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プロフェッショナル・ゼミ

しましまのキミヒコくんと、水辺のガーディアン《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:石村 英美子(ライティング・ゼミプロフェッショナル)

「キミちゃんさぁ、まーた太ったんじゃない?」

家主が言った。キミちゃんは「えへら」と笑った。
普通、女の子にこんなことを言えばブーイングの嵐だが、相手が男性であると全然許されるのは男女差別なのではないか。と、一瞬思った私だが、そんなことはどうでも良さそうにキミちゃんは笑っている。そう、相手はキミヒコである。余計な気を使う必要はない。キミヒコはみんなに「キミちゃん」と呼ばれている。

年に一度の忘年会で、今年もキミちゃんに会った。友人宅で催される忘年会に集うのは「家主の友人」という何ともザックリとした括りで、その人が何者なのか特に説明もない。それぞれも聞かれなければ特に自己紹介もしない。なので、それぞれのことはざっとしか知らない。家主の学生時代の友人や先輩後輩、会社の取引先のサラリーマン、元サークル仲間とバラバラで、精神科医なんかも混じっていた。キミちゃんは家主の幼馴染らしい。

キミちゃんはまるまると肥えていて、巨大な赤ん坊のようである。「千と千尋の神隠し」の「坊」を思い出させる。まぁ、あそこまで大きくはないのだけれど、周りに比較対象物がない状態でキミちゃんを見ると、縮尺比率がおかしくてめまいがする。盛り上がったほっぺたはピカピカしていて、笑うとほっぺにメガネが食い込む。というか、ほぼほぼ笑っているので、常時食い込んでいることになる。頭は伸びかけた丸刈りで、触るとふわふわしている。みんなキミちゃんの頭を触りたがる。もちろん私も触っておいた。キミちゃんの頭を撫でて「気持ちいー!」と言うのが、この忘年会の恒例行事だ。キミちゃんは、いつもバスクリンの匂いがする。家主もキミちゃんの頭をぽんぽん撫でた。

「キミちゃん、お風呂入ってきたの?」
「うん」
「お風呂好きやもんね」
「うん」
「溢れてお湯なくならない?」
「それが気持ちいい」
「他の人困るでしょ」
「お母さん、先に入るから大丈夫」

キミちゃんはお母さんと二人住まいだ。夜あまり出歩かないキミちゃんだが、この集まりだけは楽しみにしているので、お母さんも「楽しんでおいで」と、手土産付きで送り出してくれるらしい。今日も「今、家を出ましたのでよろしくお願いします」とお母さんから電話があったそうだ。キミちゃんはもうすぐ不惑になる。

「ね、聞いていい?」
「うん?」

食品工場勤務のコモダがキミちゃんに話しかけた。

「頭、シャンプーで洗うの?それとも石鹸?」
「そりゃシャンプーするよ」
「石鹸で良くない?」
「頭はシャンプーだよ」
「へー。何使ってるの」
「メリット」
「メリット!」
「リンスはしないよ」
「よかった」
「顔はね、ビオレ」
「石鹸で良くない!?」
「やだ。つっぱるもん」
「わはは!そうか」
「でも、前はぜんぶ石鹸だった」
「前って?」
「東京に居たとき。銭湯だったから」

キミちゃんは数年前まで東京で働いていた。近年珍しくなった風呂のないアパートに住んでいて、銭湯に通っていた。手ぶらで行って帰って来るため、石鹸も着替えも持たず首にタオルだけかけて銭湯に行って、大きい湯船を堪能していた。その中でも特に「電気風呂」がお気に入りだったそうだ。

「こっち電気風呂あんまりないね」
「たまにあるけどね」
「電気風呂、痛くない?」

思わず私も口を挟んだ。私は電気風呂は苦手だ。たまにスーパー銭湯などで入ってみるが、何しろ痛い。特に手首が痛い。

「痛くないよ。ちょっとピリピリするだけ」
「うそぉ、結構しびれるけど」
「悪いところは痛いんじゃない?」
「え?そんなんあるの?」
「知らない」
「知らんのかい」
「たぶん、脂肪の量じゃない?」

