プロフェッショナル・ゼミ

「カワイイはつくれる!」と信じて失敗した私が考える、女子がかわいい女の子を好きになるいくつかの理由《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:木佐美乃里(プロフェッショナル・ゼミ)

「女性は、なぜ美しい女性が好きなのか?」
天狼院書店のプロフェッショナル・ゼミのなかで、このトピックが出されたときから、胸のザワザワ止まらなかった。だって、わたし、このことについてずっと考えていたから。
そして、きっと答えを知っているから。
なぜ答えを知っていると思うかって? それは、わたし自身が、もとは女の子のかわいさになんか、全然興味がなかったのに、いつのまにか、かわいい女の子や綺麗な女性を見ると、涙ぐんだりするまでに、体質が変わってしまったからだ。
これにいちばん驚いたのは、他でもないわたしだ。わたし、頭がおかしくなってしまったんだろうか? と自分で信じられなかった。どうしてわたしは変わってしまったのか? 
そこに、「女性は、なぜ美しい女性が好きなのか?」の答えが隠されているように思う。

話しは中学高校時代に戻る。
最初に話したとおり、わたしはこの頃、かわいい女の子に1ミリも興味がなかった。
もしかして、「かわいい」とか「かわいくない」とか、そんなことは考えたことがなかった? 
まさか。その逆だ。わたしは、女の子のかわいさについて、年がら年中考えていた。きっと誰よりも。
わたしはその頃、ひと目会ったときから、その子が「かわいい子」に分類されるか、「そうでない子」に分類されるか、一瞬で判断できた。さらに言えば、その子が自分のことを「かわいい子」か「そうでない子」か、自分でどう認識しているかまで敏感に察知していた。
なぜなら、それが学校という階級社会で生きていくために必須のスキルだったからだ。スクールカーストなんて言葉は、その頃はまだなかったけれど、初めて聞いたときには思わず笑ってしまうくらい、まぎれもない階級社会だった。自分がどの階層に位置しているか、その認知が歪んでいる子が、ハブられるのだ。「ああ、あの子、見誤ってる」とカーストの下層から遠巻きに思うような、嫌な子どもだった。
わたしは、「かわいい子」と「そうでない子」は、生まれつき決まっているんだと思っていた。
「みんな」から「かわいい」と認定されている子たちだけが、化粧をしたり、短いスカート履いたり、男子と親しく会話をしたり、付き合ったりすることが許された。そうでない下々の者たちは、彼らの目を汚さないように、ひっそりと暮らすしかなかった。それは、高校に行っても、ほとんど同じだった。「かわいい女の子」と「かっこいい男の子」しか、恋をすることだって許されていなかった。少なくとも、わたしはそう感じていた。
女子高生が主人公の漫画や映画だって、あるにはあったけれど、わたしにとって、そういうのは、白雪姫とかシンデレラと同じだった。絵空事、実際には起こりえないおはなし。いっとき、退屈を逃れるためのもの。
「そうでない子」であるわたしは、「かわいい子」になれるなんて、だから夢にも思わなかった。だって、生まれつき決まっているのだもの。わたしはわたしで、「かわいくないほうの子」として、それなりに、これからも生きていくんだと思っていた。
だから、かわいい子や、綺麗な人を見ても、なんとも思わない。ただ、「向こうの世界の人」だ、と思うだけだ。熱帯魚はきっと、北極グマを見ても、なんとも思わないに違いない。だって、住む世界が違うのだもの。興味がもてるはずがない。かわいい女の子を見るのは、知らないスポーツをテレビで見るのと同じだった。その世界のルールもわからないし、興味もない、ただ目の前を流れていくだけ。
だから、小学校から高校まで、共学の学校に通ったのにもかかわらず、彼氏なんていなかった。周りの友達も、みんなそうだったし、「彼氏ほしいよねー」っていうのは、「テスト嫌だよねー」くらい、なんの意味もなさない言葉でありつづけた。

そうやって、大学生になったわたしに、転機が来る。もはや革命だ。
当たり前だけど、大学になると、いろんな地方から人が集まってくる。そうしたら、どうだろう。
「あなた、わたしと同じ側の人間でしょう!」
高校までなら、わたしと同じ「そうでない子」に分類されるはずの女の子たちは、なんと、彼氏がいるというのだ。なんなら、元カレだって、何人か、あるいは何人も! いるというのだ。それも一人や二人じゃない、あの子も、あの子も、あの子だって!
わたしは激しく動揺した。だって、カーストを飛び越えるようなことをしたら、何か怖いことが怒るに違いない。そう信じてきたのだ。
「かわいくなくても恋ができるの? 恋なんかしてもいいの? あれはかわいい子だけが許されるものじゃなかったの?」

これまで、疑うこともせずに生きてきたわたしを、さらなる衝撃が襲った。
「カワイイはつくれる」というキャッチコピーだ。
「カワイイが、つくれる? そんな、バカな」
だって、それまで、「かわいい子」はずっと「かわいい子」で、それまでは、「そうでない子」はどんなに頑張ったって、一生「そうでない子」として生きていくしかないと思っていたのだ。弥生人系の顔をした両親から生まれたわたしが、一重でのっぺりした顔なのは道理だ。目がぱっちりした子が生まれたら、おかしいだろう。
そんな混乱した頭の中を、グルグル回る。
「カワイイはつくれる」「カワイイは、つくれる」
テレビCMで繰り返し流れるその言葉は、まるで魔法の呪文のようだった。
それはちょうど、最初の衝撃をへて、「わたしも、恋をしたっていいのかもしれない」と、おそるおそる思い始めた頃だった。
そして、わたしはまんまと、その魔法にかかった。だって「カワイイはつくれる」のだ。口にしてはいけないことだと思っていたけれど、本当は、わたしだって、かわいくなりたいと思っていた。わたしだって、かわいくなれるかもしれない。

