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天狼院通信

キリコが「もう負けたからむりー書きたくないー」と言うもんだから、僕が代わりにW杯日本代表のことについて書こうと思う。


天狼院書店店主の三浦でございます。

Web天狼院では、天狼院スタッフのキリコがサッカーW杯のことについての記事を担当しておりました。

けれども、グループリーグでの敗退がショックだったらしく、

「もう負けたからむりー書きたくないー」

というもんだから、僕が代わりにサッカーW杯日本代表について少しばかり書こうと思います。

 

店頭では皆様にお伝えしていたと思いますが、僕はW杯の前のテストマッチの結果に、非常に危機感を抱いておりました。なぜなら、妙なかたちで勝ってしまっていたからです。

思い返してみると南アフリカのワールドカップでは、テストマッチで悲惨な結果で、とことんまでマスコミに、つまりは国民に叩かれて、まるで期待されていない中で始まったW杯でした。

ところが、そこでとことんまで叩かれたことによって、チームは「当事者意識」に開眼したのでしょう。周囲が敵になったことによって、結束が高まり、見返してやろうぜ、と闘志に火がついた。

布陣も危機感の現れで、徹底して守備を固める陣形を取りました。

本田や遠藤のフリーキックが印象に残っているということは、どういうことかと言えば、流れの中からというよりか、セットプレーからの得点が多かったということでしょう。

思いっきり守って、わずかなチャンスをものにした。

勝っていくことによって、徐々にマスコミ、つまりは国民を味方にしていき、一大ムーブメントを起こしました。

 

ところが、今回は、妙なかたちで直前は勝ち続けてしまいました。

本当は様々なケースを試して、そのためになら負けてもいいはずなのに、勝ってしまっていた。

そして、「当事者意識」の火がつく前に、なんだか、ぼんやりした感じでW杯初戦を迎えてしまった。

さらに、本田はマスコミに向けて、「今は一緒に仲間として戦ってほしい」的な、つまりは叩かないでほしいというようなことを言っている。それを真に受けたとは言わないまでも、マスコミは静観していたように思います。

本当に日本代表のことを思えば、ここは厳しく行くべきだったと僕は思いました。

自分が悪者になってでも、徹底的に叩いておいて、「当事者意識」に火を点けるべきだと思いました。

 

そんなふんわりとした中はじまったW杯でしたが、僕は非常に危険だと思っていました。

 

それは真剣なのはわかりますが、この前の南アフリカW杯のときのような危機感のようなものがまるで見られなかったからです。

 

だから、僕の当初の予想は「1勝1分1負で、得失点差でグループリーグ敗退」でした。

静かにフェードアウトするW杯になるのではないかと思っていました。

結構、淡々とそう思っていました。

 

というのも、もしかすると、もう我々サポーターは日本代表がW杯に出ることが当たり前になって、そのピッチに立てていることの幸せを忘れてしまっていたからではないでしょうか。

初出場となったフランスワールドカップで、バティストゥータと戦っている日本を見たときの熱狂を、

日韓ワールドカップで、トルシエジャパンが大活躍したのに、韓国のヒディングに全部いいとこ持って行かれたあの歯がゆい悔しさを、

ドイツワールドカップでのオーストラリア戦のショックを、中田の最期のピッチを、

我々は、きっと自分事として、まるで自分の歴史の一部のように経験してきたはずなのに、今回はそれがなかったように思えます。

僕だけでしょうか、試合は観るんですが、どこか完全に人事になっていました。

 

実はW杯に出ること自体が難しい。

それなので、次のW杯も出られるとは限りません。

もしかして、我々が、サッカーを応援することを再び自分の歴史にすることができなければ、このまま、日本のサッカーは静かにフェードアウトしてしまうのではないでしょうか。

 

僕はそんな危機感を抱かずにいられません。

それは、W杯が始まる前から思っていたことでした。

 

もし、日本代表が弱くなっていくとすれば、それは我々の想いが弱くなっていくからなのだと僕は思います。

 

ちなみに、ギリシャは日本戦の前、コロンビアに負けて、ギリシャのマスコミに叩かれまくっていました。

 

「お前たちは走れなかったじゃないか、日本戦でも走れないんじゃないか」

 

それはもう、すごい剣幕で、選手たちに詰問していました。

選手たちも明らかにそれにキレていました。

 

それを見て、僕はギリシャは行くな、と思いました。

日本はギリシャに負けるだろうと思いました。

ギリシャのマスコミは、自分たちの役割をよくわかっていると思いました。

 

その予想はまたもやはずれ、日本とギリシャは0−0のスコアレスドローでしたが、最後にギリシャは発奮します。グループリーグを見事に突破している。

 

きっとマスコミにこてんぱんに叩かれたあの時点でギリシャは「今に見ておれ!!!」と発奮したんだと思います。つまり、「当事者意識」に火がついた。

それが、結果として、自分たちの戦いをして、最後に爆発して、結果につながった。

 

つまり、僕は今回のW杯の敗戦は、本田や香川のせいでもなく、ザックのせいでもなく、太平洋戦争を陸軍ではなく、日本国民が起こしたように、日本国民が熱を失っていたことが原因なんだろうと思うのです。

日本のマスコミが、ギリシャのマスコミのように、愛のムチを食らわせなかったのは、愛がなかったからであり、それはイコール、日本国民が代表を昔ほど愛していなかったからだろうと思います。

 

もし、国民が代表を愛していたのなら、コロンビア戦のあの日、日本はお通夜状態になっていたはずですが、きっとそんなことはなかったでしょう。

「あ、負けたね。悔しいね」

くらいのことでしかなかった。

負けても、渋谷の駅前では、自称サポーターはなぜか喜びハイタッチを繰り返す。

もし、そこに本当に日本代表を愛する人たちがいたとすれば、きっとそのわけのわからないハイタッチ軍団と取っ組み合いの喧嘩になっていたはずです。乱闘騒ぎになっていたはずです。

 

スポーツは相対的なものであって、こっちが相手よりも強くなり、運があれば、相手に勝てますが、相手が強くなり、運も味方すれば、勝てなくなる。

永遠に成長するということはあり得ることではない。

なぜなら、永遠に熱狂的な愛情は続かないからです。

 

ヨーロッパや南米のように、日本ではサッカーが文化として根づくまでにはいかなかったようです。

 

故に、日本にはメッシやネイマールは生まれない。

 

日本サッカーが生んだ最高傑作である香川も本田も、ヨーロッパのトップチームではレギュラーにはなれないのです。

 

それは全て、我々のサッカーに対する愛情が足りないからなのだろうと拝察するのでございます。

 

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2014-06-27 | Posted in 天狼院通信, 記事

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