コモダが言った。コモダは今でこそ食品工場で働いているが、確か以前は電気技師だった。

「脂肪は絶縁体だから、脂肪が厚いと電気通しにくいはずだよ」
「おー、だから手首が痛いのか!」
「わ、手首細っそ!」
「ぼく手首も全然痛くない」
「キミちゃんさ、手首にもきっちり脂肪がついてんだよ」
「えー、そうかなぁ」
「そうだよ、やっぱまた太ったんじゃない」
「そうでもないよ」

あまりに皆が太った太ったと言うので、キミちゃんは着ていたグレーのスウェットの左袖をまくって見せた。その腕は気持ちいいばかりにまるまるとしていた。そして、その腕にはおびただしい数の「リストカット」の跡があった。一瞬息が止まった。

「手首はちょっと細いよ」
「そりゃ、他のとこよりは細いけど……キミちゃん……シマシマやん」

やっとの思いで口からでたのは「シマシマやん」という言葉だった。これが精一杯だった。もう少し気の利いた事が言いたかった。でも意外なことにキミちゃんはそのセリフが気に入ったようで「こっちもシマシマだよ」と右腕も見せてくれた。利き手じゃない方で切った跡は、左腕にあるそれより不規則だった。

前に聞いていたから知ってはいたが、数が、予想を超えていた。

キミちゃんが統合失調症を発症したのはまだ東京で働いていた時だった。原因は分からない。仕事は好きだったし、職場環境が悪かったわけでもない。最初、なんだか仕事のミスが増え、そのせいで周りの人に嫌われていると思っていた。実際は、周りの同僚は心配こそすれ嫌ったりはしていなかったそうだ。でも、いつも悪口を言われて居心地が悪く、駅のホームや自宅でも悪口が聞こえてきた。キミちゃんは元々穏やかで優しいため、悪口を言われるのは自分のせいだと思っていたという。

帰省した時に、キミちゃんのお母さんが異変に気付き、病院に連れて行った。病気の人がだいたい言うように「違うよ、疲れているだけだよ」というキミちゃんを、お母さんは「私が安心したいから行こう」と説得して、心療内科に連れて行った。お母さんが言ったことは、おそらく本心だ。表情が消え言葉数が極端に減った息子を見て、戦慄したと思う。

キミちゃんは実家に戻ってからもしばらく症状が続いた。無いものがあるように見え、聞こえないものが聞こえて来る。病気によってそれらが起こることを、頭では理解しているので、何が本当か分からなくなるとカミソリで腕に傷を入れた。ちゃんと痛いし、ちゃんと血も出る。そうやってキミちゃんはこの世界に留まろうとした。

この病気のことを、私は少し知っている。100人ちょっとのうち一人くらいは発症する病気で、以前は「精神分裂病」という恐ろしげな名称だった。この病名を初めて知ったのは、小学校の時だった。

山と田んぼに囲まれた田舎の村で私は育った。

田舎は家が点在しているため、近くに同世代の子供がいない。学校では会うものの、放課後や休み日に一緒に遊ぶには家が離れすぎている。低学年のうちだと特にそうだ。だから私は大半の時間を一人遊びで過ごした。

おもちゃもゲーム機も買ってもらえなかったが、遊んでくれる自然はあった。「防火水槽」という名の池にはイモリがたくさん居たし、沢にはカニがいて、石ころをどけるとエビが居た。用水路では釣りもできた。水遊びが好きだった私はいつも青いバケツを持って、そこらへんで「何か」を獲って遊んでいた。

ある時、イモリを大量に獲った。水を張った青いバケツにイモリを入れると、底が真っ黒になった。イモリの正式名称は「アカハライモリ」という。腹部が赤いのだ。水を揺らすと、チロチロと赤い腹が見えた。面白くなってもっと揺らした。挙句に、水をぐるぐる回し始めた。イモリは渦の中で赤黒赤黒アカクロ赤黒と回転した。何度も何度もそれを繰り返した。

