そこに愛はあるのかい?
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:西田千鶴(ライティング・ゼミ日曜コース)
「実は、この方、奥さんに暴力をふるっていたんです」
そばにいる本人に聞こえないように、役所の福祉担当の方が声を潜めて教えてくれた。
私は成年後見人という仕事をしている。成年後見人は、認知症等になった人の代わりに、お金の管理をしたり、いろいろな手続きをするのが仕事だ。今回、私が担当になったのは自宅で一人暮らしをしていた認知症の高齢男性。症状が進んで、日常生活を送れなくなったため、施設に入所するタイミングで、出会うこととなった。
元々は奥さんとの二人暮らしをしていたが、奥さんが先に認知症になってしまい、さらに、彼からの暴力が絶えないため、別の施設で暮らしているとのこと。
そんな話を聞いて、心なしか緊張する。大丈夫だろうか。いきなりキレて殴りかかられたりしないだろうか。
「はじめまして。よろしくお願いします」
こちらの心配をよそに、見慣れない顔が物珍しかったのか、彼は終始ご機嫌だった。長年勤めてきた仕事のこと。家の網戸が壊れて直したいこと。パチンコで儲けたことなどなど、自分の半生を行ったり来たり。初対面ながら色んなお話を繰り返し繰り返しながら話してくださる。私は少しホッとした。
ただ、奥さんの話になると表情が険しくなった。「あいつは、いつもこそこそと外にでかけていく。仕事場で一緒だったヤツと会ってるんや」言葉の端々から腹だたしい気持ちが洩れてくる。だけど、話を聞いていると、場所も経緯も全く辻褄が合わない。その相手が実在している人物なのかすら怪しい。だけど、とにかく、他の男と会っている(と本人が思い込んでいる)奥さんに怒りを感じているのは確かなのだ。
認知症が進んでも、これだけ奥さんのことを覚えていて、気にしているんだから、きっと奥さんのことを愛していらっしゃるんだろうな、位に、私はのんきに考えていた。
そんなある日、奥さんに会いに行きたい。と彼からリクエストがあった。そりゃ離れて住んでいたら、たまには会いたいよね。なんて、私も、気軽に考えて、奥さんの住む施設へつれていくことにした。車いすを押して、奥さんの部屋へ会いに行く。数か月ぶりの夫婦対面。どんな話をされるんだろう。奥さんもきっと喜ばれるだろうな……。私の頭の中では、老ご夫婦のほのぼのとした久しぶりの再会を想像していた。
ところが、部屋に入って奥さんの顔を見た途端、彼は車いすから突然立ち上がり、さらに殴りかかろうとしたのだ。
「おまえというヤツは!……!!」
奥さんは、ご主人の顔もわからず、目の前で何が起きているのかもわからず、笑顔のままでぽかんとしている。私も含め、周りの人間は、立ち上がろうとする彼を車いすに座らせ、二人の距離を離すのに必死だった。
それ以来、周りから、奥さんの話題を出すこともなく、彼からも会いに行きたいという言葉は聞かれることがなかった。
しばらくして、奥さんが亡くなった。
二人の間には、お子さんがおらず、頼れる親戚もいない。私は、あわただしくお葬式の段取りを進めながら、彼を奥さんに会わせるかどうしようか迷っていた。
あの時の彼の怒りに満ちた顔が目に浮かぶ。
奥さんのことを怒ってるのかな。未だに許せないのかな。
50年以上も寄り添ったご夫婦の最後なのに。やっぱり顔だけでも見てもらった方がいいんじゃないだろうか。
だけど、せっかく状態が安定しているのに、奥さんを思い出させるのって、どうなんだろう。また興奮して、混乱をされるのもちょっとなあ。
施設の担当者の方も含めて、あれやこれやと考えたけれど、正解なんてどこにもない。ご本人の気持ちなんて他人の私にわかるわけもない。だけど、ご夫婦のこの世でのお別れの日はもう目の前に近づいている。どうしよう……。
結局、葬儀場へきてもらうことにした。葬儀に参列するのは無理なので、せめて前日に顔だけでも見てもらおうということになった。
施設からタクシーに乗せられてやってきた彼は、何が起こったのか? なぜここに来たのか? よくわかっていない様子だった。
車いすを押して、奥さんの顔を見せにいく。
「〇〇さん、奥さんですよ」
彼はどんな反応を見せるんだろう。
周りが息を飲んで見守る。
彼の顔に広がったのは、困惑の表情だった。
「この年取った女性はだれ? なんで眠ってるの? ここはどこ? 周りの人たちは誰?」
彼は不思議そうにきょろきょろと周りを見渡した。彼には今の状況が全くわかっていなかったのだ。
その表情を見ていると、なんとも言えない気持ちがわいてきた。あれだけ、怒りに満ちて奥さんを罵っていた人が、今、その奥さんを知らない他人を見るような表情で見つめている。
結局、彼はそのまま施設へ戻っていった。
認知症が進むと、記憶が次第に薄れていくのは知っている。だけど、50年以上もずっとそばにいた人のことすら、きれいに忘れてしまうものなのか……。
その後、認知症が進み、彼の表情は穏やかになっていった。私が行くたびに、子供のような笑顔を見せてくれる。あんなに激高していた姿が嘘のようだ。
暴力をふるった過去は消せるものではない。だけど、純真な笑顔を見ていると、暴力夫と決めつけることに違和感を感じるようになった。人が生きていく中で、いろんな思いがある。ご機嫌な時もあるし、怒りに震える時もある。誰かを許せないこともある。暴力をふるうのも、その人がたくさん持っている面の中の一面にしか過ぎないんじゃないのだろうか。
それは夫婦関係も同じ。もちろん暴力をふるうのは許されないけれど、かわいさ余って憎さ百倍ではないが、この方なりの精一杯の愛情表現だったのかもしれない。彼の穏やかな笑顔を見ながら、私は思った。
2年後、彼も奥さんの元へ旅立っていった。
今度こそは、大好きな奥さんと上手な夫婦関係を作ってくださいね。
***
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