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祖母の手 母の手 わたしの手


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:印田 彩希子(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
一人の夜は静かだ。
換気扇の回る音に、冷蔵庫のモーターの駆動音、虫が窓を叩く音。
いつもは素通りしている音がよく聞こえる。
こんなにたくさんの音に囲まれてるのに、普段は気づかないもんだとびっくりする。
今日は週に1回の一人の日。同居人は泊まりがけで仕事だ。
 
一人の夜は気楽だ。
ご飯はテキトーでいいし、家事も自分のペースでできる。お皿を片付けなくったって、誰からも文句は言われない。
仕事から帰って、夕ごはんをちゃちゃっと済ましていると、窓からいい風が入ってくる。
お腹も膨れたし、お茶でも飲もうかと食器棚を開ける。
 
ガチャガチャ、とグラスが音を立てる。
またやっちまった。
御同居人も私もお酒好きなので、普段はもっぱらビールに焼酎だ。
だから、湯呑みや急須は棚の奥に追いやられ、手前にはビールグラスや焼酎グラスが並ぶことになる。
たまにお茶でも飲もうかと戸棚を漁ると、グラスがガチャガチャと音を立てるのだ。
もっと丁寧に扱わないと割っちゃうぞと気を引き締めるのは、いつも湯呑みを引っ張り出した後。
(次に湯呑みを出すときには、また同じことをしちゃうんだよねぇ)
なんて考えながらお湯を沸かそうとして、とどめの一髪。
バッカーーン!!
ヤカンの蓋が床に落ちる音が部屋中に響き渡る。
お隣さん、こんな時間にゴメンナサイ……。
 
祖母によく言われた言葉が浮かぶ。
「物を扱う手つきには、人の本質が出る」
だとしたら私の本質はかなり雑だ。
 
祖母曰く。
顔や表情は鏡を見たりして、割と気をつかえる。
でも、手元は油断する。
家の外で、ガラスに映る自分の顔や髪型、服装はついチェックしてしまうが、手元は見ない。
油断があるからこそ、その人の本質が透けてしまう。
そして怖いことに、他人の手つきは注目してなくても意外と印象に残ってしまうもの。
だそうだ。
 
祖母は口うるさいが、所作は静かな人だった。
今でも覚えている風景がある。たぶん私が覚えている限りで一番古い記憶。
冬の寒い日、趣味の鎌倉彫をする祖母の姿だ。
私は昼寝のためなのか、布団に横になって、祖母の姿を見上げている。
こりり……こりり……。
彫刻刀で木を削る音だけが、部屋の静けさを引き立てる。
寝ている私を起こさないように気を使っていたのかもしれないが、彫刻刀を持ち替える時ですら、音もなく道具箱から次の一本を抜き取る姿が印象的だった。
 
そんな祖母のもとで育ったはずなのに、私の手元が油断だらけなのは母譲りかもしれない。
実際、ズボラなところのある母は祖母とよく衝突していた。
お皿の扱い方、野菜の切り方、うっかり出しっぱなしにしてしなった印鑑。
ちょっとしたところでつい気を抜いてしまう母は、祖母からお小言を頂戴する度にこっそり私に愚痴を溢すのだ。
 
使ったものは、元の場所にきちんと戻すこと。
道具の手入れは怠らないこと。
良いものを大切に、適切に扱うこと。
必要な手間を省かないこと。
これが祖母の信条で、横着を良しとしない厳しい人だった。
良く言えば、実直。悪く言えば、融通が効かなくて、偏屈。
身内だろうが他人だろうが分け隔てなく厳しい人だった。
 
祖母は鎌倉彫の他にも、習字、編み物、パステル画など様々な趣味を持っていた。
中でも一番長く続けていたのは茶道だ。
先生の資格を取って、家の和室で週に1回、近所の奥様たちに茶道教室を開いていた。
しかし祖母の厳しい指導に、賑やかで遊び半分な人たちはすぐに辞めていってしまう。
何を隠そう私もリタイヤ組のひとりである。たまに教室の端っこにお邪魔していたのだが、うるさくすると孫でも容赦なくすぐに部屋からつまみ出され、それを繰り返した結果「もう教室に来てはいけない」と出入り禁止を申し渡されたのだ。
厳しい指導を乗り越えた生徒さんたちは長く教室に通い続け、祖母が足を悪くして教室を閉めた後も長く交流を続けていた。
 
