メディアグランプリ

平成28年2月29日午後6時15分、私は北に逃亡する ≪逃亡の軌跡#1≫


記事:小堺 ラムさま(ライティング・ゼミ)

 

平成28年2月29日午後6時15分、私は北に逃亡する。
4年に一度だけ巡ってくる特別な日に、私は逃亡する。

逃亡をスタートさせる日まで、あとわずかだ。
この日が来ることを私はどんなに待ち望んでいたか!

私はこの逃亡を最期まで完全遂行することができるのだろうか。
それは、今の私にはわからない。

私はここに逃亡の全記録を記す。
無事に逃亡を果たすことができたならば、勝利の美酒に酔いしれながら、独り、完成された逃亡記を読むこととしよう。
しかし、万が一、私が道半ばで果てることがあったとしたら、どうか皆さん完成することのなかったこの記録を私の代わりに読んでくれないだろうか。
うるう年のあの日、逃亡を図った女がここにいたということに思いを馳せていただけないだろうか。

逃亡を企てる人物というと、政治的に失脚した男や稀代の大悪党を人は想像するだろう。
或いは、痴情のもつれから人を殺めてしまった、どこか訳アリの女をイメージした人もいるかもしれない。
これから実際に逃亡を図ろうとしている私という人間そのものは、そんなドラマチックな人生を送る逃亡者像から見事にかけ離れた存在だ。

サラリーマンの父親と専業主婦の母親のもとに生を受け、幼い頃に父親が酒に溺れて仕事を追われ、母親が夜の街で働くようになり男を作って蒸発してしまったという展開は、テレビドラマの中の作り話だろうと思って疑わない、何とも幸せな少女時代をありふれた地方都市で過ごした。
部活動に精を出しクラスで二番目に爽やかな男子に告白し玉砕してみたりしている合間に少しだけ勉強をし、たいして進学を熱望もしなかったけど皆がやっているからという理由で受験して合格した第二志望の大学に進学した。
大学では飲食店でアルバイトをしながら単位をとりつつ、あっという間に大学三年になると就職活動をして、その時人生で初めてちょっとだけ自分と向き合い葛藤した。
しかし、内定をもらったらそんなことは忘れ去り、残りの学生生活は遊びまくって卒業した。
入社した会社で、目の前のことに必死に取り組んでいたらそれなりに認められ、昇給という形で頂くお給料の額も上がっていった。
8畳ワンルームから始まった一人暮らしの自宅も、今ではテラス付き2LDKに成り上がった。
仕事は、我が社の業務の中で強いて言うならやってみたかった花形といわれる職種も経験した。
憧れの業種も、実際にやってみれば、理想とはかけ離れた現実のいやらしさとやるせなさがつきまとった。
何人かの男とそれなりに付き合い、結婚話も出たけれど、その男と一生を供にしたいかと自分に問えば、出てきた答えはノンだった。

社会的立場のある仕事があり、十分な収入、公私ともに充実した人間関係に恵まれている。
傍から見れば何ら欠けるところの無い順風満帆な生活のように人は思うだろう。
実際、表面上は面白おかしく生活していた。
それなのに堪らなく虚しかった。
快適に生きる為に必要なパーツはほぼ全て揃っている私の人生だけど、一番大切な核のようなものが初めから存在していない、そんな感じだった。
どこにでもあるようなありふれた人生。
明日、見知らぬ誰かが私と入れ替わったとしても、そつなく代わりができる。
それが私の人生だった。

このままこんな毎日がずっと続くのだろうか……
私は目を閉じてイメージした。
1か月後、1年後、そして3年後…
私をとりまく環境は微妙に変化したとしても、私を襲う虚ろな痛みは何も変わることがなく、きっと普遍的に続くだろう。
これじゃあまるで屍だ。
このまま何の熱意もなく虚ろに生き続けても、生きている意味がないのではないか。
私は居ても立っても居られなくなった。
直ちに動かなければ!
現実を変えなければ!
そのためには、一思いに環境を変えるんだ。
そうだ、一刻も早くこの場所から動こう。
この恵まれた環境を不満に思うなんて、ありがたみがわかってないんだって人は言うに違いない。
そして、ここから動こうとする私の行動を「逃げ」だと揶揄して、現状にがんじがらめにしようとする人が現れるだろう。
逃げだと言われても構わない。
自分が心から望んだ人生を送るため、この恵まれた環境から逸脱する、大いなる逃亡劇の始まりなのだ。
そう決意したのが昨年の12月3日だった。

記念すべき逃亡開始の日を、後の人生で絶対に忘れることがないように、4年に一度しかない2月29日に設定した。
ここで重要になってくるのが果たしてどこに逃げるのかということである。
逃亡というイメージには、南国は似つかわしくないと思った。
そんな安直な発想から私はできるだけ北に逃げてみようと考えた。
確固たる目的地を定めることをせず、その時その時の気分で様々な町へ足を向ける。
ルールはただ一つ、「北へ向かうこと」。

こうして私は逃亡を決意して3か月間で、おおまかな逃亡計画を練った。

さあ、逃亡開始の日まであとわずかだ。
残された時間で身の回りを整理し、今の自分に別れを告げよう。
平成28年2月29日午後6時15分、私の北への逃亡劇が始まる。
4年に一度巡ってくるこの日に、私は現実を変える旅に出発する。

≪次週に続く≫
***
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2016-02-25 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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