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彼の背中を押したもの


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:脇 美由紀(ライティング・ゼミGW集中コース)
 
 
実に快活な男がいた。
中学、高校時代は軟式テニス部のキャプテンをし、大学のゼミやテニスサークルではリーダー的存在。大学卒業後は地元の商品メーカー企業に就職、明るく社交的な彼の性格が営業の仕事にピッタリ合ったようで、順調に営業成績を伸ばしていた。
そんな働きぶりが評価され、30歳半ばに管理職に昇進。会社史上最年少の栄転、大抜擢の人事であった。将来の幹部候補だと噂されていた。
 
広範囲の営業エリアを任されるようになり、一段と仕事が忙しくなる。担当エリア全体の営業成績を伸ばさなくてはいけないし、部下の管理もしなくてはならない。大きなプレッシャーを感じるようになり、期待に応えようと、毎日18時間働いた。それでも、仕事は溜まる一方だった。
そのうち、眠れない日が続くようになった。食欲もなくなった。やる気もなくなった。
 
家族の勧めで、カウンセリングを受けることになる。カウンセラーからは「すぐに精神科を受診した方がよい」とアドバイスを受けた。
すぐに精神科を受診、「一刻も早く療養が必要」と言われ、1カ月の休職療養を指示された。
うつ病だった。
1カ月後、会社に復帰したところ、降格人事が言い渡された。これまで自分の部下だった人が上司になっていた。
ショックのあまり、病状はどんどん悪化していった。営業なのに、外に出来ることができない。メールもできない。電話に出ることすらできなかった。
早退が増え、欠勤が増えた。
医者からは、再び休職療養を指示された。そのまま会社に復帰できる日は来なかった。
退職後、妻とは離婚した。いわば三下り半を突き付けられ、子を連れて家を出て行ってしまったのだ。以後、実家に戻り、ずっと母親の世話になっている。
迷惑をかけている自分のことをいつも恨んでいた。なんとか働きたいとも思っていた。しかし病状は安定せず、就職を考えるほどに回復することはなかった。
以来12年、家から外に出ていない。
 
これは、私が相談を受けた、ある男性の話である。
社会保険労務士になって15年、様々な相談にのってきた。
彼のように、仕事の忙しさから、体調を崩す人は少なくない。
 
彼が、“障害年金”という制度を知ったのは2年前のことである。
働くことのできない自分でも、収入を得られるかもしれない。
母親に頼って生きるのではなく、自分の収入として、もらえる年金があるだけでも、何か世界が変わるような気がした。
母親の助けを借りながら、障害年金の請求手続きを行った。
 
障害年金はもらえるものと思っていた。けれど、結果は不支給。
一歩を踏み出そうとしていたのに、自分の人格を全て否定されたように思った。
彼は奈落の底に突き落とされた気分になり、そのショックのあまり、数週間寝たきりとなった。
 
数か月が経ち、すこし落ち着きを取り戻した頃、障害年金がもらえなったことに怒りを覚えるようになった。そして、母親に付き添われて、私のところに相談に来ていた。
 
話す内容は恨み辛みばかりであった。
自分はこんなに辛い想いをしているのに、誰もわかってくれない。
こんなに苦しいのに、なぜ障害年金がもらえないんだ。
ずっと暗闇の中にいる、そう言って、彼は泣いていた。
 
彼が障害年金をもらえなかった理由は明らかだった。
 
障害年金をもらうには、いくつかの要件を満たす必要がある。
1つめは、年金制度に加入している間に、最初の病院にかかっていること。
2つめは、きちんと保険料を納めていること。
3つめは、一定程度の障害の状態にあること。
彼はこのうち、1つめの要件を満たしていなかった。
“年金に加入している間に、最初の病院にかかっていること“を証明するためには、病院の証明書が必要である。これは、病院にカルテが保存されていなければ書いてもらうことができない。
カルテの法的な保存期間は5年、彼が最初の病院にかかったのは12年前、カルテはすでに破棄されていた。
つまり、彼は、“年金制度に加入している間に、最初の病院にかかっている“事実がありながら、それを証明できていなかったのである。
 
打開策はある。客観的に、最初の病院にかかった年月を証明すれば良いのである。
私はすぐに、障害年金の再請求にむけて取り掛かった。
 
まずは、現在かかっている病院のカルテである。
彼がこれまで受診した病院は2つ。最初にかかった病院と、現在の病院であった。
現在通院している病院のカルテに、以前に通院していた病院の内容が記載されていれば、有力な証拠となる。問診ではうつ病になった経緯から話すはずなので、記載されている可能性は高い。
そこで、現在の病院のカルテを取り寄せた。そこには、「5年ほど前に〇〇病院で治療・・・・・・」と、最初の病院についての記載があった。
この資料は利用できると思った。ただ、この書類だけでの証明は、決定力に欠ける。補強する必要があった。
 
そこで、頼ったのが、精神科に行くようアドバイスをくれたカウンセラーである。カウンセラーは当時のことを覚えており、相談の控えを見ながら、第三者証明書という紙に詳細に記載してくれた。
 
次に頼ったのが、前に勤めていた会社の同僚である。会社を退職してからも心配をして、時々連絡をくれていた。会社でどんどん追い詰められていく状況や退職の経緯なども良く知っている知人であった。そして、第三者証明書での証言を得た。
 
3つの書類が揃った。
初めて病院にかかった年月を客観的に証明できる。これでイケる、と思った。
 
そして、4か月後、障害年金の証書が届いた。
障害年金をもらえることになったということである。
3つの書類により、年金制度に加入している間に、初めて病院にかかっていることが認められ、障害年金がもらえることになったのだ。
 
「アルバイトをしたいのですが・・・・・・」
障害年金をもらえるようになり、しばらくして、彼と会ったときの言葉だ。
以前と、表情が違っていた。
もらった障害年金の中から、少ない金額であるが、初めて、別れた子にお金を送ったのだという。
そんな自分が嬉しくて、頑張れる気がしたのだという。
 
「少しずつ、頑張ってみます」
彼から、恨み辛みの言葉は、もう聞こえてこなかった。
これまでは、うつ病を発症した頃のことしか考えず、辛い思いだけで生きてきた彼が、少しだけ前向きに考えるようになっていた。それは言葉として表れていた。
 
彼がほしいと望んだのは障害年金だったが、彼はその先の世界を見ていた。
暗い闇から抜け出すために、その先の世界に行くために、背中を後押すものが必要だった。
それが、障害年金だった。
 
障害年金は後押しさえしてくれればいい。
障害がなくなるまで、しばらく伴走してくれればいい。
障害がなくなり、年金がもらえなくなったとき、彼は、彼が望む世界にいるはずである。  
 
 
 
***
 
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2020-05-09 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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