チーム天狼院

女子大生三宅香帆、「京都天狼院」店長に就任しました。《三宅のはんなり妄想記》


それはいつの時代のことだったのでしょうか、街にはたくさん本屋さんが並んでいる中に、それほど大きくはないのですが、ものすごく私が愛している本屋さんがございました。

私はお酒と本と、世界中の甘いものを愛しております。特にとろけるような日本酒と、ぱりっとした皮にふかふかのあんこがじゅうじゅう詰まったたいやきなんて、どんな宝石箱もかなわないシロモノだと思っております。はてさて、そこに合う本は何なのでしょう。うにゃうにゃ、太宰治の『女生徒』または『富岳百景』なんていかがでしょうか。それらがあれば、きっと私はにっこり微笑みながら、まるで自分がリボンと袴に愛された大正時代の娘さんになったような気分になれることを、指きりげんまん針千本いたすのです。

ですがお酒と本と甘いものを同時に堪能しようだなんて、そんな天空のダイオウイカさまだって贅沢だと恐れおののくにちがいありません。ですから私は自宅でこそこそと、八百万のカミサマたちに見つからないようにしながら、ばいまいせるふで楽しむだけでございました。もし見つかることがあれば、カミサマにほんのちょっとだけ賄賂をお渡しし、権力執行の裁量に情実を挟んでもらうことまで考えていたほどです。抜かりはございません。

だけれども。素敵でいっぱいです、ここ京都という街の寛容さ。京都という街は、そんな私の果てしない贅沢を許してくれる「本屋さん」を私に与えてくださったのです。

私は学生の身分でありながら、こっそりと「京都天狼院」という本屋を切り盛りしています。もとは東京の池袋にある本屋さんなのですけれども、三浦さんという奇特でナイスガイな店主さんが「京都にも出してみませんか?」と私に打診してくださったのです。こんな一介の学生に任せてくださるなんていずこのホトケあるいはおバカ様。どっちにしろせっかく任せてくださったのです、私はできるだけの本を売りたいですし、本でみなさまのお悩みを解決できたら、と思っております。そんなわけでこちらをお酒と本と甘いものを同時に堪能できる、ドリームワールドもといディズニーランドもいとあさまし!とのけぞるような本屋さんにしたのでございます。

このお話のはじまりは、夏のじんじん暑い日に、私が京都天狼院でこんぺいとうを口でほどきながら、手に入れたばかりの「土佐鶴」をちびちびしようとしたときでございました。私が手にしていた本は、かの有名な世界有数無敵に素敵なタラシ男の一代記、いえ、二代記、『源氏物語』。
物語が終盤に差し掛かり、もうすぐ『宇治十帖』という、光源氏さんがお亡くなりになった後のチョメチョメ話を描いたところに私が足を踏み入れようとしたときのこと。私は、お恥ずかしながら、一人で土佐鶴の瓶を2本、身体に取り入れてしまい、うとうとしてしまったのです。

うとうとして、これはいけないと目を開けた瞬間、
私は、元いた場所ではなく、ふわっと御簾がざわめき、十二単が眩しく、つややかな黒髪ばかりが目立つ部屋におりました。
はれ、ここはどこなのでしょう。
生来私はぼーっとした子供で、いつも周りの皆々様の変化というものについていけずにぽやっと人生を生きておりました。ですからこの度も、私が気づかないうちに、じわじわと周りが変化してらっしゃったのでしょうか。
そう思ったのですが、そこにいらしたお方があんまり目を見開いて私を見ているので、ああこの方も私と同じように驚いてらっしゃるのかもしれない、なんて思うことができました。

「あなた、もしかして未来から来たの?」

切れ長の目がまるでサメやノートの切れ端のようにしゅってしていて、とても利発そうなお方です。そのお方が驚いてらっしゃる。私に。

「ここがどこだか存じ上げませんが……私はきっとお酒の入口から参りました」

そうお答えすると、陰陽道はやっぱり正しかったんだ、とか、これでうまくいく、とぷつぷつ彼女は呟かれました。そしてその後、私の肩をがっしと掴んで言うのです。

「お願い。助けて。
私、書きたいの。この物語の続きを書いて、あの人に届けたいの」

その真摯な瞳は、夏祭りのラムネのビー玉を太陽にすかしてみたときよりもっと、きらきらと澄んでいました。

事情をお聞きすると、なんとまあ、この切れ長の瞳を持ったお方は、かの有名なタラシ日記『源氏物語』の産みのかあさまである、紫式部さんだというのです。
どうやらこの紫式部さん、『源氏物語』の、光源氏さまがお隠れになるあたりまで書き上げたということで。次は続編かと思っているけれども、なんと、吹き矢のごとく、じゃまじゃまが蠢いているらしいのです。というのも、そのへん一帯のお嬢様に大人気の源氏物語。

