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プロフェッショナル・ゼミ

ライティングは、産みの苦しみ《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:大国 沙織(プロフェッショナル・ゼミ)
 
書くことを本格的に始めて、半年になる。
天狼院書店のライティング・ゼミを受講し始めたのが、今年の2月。
この講座の存在を教えてくれたのは、facebookにたまたま流れてきた広告だった。
普段の私は広告のクリックなど滅多にしないのだが、なぜか気になった。
どれどれ、受講するとどんな文章が書けるようになるんだろう……?
そんな軽い好奇心で、一人の受講生の書いた記事を読んでみた。
そして、心底驚いた。
「文章が上手い」なんて、そんなことを思う隙さえこちらに与えない、ぐいぐい読ませるような勢い。
陳腐な表現だが、まるで雷に打たれたような衝撃を受けた。
ウェブの記事にしては文字数が多いのではと思ったけれど、その長さも全く負担に感じさせなかった。
他の受講生の記事も、過去までさかのぼってむさぼるように読んだ。
一体、どうしたらこんなすごい文章が書けるようになるんだ……。
 
きっと何か、魔法のようなテクニックを教えてくれるに違いない。
受講生の記事の中には、ライティング・ゼミについて書いているものもいくつかあったけれど、実際にどういうことを教えてもらえるのか、その肝心の内容はよくわからなかった。
だから、余計に気になった。
わかったのは、「どうやらライティング・ゼミに通うと、世界が全く変わって見える、輝いて見えるようになるようだ」ということだけ。
でも、それだけで十分だった。
「恋をすると、世界の何もかもが美しく見える」とはよくいうけれど、もしかしたら書くことを通して、そんな心地が味わえるかもしれない。
それは、とても魅力的な誘いだった。
そのまま講座内容もろくに読まず、申し込みをした。
きっと、この書くことに対する苦手意識もなくなるはずだ、という期待を胸に。
 
書くことは、好きか嫌いかで言えば、昔は好きだった。
子供の頃から本の虫だったから、自分で紙に絵と文を書いてホチキスで閉じて、簡単な絵本のようなものを作ったりして遊んでいた。
読むことが全く苦にならないのと同様に、書くことも負担ではなかった。
作文や読書感想文で苦労した記憶はないし、むしろドリルなど他の宿題よりもハードルが低かったので、夏休みはそれらから先に手をつけていたほどだ。
大学に入ってからも、レポートでは困らなかった。
レポートなら、自分の興味や好きなことに寄せて、どうとでも書けるからである。
むしろ試験勉強の方が苦手だったので、可能な限り、試験がなくレポートさえ出せば単位がもらえる授業を選んで時間割を組んでいた。
 
書くことを初めて苦痛に感じたのは、卒業論文を書いているときだった。
文学部で源氏物語を専攻していた私は、「源氏物語の不義密通について」というテーマで書くことにした。
不義密通は、今でいう不倫、道ならぬ恋である。
なぜこのテーマで書こうと思ったかというと、今とは不倫に対する概念が大きく違うということに興味を持ったからだ。
私自身は不倫したい願望はないのだけれど、多大なリスクを背負いながらも何が人をそうまでさせるのか、という純粋な疑問があった。
 
源氏物語の中で、不倫をしている当人同士は、それを宿世(すくせ)のせいにし「もうこれは運命だから仕方がない」と嘆いていた。
平安時代は仏教色が強く、個々人の運命は、生まれる前から決まっていると考えられていたのだ。
それは決して、人の力で変えられるようなものではない。
だから道ならぬ恋も、始まってしまったら「ああ、私たちそういう運命だったのね」と受け入れて、そのまま進むしかないという訳である。
けれど、現代日本においても考え方のパターンが一人一人違うように、当時もこの限りではない人がいた。
源氏の息子、柏木である。
彼は、源氏の妻である女三宮と密通し、その罪悪感から病気になって死んでしまうのだ。
このように、不倫してもケロッとしている人(代表:源氏)がいる一方で、そうでない人もいた。
そこで源氏物語に登場する不義密通をピックアップして、それぞれの共通点と違いを比較検証した。
 
