メディアグランプリ

レモンピールのような、あの街に帰りたくて


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記事:及川智恵(ライティング・ゼミ 平日コース)

 

自分を変えたければ環境を変えるのが手っ取り早い、などとよく言われる。

間違っていると思う。なぜなら私自身が、環境を変えても変われなかったから。

 

2002年。

私は大学3年生の1年間を、オーストラリア第2の都市であるメルボルンで過ごした。

 

留学は高校時代からの夢だった。

英語が得意だった私は、早くから「将来は英語を使った仕事をする」と決めていた。

だから、高校に入ってすぐ英会話スクールに通い始めて、学校の勉強だけでは足りなくなりがちな会話のスキルを磨いた。

留学制度の整った大学を選んで英語を専攻し、帰国子女がたくさんいる過酷な環境の中で、劣等感と闘いながらも必死で勉強した。

 

そうやってようやくつかんだ留学という夢。

一人で日本を離れることに不安もあったが、それよりも楽しみのほうが明らかに勝っていた。

 

メルボルンは、「世界で一番住みやすい街」に頻繁に選ばれる美しい街だ。

都会なのに、高層ビルがそれほど多くなく落ち着いた街並み。

ヨーロッパの古い文化を思わせる建築物。

街のシンボルともいえる路面電車。緑の美しい公園。

多様な移民と文化を受け入れる包容力。そして、治安の良さ。

 

到着して何日もしないうちに、私はメルボルンがすっかり気に入った。

こんなにきらきらした街で1年も暮らせるなんて。

この場所に留学を決めて良かった、と心から思った。胸には希望しかなかった。

 

しかし私は、1つだけ重大な勘違いをしていた。

日本から離れさえすれば私は変われるはず、と信じ込んでいたのだ。

 

私は昔から、居場所のなさを抱えていた。

どこに行っても自分だけ受け入れてもらえなくて、浮いているような気がしていた。

みんなと同じになりたい。仲間に入れてほしい。もっと親しくなりたい。いつもそう願っていた。

 

今ならわかる。

居場所がないと感じていたのは、私自身が内向的で人見知りで、他人にうまく心を開けなかったからなのだ、と。

自分から心を開いていかなければ、相手だって心を開いてくれない。私は自分を変えなければいけなかったのだ。

 

でも当時の私は、自分を変えるという発想には至れなかった。

それどころか、「自分には日本という国が合わないのではないか」と思い込んでしまったのだ。

この国に生まれてしまったのが悪かったのではないか。だとしたら、外国なら自分の居場所があるかもしれない、と。

 

しかし、残念ながら人は急に社交的になったりはしない。

 

たしかに、できる限りクラスメイトと話してみようと努力はした。

サークル活動のようなものにも、一応飛び込んでみた。

同じアパートに住む友達も、何人かはできた。

パーティや旅行に誘ってもらったら、なるべく乗るようにした。

 

でも私には、どうしても壁が1枚入ったような付き合いしかできなかった。

どうやって心を開けばいいのか、何を話したらいいのか、さっぱりわからなかったのだ。

日本にいたときからわからなかったことが、飛行機に10時間乗っただけで急にわかるようになったりはしないのだ。

 

さらに、母語ではない英語でコミュニケーションを取らなければいけない分、日本にいたときよりも壁がさらに1枚増えたような気持ちになった。

英語は得意だったとはいえ、実際に海外生活で使うのは初めてのこと。

教科書に書いていないことがたくさん流れこんでくる毎日は、決して楽ではなかった。

 

メルボルンの地にも、結局私の居場所は見つけられなかった。

私は、日本にいた頃と変わらず、内向的で人見知りで、心をうまく開けない地味な大学生のまま。

日本から持ってきた日記帳に、もやもやした想いを何ページにもわたって書き殴っていたのを思い出す。

異国の地で、私は想像以上にひとりだった。

 

私はメルボルンという街を心から愛している。

留学を終えて日本に帰国するとき、あまりに帰りたくなくて飛行機の中で泣いた。

そして15年経った今でも、「帰りたい」と思ってしまうほどだ。

 

でも、現地との友人ともあっさり疎遠になってしまった。

長い間、誰とも連絡を取っていない。今となっては連絡先さえわからない。

壁を挟んだような付き合いしかできなかったのだから、当然といえば当然だろう。

大きな環境の変化を経験したにもかかわらず、人間としての私は、ほとんど変わらなかった。変われなかった。

 

メルボルンでの日々を思い返すと、なんだかレモンピールの味がする。

大好きな街に暮らしていた思い出は、とても美しく輝いているのだけど、

どうしても孤独だった日々と未熟だった自分を思い出してしまって、苦味がじわりと広がってしまう。

「青春の味」とでも言ってしまえば、少しはきれいに聞こえるのだろうか。

 

そして、2017年。

当時と違い、オーストラリアの物価は相対的にずいぶん高くなったと聞く。

ヨーロッパを思わせるメルボルンの街並みは基本的に変わらないだろうけど、

2002年当時から大規模な開発が始まっていた地域もあったので、当時とはだいぶ違った景色になっているだろう。

 

あれから私は、どのぐらい変われただろうか。

今でも私は内向的だし、人見知りだし、臆病で後悔することばかりではないか。

 

15年間、「メルボルンに帰りたい」と思い続けてきた。

その願いはまだ実現していないのだが、もし今メルボルンの街の変化を目の当たりにしたら、私はどう感じるのだろうか。

変われない自分を嘆いて、またレモンピールの苦みを感じてしまうのだろうか。

 

答えは行ってみないとわからない。

でも、できたらもう少し苦みの少ない、さわやかなレモン味を感じ取りたいものだ。

 

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2017-09-01 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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