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かすみとくすぶりの中のまり子


記事:ありのり(ライティングゼミ)

「自分の人生、自分で責任を取りたいの」

まり子はまっすぐな視点を母に投げてそう伝えた。
老いた母親は、きょとんとした顔でまり子を見つめた。

 

 

まり子の母は、明るくて世話好きで気立てがよかった。

子どものころなど、うちに友達が遊びに来ると、母は手作りのケーキやババロアなどを出してくれたり、その子の自宅まで帰りは送ってあげたりと、実に親切に接する。
風吹ジュンに似た顔立ちも愛らしく、友人からの評判は高かった。

「まりちゃんのお母さんって、美人だし優しいし、いいなあ! うちのお母さんと全然違う!」と友達は羨ましがった。
まり子はそのたびに誇らしかった。まり子も母親が好きだった。

小さいころ、母親は眠くなるまでずっと背中をとんとんとしてくれた。
のどが渇いて目を覚ますと、その気配を察して母親も目を覚まし、麦茶をコップに注いで寝室まで持ってきてくれた。
寒い日にベッドに入ると、事前に電気毛布のスイッチが入れてあり、まり子は温かい毛布の中にぬくぬくと身を沈めることができた。
まり子は、温かい母の陽だまりのような保護の中で育った。

少々世話好きが過ぎる点もあった。
忘れ物をしないようにと、ランドセルの中身は母親がそろえてくれた。
風邪をひかないようにと、パジャマの下にはいつも肌着と腹巻を身につけさせられた。

英語教室の先生が引っ越しするためにお別れ会が開かれたとき、一番年長だったまり子が先生にお別れの手紙を読むことを任された。
しかし、
「あの先生はご挨拶に厳しいから、叱られちゃいけないわね」
と、まり子が手にしていたペンと紙を取り上げ、母親が代わりに手紙を書いた。
まり子は、大好きだった英語の先生のお別れの場で、母親が代筆した手紙を読み上げることになった。
「すてきなお別れのご挨拶のお手紙、本当にありがとう」と先生はまり子に言った。
それを聴いて、まり子はほっとした。しかし、まり子の胸に小さなくすぶりが生まれていた。まり子はそれに気が付かなかった。

 

大切に育てられたまり子は、物腰の柔らかい穏やかな娘に成長した。優しい性格は人を安心させ、友人や恋人に恵まれた。

「そうね、そうね」と笑顔であいづちを打ってくれるまり子を前にすると、彼女の友人らはみな雄弁になった。
「ほかの人には内緒よ」と、校則をやぶってカフェで甘いカクテルを飲んでみた話や、恋人がいるのにほかの男の子とドライブに行った話を打ち明けられたりした。

そのたび、まり子は友人らの小さな野心の実行にあこがれた。

喫茶店でそんなおしゃべり楽しんだ後、自宅に帰って母親が入れてくれたハーブティを飲みながら、「恋人以外とお出かけするって、どんな気分かしら」と、友人の小さなアバンチュールを追体験してみた。
しかし、うまくリアルにイメージできない。想像してみようとするが、頭にかすみが掛かったような感じがする。
「うまく想像できないなあ。私がぼんやりしているからかしら」

 

まり子はお付き合いする恋人らによくこう言われた。
「まり子って、なんかふわふわしているよね」と。

「自分でも思う。なんか、私ってぼんやりしているのよね」
「俺はそこがかわいいと思うよ。での、ふわっとしているってことが、自分では嫌なの?」
「嫌じゃないけど……手ごたえがないの。なにか生きている実感、みたいな感じ? そういうの、たまに見失うの」
「生きている実感? 何それ? どういう意味?」
「うーん……私にもわかんない。……え?この後の食事?うーん、あなたの行きたいところへ行きましょう」
一瞬、先日オープンした話題の飲茶カフェに行きたいと思ったが、恋人の意向に任せた。

 

 

「お母さん、私たち、もうだめかもしれない」
実家に戻って1週間。まり子は母にそう切り出した。

結婚して3年。
子どもはまだいなかった。
商社に勤める夫の達彦は、毎晩帰りが遅かった。その達彦が浮気をしていることに気が付いたのは1年ほど前だろうか。
携帯に保存された、夫が女性と旅行している写真を偶然見てしまったのだ。