書き始めてすぐは、筆がよく進んだし、調子がよかった。
けれど、次第にペースが落ちてきて、しまいには手が止まってしまった。
私は締め切りギリギリにならないとやらないタイプなのだが、15,000字の卒論ともなると流石にそうもいかない。
いくら興味のあるテーマとはいえ、自分なりの論を立てること、きちんと辻褄を合わせることなど、書くにあたって気にしないといけないことが山のようにある。
考えが浅くても書けてしまったA4一枚ぐらいのレポートと違い、ものすごく深堀りしないと書けない。
私はやっと、これまではただ好き勝手に書いてきただけだったのだ、と気づいた。
書くことが、本当はこんなに難しいとは。
 
卒業論文であんなに苦しんだのに、あろうことか私は大学院にまで進んでしまった。
しかも、それまでとは全く畑違いの政策系の研究科に。
言うまでもなく、修士論文はもっと地獄だった。
毎日のように書いては消し、を繰り返しても、論が、糸口が全く見えてこない。
本来は2年で修了するはずの課程を、論文が書き進められないばっかりに半年延ばし、さらにまた半年延ばし、結局3年もかかってしまった。
途中、あまりにも出口が見えず、もう辞めてしまおうかと思うほどだった。
最終的には4万字の代物を提出することができ、審査も通ったが、納得のいく仕上がりとは程遠い。
 
書くことで苦しんだ経験により、私はすっかり「ライティング・アレルギー」になってしまった。
もうワードの画面を立ち上げるだけで、吐き気がしてくるほどだった。
でも、本来の私は、書くことが好きだったはずだ。
書くことに喜びを感じていた、昔の感覚を取り戻したい。
好きな本に関わっていたいという思いもあり、私は出版社に就職し、雑誌編集の仕事をすることになった。
ところで編集業は人の書いた文章を直すのがメインと思っていたが、いざ入ってみると、一から記事を書くことの方が多かった。
そして私はまた、それまで気づかなかった自分の一面を目の当たりにすることになる。
文章の仕上がりが、メンタルの状態にかなり左右されるのだ。
調子のいいときは問題ないけれど、そうでないときは、全然いいものが書けない。
締め切りに追われると、なおのこと余裕がなくなってくる。
プロとして仕事をするなら、コンスタントに安定して良質な文章が書けるようにならなければ、と痛感した。
 
フリーランスになり、「フリーライター」と名乗って仕事を受けながらも、私は自分のライティング・スキルには正直全く自信がなかった。
それなので、文章術系の本はかなり読んできているつもりだ。
読んでいるときは、「ああなるほど、文章が上手い人ってこうやって書いているのか!」と納得する。
けれど、実際にいざその学んだことを実践しようとしても、小手先のテクニック的なことしか真似できずに終わってしまう。
どう考えても、スキルが進歩しているとは言い難かった。
 
天狼院のライティング・ゼミの存在を知ったのは、そんな行き詰まりを感じていた頃である。
講座に通い始めて驚いたのは、これまで学んだどんなライティングのノウハウとも、全く違う内容だったことだ。
でも、非常にわかりやすくシンプルなのだ。
講師の三浦さんの話を聞いていると、その教わった原則に従って書くだけで、スラスラと書けそうな気がした。
これを使って、早く記事を書きたい! と心から思った。
積極的に何かを書きたいなんて、一体いつぶりの衝動だろう。
けれど、いざ張り切って書いてみるも、これが想像していたようには上手くいかない。
たった2,000字の課題なのに、半分も書けずに手が止まってしまう。
毎週課題を提出して添削してもらえるチャンスがあるのだが、最初のうちはあまり提出もできなかった。
ある一定の基準に達したと判断された記事は、web天狼院に掲載される。
でも毎週提出できるようになっても、その合格もなかなかもらえなかった。
やっと合格するようになったのは、2ヶ月以上経ってからである。
それでも、次の投稿は落ちてしまったりと安定しなかった。
 