「かわいそうじゃない?」

頭上から男の声が降ってきた。夢中になっていて全く気づかなかったが、すぐ後ろに大人の男が立っていたのだ。バケツに向かってしゃがみこんでいた私は驚いて見上げたが、逆光で顔が分からなかった。でも少なくとも知らない人だ。

「一人で遊んでるの?」

子供の頃の私はおバカではあったが、一人前の警戒心はあった。知らない人と喋っちゃいけない。車に乗せて連れて行こうとする、怖い大人がいると先生も言っていた。「学校から帰るときにはみんなで一緒に帰りましょう」そう帰りの会で言われたばかりだ。

「もう、帰るところです!」

バケツに入っていたイモリを防火水槽にぶちまけると、一目散に走った。下り坂で転びそうになったがそのまま走った。曲がり角で一度だけ振り返ると、その男はまだこっちを見ていた。唾を飲み込み、また家まで走った。すごく怖かったが、なぜかお母さんには言わなかった。

その男が何者なのか、すぐ後で判った。谷口商店でお菓子を買っている時、おばちゃん達が噂していたのが聞こえたのだ。防火水槽の近くの家の息子で、有名な大学を出て仕事に就いていたが、精神病になって帰ってきたらしい。仕事をしていないので、昼間にうろうろしているらしい。……精神病?

「精神分裂病とか怖かねぇ」
「入院しとらしたみたいよ」
「頭の良すぎっとかねぇ」
「うちんがたの子は頭の良うないけんよかったよ」
「あはは、ほんならうちのも大丈夫やっど!」
「そんならよかったよかった! あはははは!」

おばちゃん達は甲高い声で笑った。……どうしよう。あの人頭がおかしい人なんだ。怖い。もう防火水槽には行かないようにしよう。あの人となるべく出くわさようにしないと。緑の救急車で、どこかに連れて行かれたらいいのに。

しかしその後も、時々その男と遭遇した。沢でカニを獲っている時も、堤防で数珠玉を取っている時にも、遠くで私のことを見ていた。男に気がつくと私はまた一目散に走って逃げた。怖かったし嫌だった。男がいない時にも、どこかで見張っているんじゃないかと勝手に怖くなった。ある日、思い切って、お母さんにそのことを話してみた。今まで言わなかったことで叱られるんじゃないかと思ったが、お母さんは意外な事を言った。

「あぁ、今日その◯◯くんが来たよ」

何で!? なんであの人、私の家を知ってるんだ! 怖くて鳥肌がたった。それにお母さんは、その人のことを知っている! お母さんは続けた。

「これ、持ってきてくれたよ」

お母さんが出してきたのは、私の帽子だった。いつの間にか失くしてた赤い帽子だった。

「忘れてましたよ、って。あんた何でもすぐ失くすね。今度会ったらお礼を言わなよ」

帽子で頭をはたかれた。何が何だか分からなかった。家を知られていた事も驚いたし、わざわざ帽子を届けに来た事も奇妙にしか思えなかった。会ったらお礼を言う? やだ、そんなの。届けられた帽子は何だか気味が悪くて、もうかぶらなかった。

だが、それっきりその男と会うことはなかった。再度入院したようだった。

ずいぶん経って、その男の人が自死された事を知った。心の病の人は、症状が良くなりかけた時に希死念慮が出ることがあるそうだ。つまり死ぬ元気が出るというのだ。そんな馬鹿な話があるか。

自死された男の人の母親と、うちのお母さんは知り合いだった。だからお母さんはあの人の名前を知っていたんだ。葬儀に行き、そこでこんなことを聞いてきたそうだ。

「息子がね、言ってたんです。石村さんところのお姉ちゃんは、いつも水のそばで遊んでいて危ないから、気をつけておかないと、って」

今考えたら当たり前だ。こんなに田舎なんだもの、近くの子供がどこの子なのかみんな知ってる。私はあの男の人を知らなかっただけで、向こうからしたら私は匿名の小学生ではなく知り合いの女の子で、庇護するべき対象だったのだ。きっと私の名前だって知っていた。でも私はあの人の名前を知ろうともしなかった。

