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そういえば京都には2年間住んでいた《古き良き時代編》


Yamamotoさん 京都

記事:Mizuho Yamamoto(ライティング・ラボ)

 

東京に比べると、関西は大学も少なく、私大の雄は4校「関関同立」。関西大、関西学院大、同志社大そして立命館大。後ろから2校が京都にある。いくつかある女子大の中で、当時就職率で群を抜いていたのが、京都女子大学の今は無き短期大学部。仲良しグループの自宅生は、現在からするとずいぶんあっさりと、三井物産、三菱商事、住友商事などに就職を決めていった。

残念ながら地方出身の下宿生には、大手企業の受験資格(自宅生のみ)がなく、地元に帰って公務員になるか銀行に勤めるのが常だった。

短大は、入学する年と卒業する年しかないから忙しく、うかうかしているとすぐに終わると脅されながらの学生生活。それでも楽しめるのが、当時の私たちだった。

持ち回りで幹事を決めて、他大学とのコンパを行い、関関同立制覇。京大、阪大、神大ももちろん制覇。それぞれの大学のカラーがあって面白かった。

ええとこのボンボンが多い関学は、噂どおりに、コンパが終わって帰るときに、「お車代」といって、封筒に入れて会費全額を返してくれた。ありえない大学生の振る舞いに、みんなびっくり。京大生は、1次会の会費を浮かして2次会は自分たちだけで飲むと不評だったが、真偽のほどは定かではなかった。

我ら京女生は、部活動を京大生と一緒に行う習わしがあり、私も京大写真部へ入部した。暗室でのフィルム現像は、未知の世界。浸した液体の中に少しずつ画像が浮かんで来た時の興奮は忘れない。白黒写真の奥深さと、フレームに被写体をどう収めるかを学んだ。

そして、その時の部長といけばなの行事で上京した青山の小原流会館で10年ぶりに再会。
流誌の編集長となっていた彼に、「先輩」と呼びかける私は、いけばな人に「京大卒」と勘違いされ困った。未だに勘違いしている人は、そっとしておこう。

当時は京都芸大の美術学部が近くにあり、女子大の学食に、油絵具で汚れたジーンズのお兄さんたちが食事をしていても、

「また来てはる」

と思うだけで、「学外の人お断り」のサインもどこ吹く風。

私たち仲良しグループは、芸大に入りびたり梅原猛学長の講義に潜り込み、芸大の守衛をして学費を稼ぎながら絵を描くお兄さんたちと仲良くなった。交流が未だに続いているのは、ほんとうに不思議だ。

芸大生の美意識には脱帽だった。夏は、守衛室で大なべにお湯を沸かしてそうめんを茹でそうめんパーティ。ゆであがったそうめんを流水にさらし、陶芸科で焼いたお皿と小鉢を用意し、おなかペコペコでいただきます!と言った瞬間「待った」がかかる。

「そうめんの白だけでは色合いが寂しいから、笹の葉を敷こう」

守衛室の裏に笹の葉を取りに行き、洗って皿に敷く。

その間5分ほど、お預け状態で待つ私たち。

秋が深まると、銀杏の木が色づき銀杏が怪しい匂いを振りまいて落ちている。それを洗って干して、銀杏ごはん、焼き銀杏、茶碗蒸し。
銀杏尽くしの料理が、学園祭のおかまバーで振る舞われる。なんて自由な、ビバ芸大生!

今は音楽部と美術学部が合体し、郊外のキャンパスに移転して久しい。上品な音楽部と同居できるのかが当時の美術学部のお兄さんたちの最大の心配事だった。

卒業後、京都を訪れることは数年に1回程度。
しかし、私はある策略を企てていた。娘を私の母校に行かせよう。4年間のあいだ娘の部屋を拠点に、京都をまた楽しもう。

ところが、2人の男の子の母になった。どれだけ勉強を頑張っても、女子大には入れない息子たち。
そこで作戦変更。長男を東京に、次男を京都にやって両方に遊びに行こう!

残念ながら長男は、東京の私大からことごとく嫌われ茨城大学へ。水戸市もなかなかいい街だったので、何度も訪れたが。

次男は関西へと、京都、大阪、神戸の私大受験。母子で受験校確認の途中、山にある大学から電車で降りて、タクシーに乗ったとき次男が言った。

「京都にはさぁ、もっと平地に大学ないの?」

そこはちょうど百万遍。京大が見えていた。

「すみませんが、そこに見えるのは京大です」

「げっ、ムリムリ……」

大阪中之島のホテルで、当時79歳の難波っ子の父と受験引率を交代して長崎に帰った私。

「おじいちゃま、今日の夕食は京料理」

「神戸に来たら、神戸牛だね!」

「通天閣に行きたいなぁ」

次男は、祖父との受験旅行を満喫して浪人生活へ突入。翌年、縁あって法政大に合格し東京へ。

残念ながら京都との縁はつながらなかったが、そこは転んでもただでは起きない母親の私。
次男の大学の通信教育部3年に編入。夏休みは3週間のスクーリングを、次男の早稲田夏目坂のアパートから通うこと5年。5年??

はい、次男はオーストラリアに留学しても4年で卒業できるはずなのに、4年生になって教職を取りたくなって、プラス1年科目等履修生。家賃を払っている立場として、文句言わせずに夏場の3週間アパート滞在で、学位記を手にした母だった。

気づいてみると、母娘で京都女子大は無理だったが、母と息子で法政大という脇道に逸れつつも目標がある程度かなったことには満足している。

そして現在88歳の父は、今も時々懐かしがる。あの時の孫との関西旅行楽しかったなぁ……と。
受験旅行だったことは記憶にないほど、関西は、そして京都は素敵な観光都市なのだ。

 

***
この記事は、11月まで開催していた「ライティング・ラボ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
2015年12月からはラボからさらにパワーアップした「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、店主三浦のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。

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2015-12-22 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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