けれど次第に、変化を感じるようになってきた。
「いい文書くようになったね」「文章が読みやすくなった」と周りから言われることが、少しずつ増えてきたのだ。
自分ではあまり進歩している感覚がなかったのだが、確かに以前書いたものと読み比べると、多少は改善しているような気もする。
昔書いた記事は、流れが滞っていたり、脱線が多かったり、何が言いたいのか不明瞭なパターンが多かった。
今の自分だったらこう書くな、と思える箇所がいくつもあった。
少しは私も上達しているのかもしれない、と自覚できた瞬間だった。
 
ライティング・ゼミを受講して4ヶ月。それで講座は終わりだった。
私はようやく、「書くコツ」のようなものを掴みかけていた。
三浦さんの講義を何度も動画で見返し、「あのときの話はこういうことだったのか!」とかなり後になってから腑に落ち、大分時間が経ってから自分のライティングに活かせるという調子だったので、亀のような歩みだったけれども。
でも、やっと「書くって楽しい」という感覚を取り戻しつつある今、このまま終わってしまうのは惜しかった。
そんなとき、次の段階である「プロフェッショナル・ゼミ」の開催が、今期で最後になるということを知った。
「もう少しスキルが上達したら、いつか受講したい」と思っていた講座である。
 
受講するかどうか、かなり迷った。
今の自分が受講して、果たして意味があるのだろうか。
ライティング・ゼミの内容さえ、まだ使いこなせていない私である。
「猫に小判」状態になっても、おかしくはない。
やっと2,000字が書けるようになったのに、5,000字の世界なんて、まるで書ける気がしない。
でも「書くことで食べていきたいから、やっぱり受講しよう」と思い立ち、受講資格を獲得するための試験を受けることにした。
どうにか試験には受かったけれど、プロゼミに入ってからは、自分との戦いだった。
 
2,000字から5,000字への壁の高さは、想像をはるかに超えていた。
当たり前だけれど、ただ字数をたくさん稼げばいいという訳ではもちろんない。
5,000字書くからには、それだけ長く書く意味がしっかりないといけない。内容も濃く、全体の流れは違和感を感じさせない自然なものでないと、読者には最後まで読んでもらえない。
キーボードの打ち過ぎで、はじめて手が腱鞘炎になった。日常生活には困るけれど、書くことに打ち込めている証のようで、何となく嬉しい。
 
そして避けては通れないのが、「ネタ切れ問題」だ。
認めたくないけれど、すでにライティング・ゼミでネタ切れを感じていた。
人生、記事にできるような劇的なことなんてそうそう起こらない。
仕方なく、これまでは忘れようとしていた、過去の辛い記憶を引っ張り出すことにした。
子供の頃、周りとうまくコミュニケーションが取れず、本だけが友達だったこと。
高校時代、病気になって普通に生活するのも大変だったこと。
就職したはいいものの、ストレスで味覚障害になり精神を病んだこと。
 
しかし不思議なことに、思い出したくもないような出来事を言語化していく中で、どんどん救われていく自分がいた。
書き終わった後には、まるで憑き物が落ちたようにスッキリしていた。
昇華できていなかった過去の傷が、完全に癒されていた。
これからは、何も恐れることなく、前に進んでいける……!
これまでで一番、書くことによる威力を感じた瞬間だった。
「ライティング・セラピー」と、お呼びしたいぐらいだ。
誰にも見せなくてもいい。
一生思い出したくないような辛いこと、過去のトラウマをもし抱えているなら、試しに書き出してみてほしい。
今の自分が、書くことを通して、過去の自分を救ってあげられるかもしれない。
 
そして私は、過去28年間の辛かったエピソードはあらかた吐き出してしまい、生まれたての赤ん坊のようにスッキリしているけれども、今またネタ切れに苦しんでいる真っ最中だ。
日常のなんでもない出来事を記事にするには、私はまだまだ実力不足のようで、ああでもない、こうでもない、とパソコンの前でのたうち回っている。
まだ出産は経験したことがないけれど、書くことは、産みの苦しみに近いものがあるのではないだろうか。
「苦痛と快感は紙一重だ、あらゆる苦痛は快感になりえる」と聞いたことがある。
この書けない苦しみさえも味方につけて、これからも一生、書くことに喜びを感じていきたい。
きっとどんなときも、自分を助けてくれるはずだから。
 
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この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
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