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あるもの探し


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記事:ワタナベアツコ(ライティング・ゼミ夏期集中コース)
 
 
夫が、壊れた。
 
その頃、私のお腹には2人目がいた。「ねぇ、もう少しで、2人目が生まれてくるのよ。今のままのお給料じゃ、やってけないの、分かるでしょう」。上の子を寝かしつけ、一息ついた夜更け、ようやく帰ってきた夫を責めた。
夫の労働時間は私よりはるかに多い。でも、給料は私よりはるかに少ない。そして、責任はすごく重い。コスパが悪すぎる。毎日何時まで働いているの。妊娠中のイライラもあって、夫を口撃していた。帰って早々妻から責められた夫はキッチンに向かって、蛇口をひねり、水を一杯飲んだ。
その次の瞬間、バタンと大きな音がした。
振り向くと、夫が倒れていた。
一瞬、ふざけてるのかと思った。でも、起き上がらない。大声で叫ぶ。
「ねぇ! どうしたの!?」
「えっ、何?ちょっと! 救急車呼ぶ?」
 
あたふたしているうちに、うっすら目を開けた。長く思えたけど、気を失ったのは数秒程度だったのかもしれない。
夫は、しばらく休めば大丈夫と寝室に向かった。
 
次の日、夫は病院で検査を受けた。内臓、血液、脳。全部診てもらった。
でも、どこも異常はなかった。身体には原因が見つからない、という。「疲れから来るストレスですかね」と総合病院の医者は言った。
夫は、心療内科の門をくぐった。
 
考えてみれば、兆候はあった。
お調子者でよく人を笑わせていたのに、眉間にシワを寄せ、壁を無言で睨みつけていることが増えた。スピーチが得意だなんて言って人前で話すことが楽しそうだったのに、数人の打ち合わせも嫌がるようになっていた。人と会うと疲れる、と言っていた。そして、あんなに穏やかな人だったのに、ずっとイライラしていた。
 
彼の会社が数年前から大変な状況にあるのは知っていた。かかってくるクレームの電話、その対応を彼は一手に引き受けていた。面前で罵倒されたことも1回ではない。年中忙しかった。周りの皆が彼を頼っているのは、夜もひっきりなしに鳴る携帯の音で分かっていた。そんな状況で、家に帰れば妻は愚痴ばかり。夫には安らげる場所がどこにもなかった。
心療内科を受診した日、「ずっと、辛かったけど、ずっと言えなかった」と夫は言った。何年前も前から、ずっと苦しかった、と。
 
夫を追い詰めたのは、私だと思った。
もともと優しい人だから、お前のせい、なんて絶対言わない。でも、大変な状況だと聞いていたのに、口を開けば夫を否定する言葉、批判する言葉を投げつけた。あんなに冗談好きで、よく笑い、優しくて、辛抱強かった彼が、こんな風に人格が変わってしまうまで放っておいてしまった。後悔で、胸が潰れそうになった。
 
思えば、私は、ずっとナイものに目を向けていた。
学生時代から、自分に何か足りないと思えば、努力して手に入れた。そして、また、未だ手に入れてナイものを探した。私が、夫を壊したのだ。
 
お給料の話も、もうしない。どうでもいい。そんなものは、私が稼げばどうにかなる。
それより、彼を支えるよう。彼の気持ちに寄り添うようにしよう、と思った。
もう、ナイものを追い求めない。私は、「あるもの探し」という言葉を思い出した。
 
あるもの探し、は10年ほど前に観た『降りてゆく生き方』という映画で知った。観た時は「ふぅ〜ん」って思っただけだった。映画の内容はほとんど覚えていないけれど、その言葉はずっと残っていた。
 
少しずつ、「あるもの」を探す日々が始まった。
すると見える景色が変わってきた。
私は意外にもたくさんのものを持っていた。
優しい夫、可愛い娘、気のいい仕事仲間、やりがいのあるボランティア、愚痴を言い合える友達、いつも気遣ってくれる優しい義母……。挙げるとキリがないくらいだ。
 
しばらく経ったある日、夫が言った。
「この前、俺のこと“幸せ上手”って言ったじゃん。あれ、嬉しかったなぁ」
「あれ以来、オレなんか元気出るんだよ。オレって幸せ上手なんだ、って」
 
特に深く考えた発言じゃなかった。でも、夫は思いの外、喜んだ。それから、夫の行動をポジティブ変換してみた。忘れっぽいことは「過去を振り返らない男」、調子に乗りやすいのは「褒めがいがある」、気が弱いのは「共感力があって、優しい」。伝える度に、夫は、目を大きく開いて喜んだ。
 
それまで確かにそこにあったのに、モヤがかかってはっきり見えなかったものが、名前をつけると輪郭を帯びて浮かび出し、形が鮮明になってくることがある。あること探しは、文章にタイトルをつける作業と似ていた。
 
あれから2年。夫は、心療内科の薬やカウンセリング、本人の工夫もあって、徐々に自分らしさを取り戻し始めている。昔のように、陽気に子供の前で裸踊りもするようになった。
 
あるもの探しは、宝探しだ。私の周りにはたくさんの宝があることに気づけた。いやだ、苦しい、嫌いだっていうネガティブな感情だって、大切な私の「あるもの」だということにも気づいた。
私は、これからも「あるもの探し」を続けていきたい。
 
 
 
 
***
 
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2020-08-23 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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