きれいな看板
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:郡山秀太(ライティング・ゼミ 日曜コース)
「これ自分で拭いたの?笑」
友達から、ちょっと意地悪なコメントがきた。
僕がフェイスブックにアップした、ある看板の写真についてだ。
中学1年のころ、あいさつ標語コンクールで特賞をもらったことがある。
大賞でもなく最優秀賞でもない。佳作、入選いろいろあるけど、特賞とは、なんなのだろう。
いわゆる参加賞のような賞だったように思う。
あろうことか、たくさんの特賞の中から、僕のあいさつ標語がなぜか選ばれ看板になってしまった。
大きさは2メートルくらい。
設置された場所は、山を無理やり切り開いて作ったような道路の、草がやんわりしげっている歩道。もう20年近く、そこにある。
年数が年数。汚れがひどい。
上の方には、水アカが黒くこびりついている。
でもなぜか、僕の名前と標語だけは見えるように拭かれているのだ。
その点について、フェイスブックで友達からツッコミがはいった。
自分の看板を自分で拭いている自慢したがりだと思われたのか。
確かに自慢したがりだけども。
でもね。
拭いたのは、僕じゃない。
「学校であったことを話しなさい」
すこし興奮した母が僕を問い詰める。
ちっ。やっぱり連絡があったな。
中学2年のその日、帰りが遅かった。
先輩に呼び出されて殴られてしまった。それが遅かった理由。
「先輩に」
「呼び出され」
「殴られる」
こんな漫画のようなことがあった。
僕も悪い。
先輩の名前を使って、つまらないダジャレを作っていたのだ。(ほんとうにつまんないやつ)
それが先輩の耳に届いたらしい。
「おい放課後、技術室にこい」
まじか。呼び出されちゃったよ。
先輩は怒っていた。
技術室は別校舎の奥にある薄暗い教室。
授業の日以外は、まず先生は通らない。
こうなったら応戦してやる。
こうやって、ああやって、戦ってやる。
イメージトレーニングしていたはずだった。
いざ技術室に着くと、先輩が怒鳴った。
足がすくむ。緊張してなにも考えられない。
反撃もくそもなかった。
ライオンに吠えられたシマウマは何もできないのだ。
先輩に、ボコボコ殴られてしまった。
「なめんじゃねえぞ」
これまた漫画のような捨て台詞を先輩は言いはなち、その場は終了。
教室に戻る。
だれから聞いたかわからないが、駆けつけた先生に事情を聞かれ、即、校長室。
殴ってきた先輩も入ってきた。
先生たちの前で先輩は僕に「すみませんでした」と謝る。
絶対許していない声で。
こういうことがおきると、家にも連絡がいく。
母は、僕から一部始終を聞くと少し黙ってからこういった。
「ごめんね。お母さんがいけないよね」
気がつくと、抱きしめられていた。
母は少し震えている。
ひとつも悪くないのに、いつも「お母さんがいけないの」という。
いつなのか覚えていないが、とにかく小さいころ。
風呂場の蛇口をクチでくわえて遊んでいたら喉に刺さり、出血を大量にしたことがある。
もちろんすぐに病院にいったが、そのときも「ごめんね、ごめんね」と抱きしめられた覚えがある。
もしかしたら母は、僕になにかあると、その時のことがフラッシュバックして、自分にいたらない点があったと思うのかもしれない。
先輩に殴られたその日。
家に帰っても、なにもなかったように、いつもどおりをよそおっていたはずだった。
ひさしぶりに抱きしめられたからなのか。
それとも、殴られたことが本当はとても、こわかったからなのか。
僕は、ぼろぼろ泣いてしまっていた。
母の愛をこの時ほど感じたことはない。
泣くなんてカッコ悪くてできない、と思う思春期。
強い男になったつもりで反抗期を送っていたはずなのに。
自分ではなんでもないような顔を作っていたつもりが、
さぞかし悲しい顔をしていたのだろう。
抱きしめる。
クチがうまくない母なりの愛情表現。
僕は、とても大切にされていたのだ。
「この看板、毎年、母が掃除してくれてるんだよね」
フェイスブックのコメントに返信した。
母はどうしても汚れているのが許せないのだという。
はじめて聞いた時は、なにもそんなことしなくてもと思った。
看板は両面で、実は後ろにも違う人の標語が書いてあるが、そこは汚れたままだ。
後ろの人、なんかごめん。
いまは、この看板が、親子ふたりをつないでいる。
僕は、実家のある九州から離れた東北で仕事をしている。
母は遠い地へ仕事に出てしまった僕を、もう、なにかあっても抱きしめることができない。
だから、せめて、あいさつ標語の看板をきれいにしているのかもしれない。
母よ、大正解。
帰省するたびに、文字のところだけきれいになっている看板を見る。
そのたびに、良い息子ではないことを、まあ悔やむ。(悔やむだけならだれでもできるよな)
20年もそこにある看板は、景色となって、もはや通行人は見てもいないだろう。
ましてや標語など読まれていないと思う。
だが、僕たち親子にとっては特別な看板。
なんでもない絵画も、見る人によっては価値を持つ絵画だったりするように。
たまに、あの看板の話になる。
「上の方まで手が届かなくて、きれいにできないの。ごめんね」
まったく悪くないのに、母はまた謝る。
***
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