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プロフェッショナル・ゼミ

エア〇〇《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【2月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:源五朗丸(プロフェッショナル・ゼミ)
※この話はフィクションです。

最近、若い女性の間で「エア彼氏」が流行っている。エアギターの恋人版のようなものだ。妄想、と言ってもいいかもしれない。だが、ただの妄想と侮るなかれ。「エア彼氏」には様々な効能があることが分かってきている。事実、エア彼氏を作ったところ、女子力が大幅に向上した、本物の彼氏ができたというような成功事例が毎日のように報告されている。
エア彼氏の強力な効果が注目されるにつれ、他の様々な分野でもエア〇〇が活用され始めた。
例えば淑子には、このようなことがあった。

それは淑子がひと月ぶりに絵里子に会った時だった。
絵里子は淑子が大家をしているアパートの一室を借りている大学生だ。月にいちど、家賃を払うために淑子宅にやって来るのだが、先月までは、ぱっとしない印象の子だった。こけしに似た、あか抜けない、田舎くさくて地味な女の子。そんな彼女に起きた変化に、淑子は目ざとく反応した。
「なんだか絵里子ちゃん、可愛くなったね」
「えっ、そんなことないですよ」
絵里子は顔の前で手を振って否定するが、その爪にはツヤツヤしたネイルが施されている。イエイエと頭を振るたびに、栗色に染められた毛先のカールが柔らかく揺れる。メイクも、こけし風からリカちゃん寄りに変わった。服も、シルエットからして洗練されている。何より全身の雰囲気が明るくなった。
もしや、と淑子の女の勘がピンと弾けた。
「もしかして絵里子ちゃん、彼氏できた?」
絵里子はピクッと肩を震わせた。これは図星かな、と淑子がニヤつきながら待っていると、絵里子はしばらく口ごもったあと、「実は……」と囁いた。
「エア彼氏、始めたんです」
「エア彼氏? なにそれ?」
意外な答えに驚いて聞き返すと、絵里子はまるで修学旅行の夜に恋バナをするように、モジモジしつつ、でも嬉しさを隠しきれない様子で続けた。
「言ってしまえば、ただの妄想なんですけど」
「妄想? 本物の彼氏じゃなくて、ってこと?」
「はい、理想の彼氏を具体的に頭の中でイメージするんです。それで、彼のためにおしゃれして、ダイエットして、お料理を練習して……。友達もみんなやってるんですよ」
でも恥ずかしいから内緒にしてくださいね、と付け足して絵里子はウフフと笑った。
あきれた、と淑子は心の中だけで呟いた。絵里子が楽しそうなのは結構だが、妄想にうつつを抜かして貴重な青春時代を浪費してしまうなんて。私が絵里子ちゃんの親なら、放っておけない。
常々、絵里子のような娘が欲しいと夢想している淑子は、つい口を出さずには居られなかった。
「でも、本当の彼氏を作ったほうがいいんじゃない? 絵里子ちゃん、せっかく可愛くなったんだから」
しかし淑子の心配は全く伝わらなかったようで、絵里子はニコニコしたまま、こう返した。
「でも今は、この『エア彼氏』で十分楽しいんです。大家さんもやってみません? すぐ始められますよ」
「ええー、私は、ちょっと」
そんな痛々しい遊びに付き合っていられない、と思ったことを悟られないように気を付けて、ハンコをついた領収書を渡した。
「はい、領収書。今月もお家賃、ありがとうございます」
「こちらこそ、ありがとうございます」
かしこまってお互いにお辞儀をする。これで月一回の儀式も終了だ。しかし顔を上げてからも、絵里子は中々帰ろうとしなかった。その場で突っ立ったまま、ソワソワと落ち着かない。
「どうしたの? 何か、相談事でもあるの?」
淑子が促すと、やっと絵里子はおずおずと口を開いた。
「実は、お隣の悟さんなんですけど……」
「悟君がどうかした?」
まさか、あの悟が何か問題行動を起こしているのだろうか。絵里子の隣の部屋に入居する悟は、真面目すぎるほど真面目な青年だ。今までに騒音を起こしたこともなければ、喫煙だってしない。やや素っ気ない印象は受けるが、挨拶はきちんとするし、ご近所トラブルとは無縁の青年だと思っていたのだが。
「もしかして、猫を飼っているんじゃないかと思って……」
「えっ、猫? どうして? 鳴き声か何か、聞いたの?」
絵里子はゆっくり頷いた。
「はい、ときどきなんですけれど、夜中に猫の鳴き声みたいなのが聞こえるんです。それに、私、猫アレルギーなんですけど、最近悟さんとすれ違った後、目がかゆくなったり、くしゃみがでることが何度かあって」
「あら、そうだったの。うちはペット禁止って、入居のときに伝えたはずなんだけれど。こんど悟くんに話を聞いてみるわね」
「すみません、ありがとうございます」
絵里子が帰ってから、淑子は居間の壁にかかっているカレンダーを確認した。悟が家賃の支払いに訪れるのは明後日の予定となっていた。淑子は軽くため息をつく。このアパートの大家になって数年経つけれど、こんな風に住人からご近所トラブルの相談を受けるのは初めてだった。
「まだ本当に悟君が猫を飼っているって決まったわけではないし。とにかく話を聞いてから考えましょう」
思春期の息子が隠し事をするようになったら、母親はこんな気分かしら。
トラブルの対応なんて面倒だという気持ちと、素直じゃない息子を持つ母親気分を味わえそうだという期待の間で揺れながら、淑子はカレンダーを見つめた。