そう思ったとき、はじめて「かわいい子」はわたしの世界に入り込んできた。
えっ、えっ! 世の中には、こんなに「かわいく」なるための方法やら、道具やらがあふれていたの? もしかして、みんな元から「かわいい子」だったわけじゃないのか? 天然の「かわいい子」とアーティフィシャルな「かわいい子」がいたのか? もしかして、わたしにも「かわいい子」になれる要素があるのか? 誰かに好かれるために、かわいくなりたいと思ってもいいのか?
でもわたしは、すぐに自分の思い上がりを恥じた。
それまで、「カワイイ」をつくるのが、こんなに大変だなんて知らなかったのだ。根性なしのわたしは、すぐに音を上げてしまった。
でも、自分でほんの少しだけど、近づこうとしてみてわかった。
マシュマロボディも、うるうるの唇も、綺麗な巻き髪も、そんなにすぐには手に入れられないのだ。元から「かわいい子」というのも、そりゃ確かにいるだろう。でも、それだけではなかったはずだ。彼女たちは、きっと「かわいくなりたい」と努力を重ねていたのだ。「かわいい子」は神さまのえこひいき、なんて思っていたわたしは、なんて怠け者だったんだろう。
カワイイは、確かにつくれるかもしれない。だけど、それには並たいていの努力では足りないのだ。その努力を厭わない者、というより、その努力そのものを楽しむことができる者、その者たちだけが、「かわいい子」と呼ばれることができるのだ。

一度でも「かわいくなりたい」と思ったことのある女性は、それがどんなに大変なことか知っている。「かわいい」ままで生きていくことが、いかに困難か知っている。だから、それをやり遂げる女性を、少しうらやましく思いながら、それ以上に尊敬のまなざしで見つめているに違いない。

わたしが敬愛してやまないのが、Perfumeだ。女性3人組のテクノポップユニット。
わたしは、彼女たちと同じ1988年生まれだ。今年30歳になる。
彼女たちがテレビに出始めたとき、「若い女の子たちが、おじさんたちに(あらゆる意味で)踊らされている。こうして、若さとか、かわいさとかが消費されていくんだろうな」と冷ややかに見ていた。「かわいい子」は別世界のイキモノだった頃だ。
だけど、どうだろう。いま現在のわたしは、彼女たちが踊り歌う姿を見ると、疲れているときなんか特に、涙ぐんでいる時さえある。
それは別に、彼女たちと同い年だからといって、自分を重ねているわけではない。
逆に、自分との圧倒的な違いを感じるからだ。「美しい」ということへの、「見られる」ということへの、覚悟とひたむきさを感じるからだ。
Perfumeの3人は、8㎝前後あるハイヒールを履いて踊り歌っている。わたしなら、8㎝のヒールなんて、履いてまっすぐ歩くことさえままならない。そんな靴を履いて、ライブとなれば、何曲も足がつぶれるまで踊るのだ。彼女たちのヒールに隠されている、透明のストラップを見るたびに、その痛みを想像して、何のために踊るのか、誰のために踊るのか、その強さと美しさに、いつも圧倒されてしまう。
「かわいい子」は何にもしなくても「かわいい子」だと、バカみたいに信じていた頃、だからわたしには、彼女たちの魅力がわからなかった。
同じ女だということ、なのにこんなに遠いということ。それはまるで、恋人を遠くに想うように。だからわたしたちは、女が、それも美しい女性が大好きなのだ。そして、思うのだ。
「男には、このかわいさが、本当にはわからない」と、少しだけ優越感を感じながら。

たぶん、「カワイイはつくれる」は嘘じゃない。
女性には、みんな「カワイイの種」がある。
でも、みんながみんな、それを開花させられるとは限らない。でも、誰かがキレイに花咲かせているのを見たら、まるで、自分のなかにあった、大事に育てていた種が発芽したような、「そうだ、わたしのなかにもかわいい女の子がいたんだ」というよろこびがある。次は、わたしのなかの「カワイイ」も、そっと咲くんじゃないかと、ひっそり期待してしまう。
だからその対象は、テレビで見るような有名人に限らない。逆に、自分と同じような「元からそうでない子」の「かわいい」が開花したときのほうが、より驚きとよろこびと、希望が大きいのではないだろうか。だからこそ、秘めフォト部のように、一般の女性の「美しさ」が花開くとき、自分のなかの「カワイイの種」が発芽したような興奮を覚えるように思う。

ああ、だからわたしにとって、かわいい女の子は、綺麗な女性は、みんな同じように「カワイイの種」を1つずつ持って現代に生まれてきた同志なのだ。どんな花が咲くか、何色か、それははじめからは、わからない。自分の「種」に水をやり、肥料をやり、辛抱づよく育てている、強くて、美しい花を咲かせることのできる存在。いつも少しだけ遠くにいて、憧れさせてくれる。
あなたにも、まだ見つかっていない、「カワイイの種」あるかもしれない。わたしは、それが花開くところを、とても見たい。

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