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京都に息づく日常食 衣笠丼


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:瓜生とも子(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
京都駅。古都の玄関は、広くて複雑だ。お上りさんに、決して優しくはない。
 
おまけに酷い混雑。どこもかしこも人が溢れている。
 
この街に住み始めたばかりの頃。この日私は、新生活に必要なものを買い足すため、朝からひとり動きまわった。近くで働いている夫と昼休みに待ち合わせ、京都駅のビルでランチのつもりが、どこも満席。店の外で待っている人たちもいる。
 
何とか蕎麦屋に席を見つけた。お腹ペコペコ。時間ないからサッと食べなきゃ。蕎麦より、腹持ちのいいご飯ものの方がいいかも。どんぶりのお品書きに目を通す。天丼、カツ丼、親子丼……ん?
 
「衣笠丼」
 
何だろう、聞いたことない。20年前にこの街で暮らした経験があり、関西人でもある夫に尋ねてみる。
 
「お揚げさんやねん」
 
うす揚げの、どんぶり? 肉っ気なし? 何て質素な。せめて何か海のものでも…って、ああ、無理か。
 
京都の街には海がない。四国出身の私が、千年の古都に対して唯一優越感を持てる点だった。
 
海がない、つまり新鮮な魚が少ない。あるにはあるが庶民の口には届かず、お高い「京料理」に取られる。同じ不条理は、東京に住んでいたときに経験済みだった。全国の漁港から築地に集められた質の良い魚介類は、高値をつけられ、庶民には縁のない遠い世界に行ってしまう。
 
フンと鼻を鳴らす私をよそに、夫は淡々と続ける。
 
「美味しいで」
 
いやいやいやいや。騙されないから。
 
10年ほど前、この京都で、とんでもない目に遭わされた。
 
まだ結婚前で、ふたりは海外に住んでいた。一時帰国したとき、かつて彼が「学生さん」として暮らした京都に初めて連れて来てもらった。行き先は全て任せた。「美味しいで」というお寿司屋さんに入った。お寺も見学したし、きれいな紅葉も観たし、目の前にはお寿司。私はずっと上機嫌だった。それを口に含むまでは。
 
「甘いやん!」
 
たまらず、お茶をがぶがぶ飲んだ。飲んでも飲んでも消えない甘さ。これは寿司ではない。白飯の砂糖水あえだ。砂糖責めの拷問。辛(つら)くて涙がぽろぽろ出てきた。
 
私の郷里の寿司は、キュッと酸っぱい。夫に言わせれば「土佐人は毎回、寿司酢に砂糖を入れ忘れる」。土佐と京都のこの味覚の違い、坂本龍馬は伏見寺田屋に潜伏中、一体どうしていたのか。
 
司馬遼太郎先生の小説『竜馬がゆく』で竜馬が「涙が出て止まらん」と泣く場面があったな。薩摩と長州の会談が失敗したときの嘆き。しかも泣きながら柄杓で水がぶ飲みしてたぞ。
 
砂糖漬けにされた私の脳内で、竜馬と自分が重なる。さては薩長同盟の前に、寺田屋お登勢に甘い寿司出されて泣いたことがあるんじゃないか? それにしても甘い。茶を、茶を……!
 
苦い、いや甘い経験のフラッシュバック。2度目の「美味しいで」を信じてよいものか。
 
お腹は空く。時間はない。ほかにどうしても食べたいものもない。
 
「えーと、衣笠丼ください」
 
待ちながら夫とスマホで調べてみる。元広島カープの衣笠とは、関係ないらしい。彼は京都出身だし、もしやと思ったが。人ではなく、山に因む名前。龍安寺の背後にそびえる衣笠山。龍安寺て、あの石庭の。ずいぶん前に、ふたりで行ったよね?
 
お、出てきた。早いな。
 
予想に反して堂々たるビジュアルではないか。卵とじで、九条ネギの緑がアクセント。なるほど山に見えなくもない。
 
何でも、昔の天皇さんが真夏に雪景色を見たいと言って、衣笠山に白絹を掛け雪に見立てて喜んだそうだ。ほほお……って、そんなエピソード出されたら嫌でも風情を感じてしまう。その手には乗らんぞ。肝心なのは味や、味。
 
ひとくち、食べて見た。
 
「……まっこと、すまんかった。わしゃあ間違うちょったぜよ」
 
『竜馬がゆく』にこんなセリフがあったかどうかは知らない。とにかく、これが正直な気持ちだった。
 
さすが京都、うす揚げそのものの味がしっかりしている。出汁をたっぷり吸って、肉に負けない存在感。若い人には物足りないかもれないが、おばはんにはちょうどええ。
 
甘くないかと夫が問う。その甘さ加減が絶妙だ。慣れない土地で疲れた心身を癒してくれる。
 
後になって聞いたのだが、もともとは、西陣などの職人さんの職場めしとする説があるそうだ。作業の合間に、さっと腹ごしらえ。確かに、常備の食材で手軽に美味しく栄養補給ができる。華やかな伝統文化を支えてきた職人さんたちの、日常食。発祥の背景に重みを感じる。
 
天丼ほど豪華でもなく、カツ丼ほどボリュームもないが、口にした者を唸らせる、隠れた名品。
 
この感動を京都人に熱く語っても、反応はクールだ。あんまり普通すぎてピンとこおへん、そんなもん家でも作るし、と。
 
運命的な出会いから、ほぼ3年。京都の暮らしに慣れてきた私だが、衣笠丼を注文するときの高揚と緊張は、いまだ変わらない。私にとって衣笠丼は、一見平凡に見えて、長い歴史に裏打ちされた落ち着きの「京都のおひと」だから。
 
さりげなく注文することができたら、私も京都人のはしくれになれるだろうか。そうやな、ほんの千年経てば。
 
 
 
 
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2020-02-14 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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