「続きが、書けるかどうか不安なの」

美人さんって憂いをおびた眼差しでも素敵、なんて思っている私をよそに、紫式部さんは続けます。

「光源氏はよかったわよ。モデルがいたもの。彼がどう動くか考えたり、どう女の人を口説くかを考えたりするだけでよかったし、楽しかったわ。だけど、今度の主役は彼じゃないのよ。彼より一つ下の世代の話なの。続編が書けるかどうか私には不安でしようがないのよ」

俯いて苦しそうにそう言った式部さんは、顔を上げました。

「不安でしょうがなかったから、陰陽師にお願いしたの。どうかこの悩みを解決してくれる人を教えてくださいって。そしたらあなたを未来から呼び出す方法を教えてくれたの」

いきなり私がお話に出てきたことに私はきょとんとしてしまったので、きっと紫式部さんの不安な気持ちはもくもくっと増殖したことでしょう。

「何かあなたぼんやりした子でちょっと不安だけど。
お願い。私を助けて。続編をうまく書ける方法を教えて」

いきなりぎゅっと掴まれた手の体温から、式部さんの熱が伝導して参ります。その熱量に押され、私は「むう」と考え込んでしまいました。
まがりなりにも私は本屋さんですから、やっぱりこういう時本を思い浮かべてしまいます。
ぞくへん、というと、やっぱりシリーズもので思い浮かぶのが『赤毛のアン』でしょうか。モンゴメリさんはそんなに続きを書く気はなかったとお聞きしています。それから『鏡の国のアリス』も続編ですし、『続・氷点』は一作目よりもっと引き込まれました……ああSFになると「作者は続編を作る気なかったけど」などと申し上げつつシリーズになるものが多くあります。『リングワールドふたたび』はその後シリーズになりましたし、『タイム・シップ』に至ってはスティーヴン・バクスターさんがH・G・ウェルズさんの『タイム・マシン』の続きを書いたのですよね……。

そんなことを頭に巡らせながら、私は、しっかと式部さんを見つめました。

「大丈夫です」

ぎゅっと掴まれた手を、こちらもむぎゅぎゅっと握り返します。

「私、実はここに来るまでの「未来」で、本屋さんという本がたくさんある場所にいたのです。世界のあらゆる文学のなかで「続編」が面白おかしいものを探して参りますから、ぜひそれを読んで、続編だって面白いことを私と一緒に脳みそに刻んでやりましょう」

私が何を言っているのかよく分からない、といった顔でぽかんとしていらっしゃる式部さんに、私はひとつだけお願いを申し上げました。

「そこですみません、お酒をたくさんいただけますか?」

未来への戻り方は至って簡単でございました。お酒をたくさん、頂戴するのです。きゅう、と意識が遠のいたときにはもう現代。あちらの世界にしてみればあのお酒はどこにいったんだあんちくしょう、ってな泥棒猫でございますが、しようがありません。片手で「今度お返しします」と拝んでおきます。
そこで私は式部さんに届けるために現代の京都天狼院書店でたくさんの本を買い、背中にしょって、もう一度ぐいいっと土佐鶴を飲みほしました。何て役得、何て豪勢なお駄賃なのでしょう。過去へスリップするために、こんなお酒をきゅっと飲めるだなんて。八百万の神様に賄賂を渡さなくてはいけません。

するとやっぱり気がついて目を開けると式部さんがこちらを――いえ、私ではなく今度は私の持ってきた本たちを――まじまじと見つめておりました。どんな仕組みかわかりませんが、言葉もちゃあんといわゆる「古語」的なソレに直されておりました。ますます神様はご懸命な判断をされたな、と神様株上昇赤字でございます。

「式部さん、こちらは全て未来の世界にもある『続編』たちです。大丈夫です、これだけの続編がこの世界にはあるのです。さあ私と一緒に続編をお作りいたしましょう?私、力の及ぶ限りにおいてはお手伝いいたします!」

やる気もむんむんで私がそうまくしたて、式部さんもよくわからないまま頷こうとしたその瞬間、

「道長様がおよびでございます」

そんな密やかな声が聞こえました。
とすると、途端に顔が強ばった式部さんが、小さなお声で「行きます」とおっしゃいました。
いきなりのことにまたもやぼんやりとしていた私は、急に心配になり、「どうされたのですか?具合でも悪いのですか?」と申し上げたところ、式部さんは「精神の具合がね」と前を睨んでおりました。
これは何か、と睨んだ先を一緒に睨んだけれど何もなかったため、私は「すみません、この時代の服を貸してください」と式部さんに申し上げました。そしてまた、彼女の手をむぎゅぎゅっと握ったのです。

