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苦手なことは天職への道しるべかもしれない


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記事:いさだゆりこ(ライティング・ゼミ平日コース)

 
 
私にとってできればやりたくないことの一つは「教えること」だ。
 
いつ頃から苦手意識が芽生えたのかはわからない。大学生になった時、「将来教える仕事に就くことは絶対にないから教職は取らないでおこう」と思ったことは鮮明に記憶しているので、それ以前に「教えること」に対する苦手意識はすでに芽生えていたに違いない。
 
子供時代は多少勉強のできる方だったので、好むと好まざるとに関わらず、人に教える機会が多く与えられたように思う。
 
小学生の頃、チームで問題を解いて正解数を競うというゲームのような授業をする教師がいた。チームメンバーは都度入れ替わるのだけれど、ある時、勉強が苦手な子ばかりと一緒のチームで優勝することができてクラスで驚きの的になったことがある。このゲームのルールはメンバー1人1人が順番に前の黒板に出て問題を解いて説明し、それが正解であればポイントが加算され、最終的なポイント数が高いチームが優勝するというものだ。必ず全員が解答しなければならず、1人で複数の問題に解答することはできない。なので、勉強が苦手な子ばかりのチームというのは、圧倒的に不利な状況にあるということなのだ。私がやったことは、どの問題をだれが担当するのかを見極めて、それぞれが担当した問題を解くことをサポートすることだったが、これが非常にうまくいって、クラスの誰もが予想しなかった勉強が苦手な子ばかりのチームが優勝するという快挙を成し遂げた。
 
中高生の頃は女子校に通っていたのだが、理系科目が得意であったことから教えてほしいといわれることがとても多かった。定期試験の時などは、自分だって試験内容の見直しをしたいのに、試験開始直前まで色々と友達に質問されて教えていることもしばしばだった。
 
今振り返って考えれば、小学生の頃に、無意識のうちに「教えること」に感じていた情熱は、中高生になり、試験対策のための知識の切り売りとなっていって、どんどんと失われていったのではないかと思う。自分がやっている「教えること」は、自分がやりたい「教えること」とは違うという違和感、自分自身が思い描くところに到達できない諦めの気持ちが苦手意識を形成していったのではないだろうか。
 
それでも大学生の時には、理工系で拘束時間が多い大学生であった私は、高時給で拘束時間が短い家庭教師のアルバイトをいくつか掛け持ちしていて、当時の生徒さんには本当に申し訳ないのだが、苦痛を感じながら嫌々ながらにやっていた。多少弁解がましくなるが、嫌だったからといって、手を抜いてやっていたわけでは決してないのだけれど。
 
大学卒業後は、結局というか、予定通りというのか、「教えること」とは全く縁のない仕事に就くことになり、一生「教えること」に関わることはないかと思われた。しかし、転機は15年後に突然やってきた。社会人大学院生として仕事をしながら大学院で学んでいた私は大学教員の職を得て大学に転職することになったのだ。
 
「教えること」を仕事にすることはないと思っていたのに、「教えること」が仕事の重要な要素となる職種への転職に、正直慌てた。しかし、決定してしまったものはどうしようもない。苦手であろうと何であろうとやり通すしかない。
私は、懸命にどうしたら理解されるか、どうすれば真理を伝えられるのか、日々試行錯誤を繰り返し、講義プランを練り続けた。
 
この試行錯誤がとてつもなく面白く、エキサイティングだったのだ。教えることから学び、また、教えるために学ぶ。教えることによりさらに学びが深まり、学びが深まることにより、教えることが真理に近づいていく。表面的な知識の切り売りではない、本質的な学びを提供すること、これが私の目指していた「教えること」なのだ。これができそうにない時、または、求められていない時、私は失望して無力感を感じ、「教えること」に苦手意識を感じてきたのだろう。
 
そもそも「教えること」に興味がなければ「教えること」に高いハードルを課さないかもしれない。表面的なのか本質的なのかはどちらでもよくて、相手が解ればそれでいいじゃないかというように。苦手意識を持つということは、もしかすると、対象にとてつもない高いハードルを課して、それを乗り越えられないことに嘆いているのかもしれない。逆に、大して興味のないことには、自分自身の要求がそもそも低いので高いハードルを課すことはなく、苦手に感じることもないのだろう。
 
なぜ苦手に感じるのかを追求し、そこにある嘆きの原因を掘り下げていくと、そこには、自分が真に求めているものがあるのではないか。苦手だからダメで、避けて通ろうというのではなくて、苦手なものこそ自分の進むべき道を指し示してくれているのではないか。
 
苦手なことは天職への道しるべかもしれない。
 
私にとって最も苦手なことであった「教えること」は、今では私の天職だと思えるようになった。これからも「教えること」を追求して、それを極めていきたいと心から願う。終わりのない探求の道ではあるけれど。
 
 
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2018-03-03 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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