「今月も、ありがとうございます」
と言って領収書を受け取ると、悟はすぐに立ち去ろうとした。そこを慌てて引き留める。彼はいつもこうだ。もし自分にこの年頃の息子がいたら、やっぱりこんな感じだろうかと淑子は思った。
「ちょっと待って悟君、少し聞きたいことがあるんだけど」
「はぁ」
きょとんとした悟の表情からは、引き留められるような心当たりはまるでなさそうに見える。
「あのね、もしかしたら、なんだけど。悟君、ペット飼ってたりしない?」
「ペット? 自分の部屋で、ですか? いいえ、飼ってませんけど」
眉ひとつ動かさずに、声色だけ少しとがらせた悟の様子は、まるで「何ですか、まさか僕に濡れぎぬを着せる気ですか」と言っているようだった。
「いえね、たまに猫の声がするって聞いて。でも間違いだったかも。ごめんなさいね」
ところが淑子が「猫の声」という言葉を出したとたん、悟はパッと顔をゆがませ、それを隠すように片手で顔半分を覆った。やがて絞り出すように呟いた。
「あー、聞こえてましたか……」
「えっ、本当に猫、飼ってたの?」
さっきは取り付く島もないほどスッパリと否定していたじゃない、と淑子は心の中で叫んだ。
「いや、飼っていないのは本当なんです……」
「じゃあ、友達から預かったとか? それでも、うちはペット禁止なんだから、ダメよ」
「いえ、預かってもいません」
悟は大きな深呼吸をし、顔色を少し戻してから、言いにくそうに説明し始めた。
「実は、あの鳴き声は、僕の鳴きマネなんです」
「えっ、悟くん、猫の鳴きマネなんかしてるの? どうして?」
「実は、『エア猫』と暮らし始めまして」
悟君によると、事情はこうだった。数か月前、初めて猫カフェに行った悟君は、猫という生き物の魅力に一瞬でおぼれた。毎日のように猫カフェに通い、家では猫の動画を延々再生し、猫グッズを買い集めるようになった。いつしか自分も猫に囲まれ、人間であることを忘れ、猫として生きたいと願うようになった。ところが悲しいかな、このアパートはペット禁止で、猫と一緒には住めない。そこで悟君の頭にひらめいたのが、いま流行りの『エア彼氏』ならぬ『エア猫』と暮らすというアイデアであった。頭の中で理想の猫仲間を作り上げた悟君は、夜な夜な猫たちと戯れ、自分も猫になり切って一緒に「ニャーン」と鳴いている、という訳だった。この『エア猫』活動には、絶大なストレス解消効果があるらしい。
「このことは、大家さんだけにしか話していないんですからね。だれにも言わないでくださいよ。絶対ですからね」
きまり悪そうに何度も念押しする悟のプライドを傷つけないように、淑子は笑いそうになるのを必死にこらえて、厳粛な表情でコクコクと頷いた。
踵を返して帰ろうとした悟だったが、ドアに手をかけたところで振り返り、
「そういえば、僕にも大家さんにお話したいことがあるんです」
と向き直った。悟のほうから話があるなんて珍しい。彼が入居してから初めてかもしれない。良くない話だろうか。淑子は少し構えながら「どうしたの」と先を促した。

