「京都天狼院」物語

【京都天狼院物語】 世界で最も憧れる街「京都」に天狼院を出すということ〔2016.8.5/vol.1〕


天狼院書店店主の三浦でございます。

「なぜ京都なのか?」

京都天狼院をオープンさせると決めてから幾度となく、聞かれたことです。

なぜと聞かれると、少々、返答に困ります。
マーケティング的な側面でいえば、より人口の多い大阪や名古屋が対象になるでしょうし、情緒的な側面でいえば、僕の故郷に近い仙台に新しい天狼院をつくるのが、もっともいいようにも思えます。

2013年9月26日に池袋にオープンした天狼院書店の1店舗目「東京天狼院」、

2015年9月26日に福岡天神にオープンした「福岡天狼院」につづき、天狼院が「基幹ブランド」として展開する3店舗目が「京都天狼院」です。

正直いってしまえば、福岡天狼院の次は「京都」にすることは、一瞬の迷いもありませんでした。

マーケティングよりも、そして情緒よりも優先したのが――僕の京都への強烈な憧れでした。

歴史好きの僕としては、源頼朝や足利尊氏、徳川家康がなった「征夷大将軍」という役職に、特別な思いがあります。日本史において、武士が台頭してきてから、この国の最高権力者は「征夷大将軍」でした。

しかし、この「征夷大将軍」という役職、東北出身者としては少々複雑な思いがあります。
なぜなら、「征夷大将軍」が「征すべき夷」とは、たいてい、東北以北のことだからです。
つまり、僕の故郷ら辺は古来、中央から征せられるべき対象だったということです。

アテルイ、安倍氏、奥州藤原氏。

坂上田村麻呂から八幡太郎源義家、源頼朝にいたるまで、名ばかりではなく、東北地方は討伐の対象だった。

安倍氏とも血脈を有する奥州藤原氏は、健気にも、中央に金を贈り、官位を授かり、京都を模した平泉という都を造り、実質的な独立国家の体を有した時期もありましたが、結局は三代目の藤原秀衡が亡き後は、征夷大将軍に任じられた源頼朝の討伐を受けることになります。

東北地方には、その後、独眼竜政宗なる英傑が生まれますが、結局は中央で権勢をほしいままにしていた、豊臣秀吉と戦わずして屈服することになります。

「おらほの殿様」たちは、こうして、ことごとく、中央に屈服してきたわけですが、この中央こそが、「京都」でした。

しかし、つねに屈服してきたからこそ、その中央への憧憬がますます増すように思えます。

小学校の修学旅行は、会津若松であって、白虎隊について様々調べましたが、その会津の殿様、松平容保は「京都守護職」でした。

このなんともかっこいい名前を、小学生のころもちょっと興奮して覚えたように思います。

また、僕は高校生になって、司馬遼太郎狂いになるわけですが、司馬遼太郎が描く幕末の中心も、京都でした。龍馬が潜伏したのも、ひどい目にあったのも、恋に落ちたのも京都であって、龍馬の青春も、そして最期も京都にありました。

京都御所の蛤御門の前あたりをタクシーなどで通ると、やはり、蛤御門の変を思い出し、久坂玄瑞、そして吉田松陰を思い出すわけです、司馬遼太郎狂いとしては。

伏見に行くと、鳥羽伏見の戦いを思い起こすわけで、六波羅と聞くと、平清盛を思い出す。

僕は戦国武将の中では、伊達政宗が好きで、そして織田信長がとてつもなく好きなのですが、織田信長と言えば、右大臣であり、本能寺なんですよね。
本能寺に行くと、ま、移転されているとわかっていても、やはり恍惚としてしまうわけです。

