そこには話の運びの上手さと、人間、生命、芸術、魂、友情、ヒューマニズムなどに対する確たる信念とがあり、読んでいるとページをめくる手が止まらなくなり、心臓に火を点けられたような高揚感を感じます。人間や世界の尊厳が見えづらくなりつつある現代において、このような本には、広く読まれるべき価値があると思います。
ヘルマン・ヘッセ「メルヒェン」
ヘルマン・ヘッセ(Hermann Hesse, 1877-1962)は、ゲーテやトーマス・マンと並び日本で最も人気のあるドイツ文学者の一人といえるでしょう。彼は、文学と共に絵、音楽、自然、平和を愛した天性の詩人でした。彼の作品には、世界の本質をしっかり見抜く厳しさと、世界を肯定する全的な優しさが溢れていて、読者の心に一筋の光を灯してくれます。
今回ご紹介する「メルヒェン(Märchen)」は、ヘッセによる珠玉のおとぎ話集です。「メルヒェン」は、ドイツにおいて、特にロマン派以降重要な文学ジャンルの一つとして認識されてきており、多くの作家が、民話の収集やオリジナル作品の創作により数々のメルヒェンを残してきました(いわゆる「グリム童話」もその一つです。)。ヘッセもやはりメルヒェンを重要視しており、9つの作品を書きました。
但し、ヘッセのメルヒェンの根底には、子供のための愉しいおとぎ話のみではなく、世界や人間の内側の奥深くを覗きこむような深遠な眼差しも流れています。というのも、メルヒェンが書かれたのは第一次世界大戦前後の時期であり、暴力的な外的状況や、自身の周りに起こる様々な困難を受け、ヘッセはこのとき精神的に不安定な状態にありました。特に「別な星の奇妙なたより(Merkwürdige Nachricht von einem andern Stern)」では、身震いするほどに強烈な世界が広がっています。正直に申し上げると、筆者は、はじめこの本を読んだ際には頭がくらくらする思いと恐怖に負け、途中で読むのを止めてしまいました。そして最近再読した際にも、今度は全部読み通すことはできましたが、結局ほんの数パーセントしか理解できませんでした。
しかしながら、そのような性格をもつヘッセの「メルヒェン」の中にあって、最初の「アウグスツス(Augustus)」では、本当に純粋で美しい物語が紡がれています。皆がお前を愛さずにはいられなくなりますように、という母の願いから、誰からも愛される魔法のもとに生まれてきたアウグスツスが、人生で最も大切なことは何かということを探っていくおとぎ話です。
ここでは詳細は書きません。何か人生に迷うことや心に引っ掛かることがある方は、よろしければこの小さな物語を読んでみてください。きっと一つのヒントや慰めを与えてくれることでしょう。
※なおこの記事は、天狼院BOXのFixleinさんの棚にもフリーペーパーとして置いてありますので、ぜひお手にとってみてください。
※天狼院BOXのオーナー様は、このように記事を書いていただけます。店主三浦のチェックは入りますが、選書の理由や熱い思いをぜひ執筆されてみてください。
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