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*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【12月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:山村 江美子(ライティング・ゼミ平日コース)
※この話はフィクションです。
 
 
 
 
ファーーン。
 
高らかに響く別れの合図と共に車がゆっくりと滑り出す。
角を曲がり、いつもの大通りに出て車たちの流れに入る。
立派に成長した並木を過ぎるたびに、フッ、フッ、と風を切る音が聞こえる。
見慣れた風景には何故か色が無く、沢山の車両が視界に映るのに、耳に入るのは風切り音だけ。
静かで、世界が静か過ぎて。見慣れたはずの光景が始めて見る世界のよう。
 
どうしてこうなったんだろう。
いや、どこが始まりだったのか。
主人の棺に手を掛けて 私は考える。
 
あの時、大学病院のロビーでわんわん泣いた時だろうか。
それとも「どうやら胃を痛めたらしい」と薬を飲み出した時。
ううん。あれはそう、あの人に臭いを感じた時だ。
 
気が付けば寝室にも洗濯物にも漂っていた あの臭い。
主人ももう若くないんだなと苦笑した。
若いつもりでも身体は正直よ、なんて、可笑しくさえ思った。
日に日に濃くなり、忌々しい程まとわりついてきた、あの臭い。
今なら正体が分かるのに、気付かなかった。
鼻に付くようになっても、私が悪阻で敏感になっているのかと。
 
待望の息子だった。「男の子が欲しいな」
「息子と釣りに行って、彼の釣ってくれた魚で一緒に晩酌する。夢の妄想だよ」
なら産み分けで男の子にしよう、そんなに上手く行くもんか。
だから、「男の子ですね」そう告げられた時は あの人に早く伝えたくて喜ばせたくて驚いて欲しくて。
あの人は2人分の身体になった私を恐ろしく大切に扱い、気遣ってくれた、感謝を込めて。
きっともう、随分辛かったはずなのに。
大きなお腹に精一杯の私は、あの人にお願いし腰や背中を指すってもらう。
あの人は自分を隠して 優しい言葉を掛けてくれた。
 
初めて出会った時の印象は「大仏さんみたい」
打ち上げでお仲間が酔って行くのに、随分と強いのか、さして変わらずニコニコと話に相槌を打ちながら。
帰りには潰れた仲間を介抱し、大丈夫 ちゃんと連れて帰るよと。
良い人だな、優しい、しっかりした人だな。
 
「課長とデートしてあげてください」
いいですよと応じたのは人柄に惹かれたから
 
初めてのデートで、可哀想になるくらいに緊張し。
延々と 史上最強につまらない会社の、仕事の話をし続けた。
ものすごくつまらなくて、つまらなすぎて。
この人はきっと、上手に女の子と遊んで来るような事は出来ないだろうなって、可笑しくて好きになった。
 
何度目かのデートで、山崎豊子の『沈まぬ太陽』について、主人公が不当な海外赴任を延々と耐えるのが理解出来ないと話す私に、「大切なものが、守るべきものがあるなら僕も行きます」と言った。
この人となら家庭を築きたいと思えた。
 
「僕は随分と君より年が上だから、健康には気を付けるよ 長生きしたいからね。贅沢はさせてあげられないけど、不自由はさせない。君が好きで働く分には構わない、けれど生活の為に働いて欲しいとは絶対に言わないから、安心して欲しい」
だから、お嫁に来てください。
あの人らしくて嬉しかった。
 
寒くなって、息子が生まれて3人の家族。
それから年が明けて、胃だけじゃなく背中が痛いんだと。
病院に行った方がいいよ、口だけなのは赤ちゃんに夢中だったから。
 
ごめんね、パパ、ごめんなさい。
 
敷地に到着する。
家からさほど離れてはいない場所で 知っていたけれど訪れるのは初めて。
人が人としての形を全うする場所は、敷地内の全てを清めてあるかのように清浄な空気で満ちていて意外だった。
 
少し遅れて一同の乗ったバスが着き、姉に抱かれた2才の息子は、私を見つけて笑顔になった。
ここしばらく姉の家へ送られていた彼と抱き合って再会する。
彼なりに察したのか、葬儀の席では「ママ。ママ。」と騒ぐような事もなく
いつもと違う 聞き分けの良さを見せてくれた。
 
待合フロアにある子供用のスペースで遊ぶ彼を見守りながら、姉さんが「ねえ」と切り出す。
亡くなったのって13時くらいじゃない?
少し過ぎたくらい、どうして?
あのね急に火がついたみたいに泣き出したのよ。何があったのって、抱き上げてもなだめても、ちっとも止まなくて。それが急にぴたっと、あっちの方を向いて「あ〜あ、いっちゃったバイバイ」って。
それっきりけろっとして何もなかったように戻ったの。
きっと最後に会いに来たのね。
 
そうかもしれない。
 
残された日々は穏やかだった。
共に彼の成長を大切に愛しみながら。
「僕が子供の頃はなかったな」 電動で運転できる子供用の高級車。
いつか遊ばせてやりたいね。サンタさんのプレゼントにしよう。
まだ早いよ。早くてもいいよ。
 
小説のような ありがとうも さよならもなく
その時はただ呆気なく訪れ
臨終を告げられてからは慌しかった。
連絡、手配、沢山の弔問、泣き崩れるご両親、
進行、挨拶、失礼の無いよう 滞りないよう。主人の恥にならぬよう。
暇の無い慌ただしさに救われた。
 
最後の客を見送り、葬儀の方達にお礼を言う。
あの人の妻としての最後の仕事。
「もう1日だけお願いね」
あなたも一緒に来なさいよ、姉さんの心配そうな顔。
うん。まだやらなきゃいけない事があるのと嘘ぶいて。
「明日、迎えに行くからね」 明日はお母さんになるからね。
 
だから1日だけ私でいてもいい?
 
胸が潰れそうに怖い。
全てが済んだ今、とうとう向き合う時が来た。
どうしても。
あの人の居ない家に帰ること。
 
扉を開けると、私はどうなるんだろう。
悲しさで満たされて、パンって弾けて壊れてしまったらどうしよう。
何処にも居ないとわかってしまうのが怖いのに。
 
怖くても この悲しみを全部流してしまわなきゃ。
前に進むための まだ生きている私の儀式。
 
ひとつ、息を整えて 私はドアに手をかける。
 
 
 
 
***
 
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2019-11-01 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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