プロフェッショナル・ゼミ

現代に生きるしぶとい人魚姫《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:久保明日香(プロフェッショナル・ゼミ)

4月から部署のチーム編成が変わり、1週間が経った。新しく振り分けられた仕事も自分のペースが構築できはじめ、その日も仕事をこなしながら「今日は帰ったらどんなネタで記事を書いてみようか」と考えていた。すると、上司がスマホを片手に私の元へとやってきた。

「ちょっと、久保ちゃん大丈夫?」
上司の眉間にはシワが寄り、何となく私を心配しているような、言いづらそうな雰囲気で近づいてきた。至って元気だった私には何のことだかさっぱりわからなかった。
「何かあったんですか?」
「……まだ見てないの?」
そう言いながら私に向けられた上司のスマホを覗くとそこには大好きな彼が綺麗な女の人とツーショットで映っている写真があった。
しばらくの間、頭がフリーズしてしまった。言葉が何も出てこなかった。
「これ、本当なの? 久保ちゃんが心配になってとりあえず来てみたんだけど……」

信じたくなかったが、正直に言うと、彼がゆるふわパーマのかかったスタイルの良い綺麗な女性と街を歩いていたという噂を耳にしたことがあった。だけど、決定的な証拠が無かった。目の前の写真をじっと見つめた。2人はただの友達でご飯に行っているだけかもしれないしこの写真自体ももしかしたら合成かもしれない。いろいろな可能性を考えてみたのだけれどこのときは写真のインパクトに勝るような正当な理由を見つけられなかった。

数秒間経ってハッと気づいた。
ここは仕事場で、一応まだ仕事中だ。私は一度深呼吸をしてから言葉を絞り出した。
「大丈夫ですよ! 実は、前々から噂はあったんですけどね、本当だったみたいですね。びっくりした! 教えてくれてありがとうございます」
そう畳み掛けるように話を終わらせ、仕事を再開させた。後ろからは
「無理しちゃダメよ。不毛な恋なんだから、ほどほどにしておきなさいね」
という声が聞こえたような気がした。
この後、終業時刻まで全く仕事が手につかなかったことは言うまでもない。

フロアを出て、帰りの電車でSNSを使って検索し続けた。検索すればするほど自分が傷つくだけなのに、気になるあまり、人差し指のスクロールは止まることはなかった。彼と、相手の彼女について情報を洗い出しまくった私の心はボロ雑巾のようになり帰宅してソファーに倒れこんだ。

いつも帰宅したらつけるテレビも、今日は見る気になれなかった。
私にとってテレビは現実逃避の場所である。日中溜まった疲れもテレビを見ることで一旦リセットできるのである。特にテレビドラマはいい。登場人物に自分を重ね合わせることで冒険をしたり、嬉しいことだって体験できる。普段は上司に立ち向かえなくてもドラマでは立ち向かえる。私にとってテレビドラマはストレス発散の方法の一つなのだ。

そして彼との出会いも、テレビドラマを介してだった。
彼は私が幼い時から親しんでいる男性アイドルグループの一人であり今までテレビで何度も彼を目にしていた。それまでは何とも思っていなかったのだが、見ていたドラマのワンシーンで彼の切ない表情が画面いっぱいに映ったとき、私の心が反応した。
少し長めの前髪、その奥に見え隠れする茶色い目、筋の通った高い鼻に華奢な骨格。
完全にストライクど真ん中だった。別のシーンでは友人や兄弟に対しとびきりの笑顔を見せ、その可愛さにも引き込まれた。気づいたら私は心を彼に根こそぎ彼に持っていかれ、恋に落ちていたのである。
その日以来、私はおとぎ話の人魚姫のように違う世界に住む彼に想いを寄せるようになった。

そして毎日、彼について徹底的に調べ始めた。調べれば調べるほど新しい情報を知り世界が広がりを増していくようだった。ドラマを見て彼を愛で、雑誌のインタビューを読んで彼に励まされ、DVDでは歌とダンスに魅了された。ファンクラブにも入会し、彼に投資をする日々が続いた。人魚姫が自分の声と引き換えに足を手に入れ、王子様に近づいていったように私はお金と引き換えに彼との距離を少しずつ詰めていったのだ。

すっかりファンになったその年、コンサートに行くことで彼がこの世界にちゃんと存在することを知った。肉眼では豆粒のような大きさにしか見えなかったけれど、幻想ではないと改めて確認できたことが彼への想いに拍車をかけた。
「もっと近くに感じたい」
何か方法は無いかと模索した結果、私が次に足を踏み入れたのは“テレビ番組の観覧”だった。彼が所属するグループはレギュラー番組を持っており、その番組の観客席だったらコンサート会場よりずっと近くで彼を眺めていられると気づいた。より近づける日を夢見ながら私は1ヶ月に1回、募集される番組の観覧に申し込み続けた。

