メディアグランプリ

突き抜けたい、でも目立ちたくない。末永く彷徨ったこと。


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記事:青子さま(ライティングゼミ)

あれは社内の昇進試験の時だっただろうか、上司からの推薦コメントにこう書かれていた。
「バランスのいい人材」

しかも、上司はこの言葉を見つけるまでにかなりの時間を要した。
「一言で君を評価するのは難しいな」と言いながら、しばらくの間、うーん、うーんと考えていた。

他の対象者たちの推薦コメントをこっそり見せてもらうと、
「営業能力に長けている」
「情報分析能力が高い」
「卓越したプレゼン能力」
などと、どんな能力に秀でているのか、具体的に記されている。

それに比べて私へのコメントはなんだ? いったい「バランスのいい人材」とは何なのだ。

推測するに、おそらく、上司の思考はこんな感じだったのではなかろうか。
「うーん、この子は何かが特別に長けているってわけでもないんだよな。でも、推薦コメントを何か書かなくては……強いて言えば、とりあえずオールマイティに、ほどほどにこなせるから、バランスがいいという表現にしておくか……」

確かに、誰にもこれは負けない! というような突き抜けた能力がないことは、自分でもよく分かっていた。周りのすごい人と比べて、私はなんでも中途半端だし、自信を持ってアピールするものがないのだ。

でも一方で、ほどほどがいいと許している内なる自分がいることも、うすうす気付いていた。

だから、この推薦コメントを見ても「やっぱりなぁ」という気持ちしか湧かなかったし、むしろ、それでもなんとか「バランスのいい人材」という言葉を紡いでくれた上司に申し訳なさすら覚えた。

そんなわけで、会社員時代はいつもどこかに劣等感を感じていた。

あれから何年も経って、会社を辞めたのちに、私はフリーランスとなった。

組織に属していないから、上司から評価されることもなくなった。

でも今度は、お客様に言われた。
「バランスがいいですよね」

あぁ、また言われた。
前職の上司が見せた、困った顔が浮かんできて複雑な気持ちになる。お客様は推薦文を書く必要もないのに、どうして同じ言葉で私のことを評するのだろうか。

お客様は、良い意味でおっしゃってくださったようだし、それほど深い意味があるわけでもなく、会話の流れで何気なく出た表現だった。

それでも素直に受け入れられなくて「やっぱり、具体的に褒めるところがないから、バランスがいいという表現になるんだ」と、内心ひねくれた感想を持った。

私はやっぱり何かに突き抜けた能力や才能が欲しい。
「他のことはてんでダメだけど、こればかりは誰も追随できない」
そんな、とんがった生き方をしている人にちょっと憧れる。

バランス人間という評価は、可もなく不可もなく、あなたは中途半端ですよ、と言われているようで悔しいのだ。

でも、一方で、深層心理を拾っていくと、他の人からバランス人間と見られるように仕向けているのはほかでもない、私自身なのかもしれなかった。出来るだけ突き抜けないように、周囲から逸脱しないようにと、こそこそと生きてきたような気もするのである。

そうだ、私は目立つことが怖いのだ。
人と違うことをして目立つと面倒だ、という思い込みを持っていることに気付いた。
それは、たぶんあの出来事があったから……。

それは、小学校1年生の時だった。
私がとっても気に入って、大切にしていたものがあった。
48色の色鉛筆だ。
いろんな赤があって、いろんな黄色があって、その微妙な色のそれぞれにちゃんと名前がついていた。

うすべにいろ、べにいろ、べにかばいろ。
やまぶきいろ、たまごいろ、れもんいろ。

美しいグラデーションが広がる世界に触れると、うっとりした。
だから、いつも持ち歩いていたくて、学校でもそれを使っていた。

でもある日のこと、保護者会から帰ってきた母から12色の色鉛筆を渡された。

「明日から、学校にはこの12色の色鉛筆を持っていくのよ。48色の色鉛筆はおうちだけで使ってね。学校に持っていくと、羨ましいと思うお友達がいるから」

私のお気に入りの色鉛筆が保護者会で問題になったらしいのだ。

「お宅のお嬢さんが48色の贅沢な色鉛筆を使っていて、うちの子からねだられて困る。文房具はクラス全員、統一しませんか」

そう発言した保護者に、母は頭を下げながら帰ってきたらしい。

そのいきさつを知って、私は「人と違うことは、なるべくしない方が良い」という暗示を、自分自身に与えてしまったのだ。それからだ、周りと出来るだけ足並みを揃えようと意識をするようになったのは。

表層では、突き抜けたい、人と違うことをしたい、そう思っているのに、心の奥底では目立つことが怖くて仕方がなかった。考えてみたら、これまでも折に触れ「突き抜けたい、でも目立ちたくない」の両極の考えが交錯していたように思う。

だから私は、「その他大勢」の輪の中にいることを安全圏としていた。他の人と違うことをして、それが誰かを傷つけたり、嫌な思いを抱かせるくらいなら、自分の色を消して「その他大勢」という名のグループに溶け込んでいた方が楽だな、というような……。だから何に対しても、ほどほどに向き合おうと無意識にブレーキをかけていたかもしれない。

その態度が、周囲の目には「バランスの良い人」として映っていたら、なんという皮肉であろうか。
バランスがいいのではなくて、ただの逃避である。
嫌われたくないという自己防衛手段である。
目立たないための隠れ蓑として「バランスのいい人」を演じていたに過ぎないではないか。

だから、バランスがいいと言われると、居心地が悪かったのだ。
そして、きっと心の中ではそんな生き方に、いい加減飽き飽きして、周囲を気にせず、自由でいることを渇望しはじめたのかもしれない。

ある時、私はアメリカンインディアンの言葉に出逢った。

「宇宙は、バランスをとろうとする。
この世には良き事があれば、悪しきこともある。
それはいつもバランスの中で起こる」

この言葉を知って、私はデッサンをしている時の感覚を思い出したのである。
光を描こうと思うなら、影を描く。
強い光を表現したいと思うなら、より濃く影を作る。
陰を描かない限りは、光の輪郭は浮きあがらない。

ついつい光だけを求めてしまいがちだけど、背中合わせに影があることを忘れてはならない。
本当のバランスとは、そういうことではないかと気付いた。
表裏一体にあるものを、ただそのまま受け入れるということだ。

光も影も必要なもの。
対極するものは常に助け合っている関係だと信じられなければ、本当のバランス人間にはなれないだろう。

バランスがいいと言われ続けた私であったが、その実、ただ光を求めているだけで影の部分を恐れから受け入れようとしなかった。そう、結局、私はバランスを見失っていたのである。

すべてを引き受けよう。
その覚悟が生まれてはじめて、バランスを知ることが出来る。

私のバランスはこれからだ。

 

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2016-07-14 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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