あの人は、私を見張っていたわけじゃない「見護って」いたのだ。水場でばかり遊ぶ小学生を、ハラハラしながら見てくれていたのだろう。なのに私は走って逃げた。そういえば、最初に私が逃げて以降、あの人は遠くで見ているだけだった。子供ならではの無知と残酷さに、どれだけ傷ついただろう。彼は「やめなさい」じゃなく「かわいそうじゃない?」と言ったのだ。イモリにさえ優しかったのだ。

これは私のトラウマになった。知らない男が怖かったことが、じゃない。彼の善意を「わるもの」としか思えなかったことが、だ。

大人になってからも、統合失調症の人に何人か会った。友人にも何人かいる。だから、今は少しばかり知識がある。まだ足りないが、ちゃんと知ろうと思う。トラウマだからこそ、今度こそしくじらないように、無知によって不必要に怖がったり偏見を持たないように。それ以前に、傷つけてしまわないように。

キミちゃんは、まくった袖を戻しながらこう言った。

「最近はしないよ」

まるで私の動揺をなだめようとしているようだった。
キミちゃんはシマシマの腕を袖に収め「よっこらしょっと」と立ち上がった。「どこに行くの?」と聞くと「ビール」と言ってふらつく足でキッチンに向かった。家主と、コモダ、ついでに精神科医のヤスも一緒にキッチンに行った。冷蔵庫の前で何か話し込んでいた男たちだったが「うぁははは!」と笑い声が上がった。ヤスが頭を掻きながら戻って来た。

「なに。どしたの」
「キミちゃんさんがね、アイス食べたいって」
「おう、で?」
「でも僕病気だから、先生買ってきてって」
「あー、そら先生が買ってこな」
「何でですか、自分主治医じゃないですし。ってか主治医だってパシらないでしょう」
「いいじゃん、成分とか確認して買ってきてよ。薬と相性が悪いのとかあったらいかんし」
「ないです、そんなの!」
「お前、キミちゃん病気なんやぞ!買ってこいよ!」

家主らも戻って来た。キミちゃんも「そうだよ病気だよ」とニッコニコしている。ヤスは嫌そうにしていたが、仕方なくダウンを羽織って言った。

「もう、あなたたち病気病気言い過ぎ!キミちゃんさん、もう寛解してるんでしょう?」
「完治はしないんだよ」
「そうですけど。……で、何がいいんですか?」
「キミちゃん何食べたい?」
「しろくま」
「うわ聞いただけで寒い」
「だって暑いんだもん」
「やっぱキミちゃん脂肪つきすぎよ」
「そうかなぁ」
「いいから早よ行け!」
「わかりましたよ行きますよ」
「はい!いってら!」

キミちゃんは、私の分のビールも取ってきてくれていた。ちゃんと麒麟を選んでくれている。キミちゃんと改めて乾杯した。周りの男どもは、半分楽しみながらキミちゃんの事を見護っている。キミちゃんはみんなの赤ん坊だ。家主が言った。

「キミちゃん、今日はご機嫌やね」
「うん!」

キミちゃんがこんなに笑うようになるには、結構な時間がかかったそうだ。

私に出来ることは少ないかもしれない。でも私もできるだけキミちゃんの事を理解して見護りたいと思っている。恩返しだなんて大げさなことではなく、人はみな誰かに見護られて生きているのだから。本人は知らないかも知れないけど、知られなくたっていい。むしろ知られないように、誰かが誰かを護っている。

毎年、忘年会でキミちゃんに会うと、子供の頃の、あの水辺の風景と「私の守護人」を思い出すことができる。守護人の顔は、今でも逆光で分からないけれど。
***
この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、WEB天狼院編集部のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。

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