茶道教室を出禁になった私は、スイミングスクールに通い始めた。
私があまりにも泳げないことを心配した母親が通わせたのだ。
自分から志願したわけでもない習い事、当然モチベーションはかなり低いわけで、スイミングのある水曜日は毎週憂鬱だった。
行きたくなくてリビングでウダウダしていると、祖母に和室に呼び出される。
「これ飲んで、行きなさい」
ズル休みは許されない。
抹茶が出される。ご飯の時に使う湯飲みじゃなくて、おばあちゃんの茶道で使うお茶碗。
(これ、絶対高価なやつ)
手にずしりと収まる、丸い手触りに、緊張感が走る。
抹茶の目に鮮やかな緑色。唇に触れる陶器の質感が気持ちいい。
冷たさとほろ苦さが口に広がって、爽やかな香りが鼻を通り抜け、頭の芯が覚醒させられる。
「プール、行けるかも」
そう言うと、偏屈な祖母の口元が少し緩んだ。
 
今になって思えば、スイミングのあった水曜日はお茶の教室のない日だった。
それなのに、わざわざ道具を出してお茶を点ててくれたのだ。
手間を惜しまず。丁寧に。
物であっても、人であっても、彼女は等しく丁寧に扱った。
長く交流のあった生徒さんたちは、祖母のこういうところに親しみを抱いていたのかもしれない。
祖母のお茶は苦いけど、柔らかい味だった。
 
祖母が亡くなって、趣味で使っていた道具たちの幾つかを私と母は譲り受けた。
お茶の道具は私も母も手に余るものだったので、生徒さんたちに欲しいものを引き取ってもらった。
私がもらったのは裁縫箱。元々使っていた裁縫箱は幼稚園の時から使っているプラスチックケースでもう良い加減ボロボロだったのだ。
譲り受けた裁縫箱の中の針はどれもピンと真っ直ぐで錆ひとつない。
見るからに美しい縫い目が約束されている感じがする。
私のプラスチックケースの箱の針山に刺さっている曲がった針とは大違い。
針供養するのが面倒くさくて役目を終えた針を無理やり使い続ける私は、横着者だ。
「人の本質なんてそうそう変わらない」
曲がった針にそう言われているような気がした。
 
この前、久しぶりに実家に帰った。
母から、数年前から習い始めた習字がちょっと良い賞をもらったの、と報告を貰ったのだ。
作品を見せてもらうと、するすると踊るように書かれたかな文字が心地よい気がする。
「おばあちゃんのお習字道具のおかげかもね」
母は習字道具を譲り受けたのだ。
(お母さんってもっと雑な人じゃなかったっけ?)
流しで使った筆を洗う姿は、迂闊に鍋ぶたを落としていたあの姿ではなかった。
母の背中が、記憶の中の祖母の背中と重なった。
水の音と、筆から流れた墨が流しに跳ねる音だけが、静けさを際立てる。
 
母は父と23歳で結婚した。
同じ年に横浜に家が建って、義父母と一緒に住み始める。
結婚と同時に家が建ってそこに入るなんて、ちょっと完成されすぎててゾッとする。
逃げ場なく、外堀を完全に埋められちゃった感じ。
23歳なんてまだ若いじゃん。お母さんよく決心したよなあ、と尊敬する。
それから1年経って私が生まれた。
母がこの家に入って36年。そのうち祖母と過ごした時間は30年。
きっと長い時間をかけて、母は祖母から物を扱う手つきを受け継いだのだ。
 
私の手つきもいつか変わる時がくるのかな。
誰かの手つきと、私の手つきが交わる日。
 
明日は同居人が帰ってくる日だ。
窓から、どこかの家の、家族の話し声が風に乗って届いてきた。
 
 
 
 
***
 
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2020-05-28 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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