京都コード

天狼院書店は京都仁和寺の縁側に座った時に着想を得た。〔京都コード〕


天狼院書店店主の三浦でございます。

まだ天狼院ができる前の、ある夏のことでした。

僕は、出版社さんの営業戦略に関わらせてもらっていたときがあって、関西に出張に来ることがありました。
仕事のついでに、京都を観光できたらいいと思っていたのですが、アポイントがかなり詰まっており、観られたとしても一箇所しかないという状況でした。

なぜか、そのとき、僕は京都の庭にとても興味があって、桂離宮や苔寺というところがいいらしいという情報を得ていました。
ところが、タクシーの運転手さんに聞いてみると、基本的に桂離宮は事前に往復はがきで予約を入れなければ観られないらしい。どういう理由か忘れましたが、苔寺も何らかの理由で観られなかったと思います。

それで、どこへ行こうかと思ったときに、第三志望として浮かび上がってきたのが、仁和寺でした。

まさか、その仁和寺が、未来の運命を変えるとは、もちろんそのときタクシーに乗った僕は思ってもいませんでした。

なんの基礎知識もなく、ともかく、新幹線の時間も迫っていたので、仁和寺に急いでもらいました。

二王門を入ってすぐ左、御殿と呼ばれる建物に入り、奥へと進んでいきました。

すると、額縁のような枠に囲まれた庭と突如として出合うことになったのです。

最初、何が起きたのか、理解が出来ませんでした。

なぜか、息が止まるような思いをしたのです。

そのあとから、今観ているものに、衝撃を受けているらしいと、あとづけで思考が追いつくというような順番でした。

「まさか・・・・・・」

そう、ひとり、呟く僕の腕には、夏だというのに鳥肌が立っていました。

いや、そんなまさか、と思いながらも、僕はある仮定を考えてみました。

長い廊下を歩いてくる途中は、我々は南庭と呼ばれる、ほとんど白の石が敷かれた庭を右手に目にすることになります。
ところが、廊下が切れて、必然的に、ふと、左を向くと、この額縁のような枠が現れ、その向こうに燦然と輝くような緑が見えるのです。

つまり、ここを境として、白い石の世界から、目に鮮やかな緑の世界へと一気に切り替わることになる。

そして、この額のような縁を前にして、極自然と僕はこの前に立ち止まり、息が止まる思いをした。

これが、仕組まれたことだとすれば、どうでしょうか?

僕は、少し、茫然自失となりながら、その先の縁側に向かいました。

そこで、さらなる衝撃を受けることになります。

左右に池があり、木々が決してシンメトリーではないかたちで配されている。
左の池の奥には、細く滝が落ちている。

それは、いい。

僕が衝撃を受けたのは、何気なく、縁側に腰を落とした時でした。


手前の北庭と、奥の五重塔やそのほかの森林が、渾然一体となって、境なく続いているように見えたのです。

たしかに、この御殿には境があったはずです。
なぜなら、来るときに、二王門とは別に門をくぐり、そして白の南庭には塀が張り巡らされているのを観ていました。つまり、この北庭にも、境があるはずなのに、それをまるで感じさせない。
周囲や奥の景色までも取り込んで、ひとつの無限の庭であるかのように見せている――

「そうか・・・・・・」

そこまで思ったときに、僕の頭のなかにはある着想が明瞭になりました。

それは、そのとき、全力で準備していた「天狼院書店」という名前のまったく新しい業態の姿でした。

天狼院書店を新しくしようとは、もちろん、前々から思っていましたが、どう新しくするのか、明確なビジョンはまだ当時は描けていませんでした。

ところが、この仁和寺の御殿、北庭の縁側に座った瞬間に、僕がつくるべきものの姿がたちどころに理解でしたのです。

この仁和寺の北庭のような書店を創ろうと僕は思いました。

たしかに、書店とは、たとえば東京天狼院なら売り場面積12坪、福岡天狼院なら34坪と限られています。
けれども、この境をまるで意味のないものにしようと僕は考えました。

天狼院は、何も、その場所だけにこだわる必要がなく、広く無限の奥行きをもって展開しよう。

そう思った瞬間に、限られた12坪という空間が、僕の中で無限の広がりとなりました。

豊島公会堂で文化祭をするのも、天狼院STYLEというブランドで他の街に繰り出すのも、仁和寺の庭をDNAの中に組み入れている天狼院にとって、当たり前のことなのです。

 

これは、空間的な概念にとどまりません。

人も、そのようにできないかと考えました。

つまり、スタッフとお客様の境をなくそうと。

天狼院には、ファナティック読書会やメゾン・ド・天狼院(旧「天狼院BOX」)というものがあって、お客様に売場の棚の選書を任せています。

劇団天狼院では、お客様が演じ、映画部では、お客様が出演しました。

また、ライティング・ゼミに参加していただいているお客様には、天狼院のWebメディアにも投稿してもらっています。

そして、今いる天狼院のスタッフのほとんどは、元天狼院のお客様です。

これも、すべて、仁和寺での、あのときの着想が元になっています。

「実はさ、天狼院は仁和寺の庭なんだよね」

当時、こう言ったら、ほとんどの人の頭の上に「?」マークが無数に浮かんだことでしょう。

けれども、今なら、皆様に理解していただけれるのではないでしょうか。

天狼院は、こうして、京都に秘められたある種の「コード」を紐解くことによって、成長のDNAをつくりました。

そして、今、天狼院はDNAのふるさとである京都に出店しようとしています。

もちろん、それは商うためのという目的もありますが、京都からさらに深くを学び取り、未来へと活かすためです。

それを「京都コード」と名づけて、これより、連載して行こうと思っております。

どうぞよろしくお願いします。

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2016-08-06 | Posted in 京都コード, 天狼院通信

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