「それがね、悟君は絵里子ちゃんが内緒で彼氏を住まわせていると思っていたのよ」
ベッドの中の淑子は、面会に訪れた義郎に向かって、それは楽しそうにケラケラと笑った。
「『ここは一人用アパートだし、勝手に他人を住まわせるのは契約違反なんじゃないですか』って、すごく真面目な顔で言うのよ。私、おかしくって。でもまさか、彼氏は彼氏だけど、絵里子ちゃんは妄想の彼氏と同棲してるのよ、なんて言えないじゃない」
「なるほどなあ」
義郎はゆっくりと相槌を打った。妻がこうして、妻にしか見えない下宿人の話をするようになって、もう2年になる。彼女の中では、彼女と義郎の夫婦は、とあるアパートの大家であり、住人の悟君と絵里子さんの面倒を親身に見ているそうだ。
「悟君は、大学生だったっけ?」
「もう、なんど言ったら覚えるの。悟君は社会人よ。でもまだ働き始めて2年目くらいかしら」
まだ元気な頃から、淑子はいつか昔の下宿屋のおかみのように、若い人に部屋を貸して世話を焼きたいと口にしていた。義郎たち夫婦には子供がいないから、そうやって娘代わり、息子代わりの若い人たちの面倒を見たかったのだろう。現在、こうして入院中のベッドの中で、妻にしか見えない妄想ではあるが、夢が叶えられ、淑子に笑顔が戻った。それは喜ぶべきことなのだろうと義郎はいつも自分に言い聞かせている。
「私、悟君は絵里子ちゃんに気があるのかもって思うの。キャー」
妻は興奮気味に布団の下で足をバタバタ動かした。
「それにしても、最近の若い人って変わってるわ。ふふっ、『エア彼氏』に『エア猫』ですって。本人たちは楽しそうだけれど」
「君だって、十分楽しんでるじゃないか」
妄想の中で子供がわりのエア住人を作り上げて、エア大家として楽しんでいるじゃないか。
コンコン、と病室のドアがノックされた。外にいたのは、思ったとおり馴染みの看護師だった。
「ちょっと先生のところに行ってくるよ」
義郎は声をかけたが、返事はなかった。淑子はまた妄想の中に戻ってしまった様子だった。

「おかげ様で、妻は今日も楽しそうにしていました。ありがとうございます」
「こちらとしても、奥様にもご主人様にも、とても感謝しています。なにせ、『エア体験セラピー』の治験にご協力いただいているのですから」
担当のセラピストは、深々と頭を下げた。
「奥様はこのセラピーを始めてから、情緒的に安定しただけでなく、身体的なデータでも著しく改善しています。これは『エア体験セラピー』の有効性を示すために、実に貴重なデータです」
セラピストはパソコンの画面に色々な検査データを開いて見せたが、門外漢の義郎には、その意味を読み解くことはできなかった。ただセラピストの満足気な様子から、順調なのだろうということだけが理解できた。
「ところで、妻は自分が『エア体験』をしていると分かっているのでしょうか。先ほど話したとき、妻の『エア体験』の中に、さらに『エア体験』をしている人物が登場して、それを面白がっていたのですが」
セラピストは承知しているというように頷いた。
「悟君と絵里子さんのことですね。伺っています。巷で流行している『エア彼氏』くらいだと、本人はこれが『エア体験』であると自覚している場合がほとんどです。ですが奥様のように、特殊な方法で『エア体験』をしている方は、これが『エア体験』だと自覚しないほど、どっぷりと『体験』に浸っています。つまり奥様自身にとっては、アパートの経営も、悟君や絵里子さんの存在も、まぎれもない『現実』なのです」

病院から出た義郎は、夜空をぼんやりと眺めた。一番星がきらめき、夜風の冷たさが肌を粟立たせた。
「でも、僕が見ているこれも、『エア体験』かもしれないなぁ」
義郎は急に、自分が誰なのか分からなくなった。

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