しかし、その事実を目の前に、まり子はどうしたらよいかわからなかった。
いや、「どうしたいのか」わからなかった。

「私はどうしたいのか」

昔からいつも、その問いを持つたび、まり子の頭にはかすみが掛かったような感じになった。そして、胸にくすぶりが残った。

ところがある晩、なんと達彦の方から唐突にこう切り出してきた。

「僕の浮気に君は気が付いているんだろう。なのに、なぜだまっているんだ」

まり子は絶句した。なんと返せばよいかわからなかった。沈黙が続いた。

「君は、いつもそうだ。君の気持ちを聴きたいんだ。ときどき、僕は君といても、君といる感じがしないんだ。僕は君といたいのに」
そして、続けた。「まり子は僕とどうしたいんだ?」

「浮気をしておきながら、なぜか彼はわたしを責めて、しかも私を求めている……」
まり子は混乱した。
「しばらく考えさせて」と家を出た。

小学生のころのことだった。
バレエのレッスンが苦しくなった。
やめたい、と思ったが、もう少し続けてもいいかもしれない、と気持ちが揺らいだ。母に相談したわけではないのに、母は私の様子を察していた。そして、ある日レッスンの帰り道に母が言った。
「今日、先生に辞めますって言っておいたからね」

大学時代のことだった。
まり子は小さな追突事故を起こした。
それも、母がすべて始末をつけてくれた。相手の人はむち打ち症になったと聞いた。しかし、その後、どのように母が先方に謝罪をし、どのように示談となったのか、まり子はわからなかった。
すべてが終わってから、母はまり子に告げた。
「大丈夫、まりちゃんはもう、大丈夫だからね。」

そこでまり子は目が覚めた。

家を出て1週間が経っていた。
まり子は何の気力もわかず、家を出たときのままになっている自分の部屋のベッドに寝転び、ぼんやりと毎日を過ごしていた。

そのまま眠ってしまったらしく、昔の思い出が夢になって出てきた。

「そんなこと、あったなあ」とまり子は夢から覚めながら思った。

すると、突然、夫の言葉が頭によみがえった。
「まり子はどうしたいんだ?」

「私は……私は……私は……」
まり子ははっとした。
「私は、責任を取りたかった!」

私は、責任を取りたかった。
自分で辞めると言いたかった。
自分で謝罪をしたかった。
自分の選択の結果を引き受け、結果を味わいたかった。
その結果が痛みであったとしても、自分の選択した行動とその答えを体験したかった。

「なのに、私が倒れこむ先は、いつも母の用意してくれたやわらかいクッションの上だった」まり子はそう思った。

守られすぎた環境の中では、ひとは徐々に自分の意欲を実行することをためらうようになる。行動の結果を覚悟できないものに、ひとはうかつに飛び込めなくなるからだ。

なぜ覚悟できなくなるのか。
覚悟の前提である「人生の痛み」という体験があまりに不足しているからだ。

そして、自分の行動の結果を引き受ける。それを責任という。
それは一つの人生の手ごたえだ。

 

「痛みから守られた。そして、意欲を抑えて生きるようになった。
つまり、私は人生の発信もその結果という受信も、そのリアルから遠ざかってしまったんだ」
まり子はベッドから起き上がって確信した。
「だから私は、ふわふわと、生きているって実感が希薄だったんだ」

 

 

「お母さんが達彦さんに話をしてあげようか」
と、実家を出るとき母が言った。

私は夫とどうしたいのか。
まり子には、今、明確な答えがあった。
頭にはかすみが掛かる感じも、胸がくすぶる感じもなかった。
まり子の中に、ただ、クリアな意思があった。

「あのね、お母さん」
とまり子は言った。
「自分の人生、自分で責任を取りたいの」

まり子はまっすぐな視点を母に投げてそう伝えた。
老いた母親は、きょとんとした顔でまり子を見つめた。

まり子は、そんな母を尻目に、強くドアノブを握って玄関の扉を開いた。
外は初夏の日差しがまぶしかった。

「私は、生きている」
まり子は、いまここに自分が生きている手ごたえを味わった。

 

 

***

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2017-05-04 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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