「私も一緒に行きます」

「なんじゃ、式部だけを呼んだはずであろう~??」

そう言いながら式部さんをコブラヘビかのごとく舐めまわすように見まくるのは、かの日本史有数の権力者オブ権力者、藤原道長さまでございました。ですが権力などコブラの前ではちんちくりんです。私は女の方をこんな目で見る卑劣なコブラにへにゃへにゃする気性はないのです。思い切りにらみつけてやりました。

「式部よ~、わしら二人だけでいいよのお~?」

ねっとりと言う道長さまに向かって、

「前もお断りしたはずですが」すぱんとよく切れる包丁のごとく応える式部さま。

「なんじゃその態度は。……そういえばお主、『源氏物語』の続きはどうなっておる?彰子も楽しみにしておるが」

彰子というのは、式部さまが先生としてお仕えになっている、道長さまの娘のことですよね、と私は頭の歴史コーナー棚を漁ります。

「続編を書こうと思っていて。これからこの方に手伝ってもらおうとしてます」

そう式部さんが言うと、「何?」と道長さんは私を見つめました。

そしてこう言いだしたのです。

「なんじゃ。よそ者を使って。もしや式部、わしに逆らおうというのか。わしのもとに来るのを嫌だと言うのか。
……許さんっ、もしお主がわしのものにならなければ、その続編、他の者に書かせることとするっお主が書くのを禁ずる!」
なっっっっ。えっっっっっ。私と式部さんは息を飲みました。
その様子を見て、道長さまもといコブラいやもうコブは、にちょにちょと笑っておりました。
――私は怒りました。お酒と本と甘いもの、そして世界中の美人さんがわたしはとても好きなのです。そんな美人さんを困らせようだなんて、一刀両断。
そして、今こそわたしの出番だと思いました。

そこで私は、とん、とそこにあった扇子を床に鳴らしました。

「道長さま」

道長さまは、怪訝な顔で私を見ました。

「道長さま、式部さんをおそばに置かれるのをやめるかわりに、物語をお出しになりませんか」

道長さまのお顔はますます怪訝になります。当然です。本当の道長さまの物語『栄華物語』はもう少し後に成立するはずですから。ですけど私は続けます。

「紫式部さんに、道長さまの素晴らしさ、すごさを表すような物語を書いてもらうのです。式部さんが書けばきっと後世に残るようなお話になります。するとずっとずっと先の未来にいる人まで『道長さまってすごい』と思うのです。この世には、「伝記」というものがたくさん存在します。「伝記」の例となるような本を私は持っていますし、どうです、「伝記」を式部さんに、書いてもらいませんか」
そう申し上げると、もう道長さまはぱああと顔を明るくされていました。式部さんや私の存在など頭から飛んでいるようです。「わしのことが、先の世まで残る!」

その思いつきにそれだそれだ、わしにはそれが足らないのだ、などと浮き足立って、もうそれしか考えていないような体で笑っていらっしゃいました。
道長さまのいらっしゃる藤原家の栄誉をたたえた『栄華物語』は、作者がどなたか分かっていないのですけれど、女の方であったであろうと言われています。本当はもう少し後の成立のはずですが、そんな「いつ成立したか」なんて分かるものではございません。「伝記」を書いてみようと思った紫式部さまが書いていたって、歴史の神様はぷりぷりしたりしないだろう、と私は思っておりました。