六条と聞くと、どうしても、『源氏物語』の六条の御息所を思い出すわけで、一条戻り橋と聞くと、安倍晴明の式神に想いが行ってしまう。

僕にとって、京都とは、世界で一番憧れる街であり、戦国武将ではありませんが「上洛」ときくと、胸に湧き立つものが押さえられなくなるのです。

歴史の中心であり、文化の中心であり、そして日本の中心である「京都」に天狼院を出すということは、はたして、いかなることなのでしょうか。

それは、決して戦国武将のような、木曽義仲のような制圧ではなく、僕は完全に京都に憧れていますから、それとは真逆に、学ぶための「窓」を開くようなことなのだろうと思うのです。

京都天狼院を置くことによって、僕はそこに堂々と「駐」することができるようになります。

もちろん、表向きは、商うために出店するのですが、いや、表向きというか、真実そうなのですが、僕の感覚としては京都を学ぶために居をそこに構えるという感覚に近いです。

実は、今回、京都天狼院を出店するにあたり、もっと容易に出店することも可能でした。

簡単な店舗用の改装で済ませ、ともかく、外形は「それっぽく」みえるようなかたちを整えることはできた。
けれども、憧れの京都で、それをするわけにはいかない。

様々な選択肢の中で、京都の方でも「あそこに頼めば大丈夫」と太鼓判を押すような、そんな方々に頼みたいと思いました。

そこで、様々検討した結果、僕が依頼したのが、「京町家作事組」という、伝統的な京町家の工法を伝承している方々でした。まずは、拠点となっている釜座町家に行ったときの衝撃を今でもよく覚えています。

「これです! こういうのを作ってください!」

僕は、きっと、そう興奮して言っていただろうと思います。
そこで見た、何もかもがすばらしかった。

そんな建物を、天狼院にすることができたら、どんなに素晴らしいだろうと夢想が止まらなくなりました。

「京町家作事組」は職人集団で、伝統の京町家を未来へ残そうと真摯に考え、後進の育成も積極的におこなっています。
そうきくと、なんだか、気難しい職人でと思うはずですが、正直言うと僕も最初はそうなのかなと思ったのですが、お願いすることになったアラキ工務店さんの会長も息子さんも、素晴らしく気さくで何かと相談しやすいのです。
僕のことですから、いろいろ、無理をいうわけですが、ご迷惑をおかけするわけですが、それも、真剣に考えて、実現する方向を一緒に考えてくれる。

また、設計してくるのは、設計事務所クカニアさんの南さんという女性の方ですが、南さんに頼めばちゃんといろんなところと取り持ってくれて、一緒に最高の選択を考えてくれる。

つくづく、天狼院は女性に救われるのだと思った次第です。

そんな作事組さんにやってもらうことになったので、工期が想定していた以上に長くなることになりました。けれども、僕は今回、最高の天狼院を造ってもらうと思っているので、丁寧にやってもらうと腹を据えました。

逆に、これまでは常に突貫工事でオープンさせて来たので、せっかくいい店舗を造ってもらっても、中のソフトが間に合わなかったというのが多々ありました。
現に、オープンまでに選書が十全に間に合ったことなんて一度もありませんでした。
今でも、それが尾を引いているように思えてなりません。

しかし、今回は違います。

選書もcafeも、ソフトを十全に揃える時間があります。
そして、三宅香帆を中心とした、超絶本を知っている京大生軍団もおります。

これは、もう、面白いことになると確信して思うわけです。

これから、京都天狼院では「前代未聞」を連発していきます。
おそらく、それは、日本だけでなく、世界でも「前代未聞」のことでしょう。。

でも、僕は、できると思っているのです。

なぜなら、京都は世界で一番の都だからです。
京都に憧れて、世界中から観光客が来る街だからです。

そんな街に、最高の天狼院があったとしても、いいような気が、僕はするのです。

そして、そんな最高な京都天狼院で、僕は人生で最も濃い学びを得ようと考えています。

そう、作事組さんにお願いしたのも、彼らから、多くのことを学びたいと思ったからです。

さて、いよいよ、工事が始まりました。

皆様には、工事の進捗状況を、随時、お知らせしようと思っております。

これから、どうぞよろしくお願いします。

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