申し込み続けることがもはやルーティーンになって2年が経った頃、
『観覧当選のお知らせ』
というタイトルのメールが私の元へ届いたのである!
携帯電話を落としそうなくらい震える手でメールを開封すると、3日後、東京にて収録される特番の観覧に当選した旨が書いてあった。

幸い、観覧日は祝日だったため会社を休む必要もない。私は急いで交通手段と宿泊場所を押さえにかかった。日帰り? 夜行バス? メールの詳細を見ると収録終了予定時刻は未定となっており、ネットで調べると24時近くまでかかったこともあるそうだ。そこで収録日は東京に一泊し、次の日の朝一番の飛行機で神戸に帰ることにした。6時25分羽田発の便に乗れば9時半からの始業に間に合う。朝は4時起きになるけれど、彼に会うためならばどんなハードスケジュールだって苦ではなかった。

すごい倍率を勝ち抜いて、近くで彼を愛でられることを想像するだけで顔の筋肉は緩みっぱなしだった。彼に会えたら大きな声で募る思いを伝えたかったけれど収録中にそんなルール違反はできない。そこで数時間、観覧席にいる私を彼の目に留めてもらえるようにお洒落かつ目立つ服を新調し、持っている中でも大きめのアクセサリーを身につけることにした。

そして迎えた収録当日。テレビ局の裏口に到着した私は緊張と興奮でいっぱいだった。きょろきょろと辺りを見回していると、元気で明るい女性が声をかけてくれた。
「番組観覧、初めてですか?」
その女性は私よりも5つも年下だったが、運良く何度も番組収録に当選した経験があり、かなり慣れている様子だった。彼女は過去に彼らの立ち位置のすぐ後ろ、匂いがわかるくらい近くの“神席”に座ったこともあるという。もし今日そんな席になったら……と想像するだけで私の興奮は高まるばかりだった。

スタジオに入ると、競技場を小さくしたようなセットがつくられていた。下から一段目、二段目、三段目……と楕円周上に配置された席に、当選番号が早い人から順に座っていく。私に巡ってきた席は残念ながら神席では無かったが、充分近い席だった。
「はーいじゃあ、スタジオインされます。皆さん、拍手で盛り上げてくださいね」
ADさんの合図でスタジオは大きな拍手に包まれた。
そして現れた憧れの彼! 
コンサートなんかよりずっと近い! 
肉眼で、ちゃんと顔のパーツまで見える! 
私の感動は最高潮に達していた。スタジオに入ってきてからしばらく彼は各方向に向けてゆっくりと手を振っていた。

私も盛大な拍手をしながら手を振り、彼を出迎えていた次の瞬間!
一瞬、息が止まった。心臓を握りつぶされたかと思った。
コンサートで女子がよく言う、「私の方見てた~! 目が合った~!」というあれを体験した。今までは嘘だ、錯覚だと思っていたのだが、目が合うとわかると知った。こんな貴重な体験ができるなんて観覧に当たってよかったと改めて思った。

彼は収録中、巧みな話術とコロコロ変わる表情で番組を盛り上げていた。一秒たりとも気を抜かず、仕事に打ち込むその姿はまさに夢を与える人の鏡だった。ますます彼のことが大好きになった。

夢のような番組観覧の日から2年半が経った今、彼は突然現れた女性と距離を縮めている。私はまさに人魚姫そのものだった。王子様と一緒に時を過ごし仲良くなったと思ったのに王子様は別の女性と結婚しようとしている。その時の人魚姫の心情が痛いほどよく分かった。だけどもし、私が人魚姫だったとすると、これから待っている結末は……泡になって消えてしまうというものだ。

そんなの絶対に嫌だ。

彼は私に毎日、夢を与えてくれた。大好きな人がいるだけでこんなに世界は変わるんだということを教えてくれた。
いっその事、想いが全て泡になって消えてくれたら楽になるのかもしれない。
だけど、今まで育んできた想い、費やしてきた時間はもう私から染み付いてはなれないのである。現にズタボロにされた今だって彼のことを嫌いになれない。好きで好きでたまらないのだ。

自分の正直な気持ちを再認識した私はもう一度、あのツーショット写真を思い出した。

今まで夢を与え続けてくれた彼がみすみすツーショットを許すなんてヘマをするだろうか。これには何か裏があるのかもしれない。だんだんそう思えるようになってきた。
もしかしたらこの写真は、彼から私への挑戦状なのかもしれない。
どんなことがあっても自分の目の前から消えず、死ぬまで添い遂げてくれる人かどうか、試されているのかもしれない。

都合がよすぎる! と言われたって構わない。
どうせ立ち向かわなければならないのであれば、前向きな方がいいに決まっている。
これから先、どんな試練が待ち受けようと、私は絶対、泡になって彼の前から消えたりしない。全て受けて立ってみせようではないか。

***

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