決まりですね、と私はにっこりと笑い、道長さまに申し上げました。

「それでは道長さま、お願いがふたつございます」

道長さまはこちらを見つめました。

「ひとつ、式部さんにもう手を出さないこと」

渋々頷き、式部さんは「書きますから」とおっしゃいました。

「ふたつ、式部さんが道長さまのこと、源氏物語の続きを書くために読みたいと思う「本」、もとい物語を、買い取っていただくこと」

道長さまは頷きました。
式部さまはほう、とため息をつかれました。
そして私はにっこり思ったのです。

―――――――――――――――――――――――――計画通り、と。
今回も、うまく、本を売ることができました。

先ほど申し上げましたとおり、私は天狼院書店という本屋で切り盛りしています。私はできるだけ本を売りたいですし、本でみなさまのお悩みを解決できたら、と思っております。
ですが、お酒と本と甘いものだけでは人がいらっしゃらないのもまた事実。そんなとき、私は京都には多数の「過去へつながる」場所があることを思い出したのです。
京都という街は不思議と素敵でいっぱいのところでございまして、なぜだか「過去へと通じる」ポインツがほかの地域よりも多いのだとお聞きしております。石畳の隙間、路地の隣、桜並木の奥の方。ふう、と息をついたときに、過去へ飛ばされることが多々あるのだと存じております。
それならば。もしかしたら、過去で本を売れたりもするのでしょうか。
私がそんなことを考えついたのは少し前のことで、試してみたら、もう大当たり。成功したのはこの度だけではございません。
結局今回も「買う」という文化がまだこちらにはなかったため、私は道長さまに、たくさんのお米と、ホンの少しの甘いものをいただけることになりました。まぁこんなふうに今回のように現物支給至上主義なことも多々ありますけれど、それでも全く売れない本屋さんよりも、過去の人にまで本を売ることのできる本屋さんの方がよいに決まっています。現代で売れない本屋さんでも、過去ではがっぽがっぽの大稼ぎ。
今回も「もしかして式部さんだけじゃなくて道長さまに売ることができるかも」と思って「伝記モノ」を「続編モノ」と一緒に持ってきた甲斐がありました。
生来ぼんやりして見られる私はきっと相手に「コイツ……本を売ろうとしておる!」なんて思われることが少ないのでしょう、私は実は敏腕書店店員、もといすこおしの編集者気分、はっはっは、と笑い声を裏では上げてるのでございました。ふふふのふ。へへへのへ。

そんなにやにやを私が抑えつつ部屋に帰ったところ、式部さまは言いました。

「いやーー肝が座ってるわあんた!ぼんやりなんて言ってごめんね!」

いえいえ、ぼんやり肝が座っているのです、私は。母に昔そう言われました。
そして道長さまもらったお酒を二人でちびちび飲みながら、聞いてみたいことがあったことを私は思い出しました。

「紫式部さん、聞いてみたかったのですけれど、光源氏のモデルさんがいらっしゃるっておっしゃってましたよね?」

そう申し上げますと、式部さんは急にぽっと顔を赤らめました。

「もしかして、最初、『あの人に届けたい』っておっしゃってた方は、その方でしょうか?」

私はずっと感じていたのです。源氏物語を読むたび、どうしてもあのタラシ男・光源氏に恋してしまう、と。きらきらきらきら、きっと作者の方から見た、桜色のお人が光源氏そのものなのだろうなぁ、と。

「それがもうどこにいるのかわからないのよ」

そう言ってひとつ、式部さんはため息をおつきになられました。

「『僕は君の物語を読みたい』って言ってくれたの。ただの彰子さまの家庭教師だった私に。
『僕は本が好きだしもっと面白いものをどんどん読みたい。絶対君の書くものは面白い』って」

でも、と彼女は目を伏せられました。

「その人、未来から来たんだって。未来ではもっとたくさんの物語があって、本屋っていう本ばかり並んでる場所があって、その本屋を自分が持ってるらしいの、その人。
だから私は、素敵な物語を書いて、未来まで残るような物語にしたいの。そしたらきっとあの人、読んでくれるわ。
私はずっと先までのこる物語を、あの人に届けたくて、こんなに書いているのよ」

愛おしそうに、それでいて少し泣きそうになりながら、式部さんは『源氏物語』の巻物を撫でられました。
道長さんにもらったお酒を拝借しながら、

「未来から……その人のお名前。わかります?」

とお聞きしました。すると紫式部さんはおっしゃいました。

「三浦崇典っていうの。」

――――――――――――――――――――――――――――――――――――あら。

そう呟いた時には私は意識がなくなり、気がついたときには京都天狼院におりました。
大量のお米と少しの甘いものを見て「ああよかった」なんて安堵しながら、
なんということでしょう。私だけのひみつだと思っておりましたのに、三浦さんは過去に行くことができるのでしょうか。
そんなことを考えました。
そして私が過去で営業活動や編集者のマネゴトのようなことをしている間、三浦さんは既に「源氏物語」を生み出すなんていう、本気の編集活動をおこなっていたのでしょうか。そしてまさかまさかの光源氏のモデルになってらっしゃったのでしょうか。
なんということ。この天狼院書店にはまだまだ不思議がいっぱいです。

「まぁ、今度お会いしたら、お聞きしてみましょう」

そう呟きながら、私は新たに『月桂冠』をあけ、頂いたおかしを取り出しました。そして源氏物語の『宇治十帖』を開いたのです。

ここは天狼院書店「京都天狼院」。
私は一介の大学生かつ書店店員で、好きなものはお酒と本と甘いもの、性格はぼんやりしていながら実はすこおし商人らしく計算高いこともございます。
なかなかお客様もいらっしゃいませんし、お酒と本と甘いものを堪能する、という秘密の贅沢を味わいたくなったら、一度立ち寄って頂ければ私はとっても嬉しく思います。
もちろんいつの時代の方でも、大歓迎でございます。

それではまた、ごめんやす。

※このお話はフィクションです。「私が京都天狼院の店長だったら」という妄想をふくらませてみました。すみませんでした。

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2014-08-24 | Posted in チーム天狼院, 記事

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