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メディアグランプリ

否定よりも肯定的な言葉を使おう。生き地獄にしないために


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:榊原豊晴(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
「なんでこんなこともできないの?」
腹に収まっている内臓の底の底が、スーッと突き上げられ、肩から首、頭へだんだんと登っていく寒気が感じられる。
 
自分が敏感すぎるのだろうか。
人とは違うのだろうか。
 
私にとっては、否定の言葉は通り魔に刺されるようなものだ。
否定の言葉を向けられると、ナイフで内臓をえぐられるような感じを覚えることが多い。
 
いつからだろうか。こんな感覚を持ったのは。
 
小学校5年に転校した。その名の通り、転校生となった。
生活が一変するという、人生で初めての経験だ。
 
「地獄だ……」
 
それまでは、茨城県の田舎で「勉強しないさい」と言われたこともなかった。もしかしたら言われていたのかもしれないが、そんなことを覚えていることもないくらい、ほのぼのと暮らしていた。
幼い頃より小児喘息を患うなど、体が弱いこともあって、両親も「勉強なんてできなくても健康であれば、それで良い」という教育方針だった。
 
転校先の小学校では、担任が優秀な生徒を「天才」と言っていた。
ちょっとでも担任の意に沿わないようなことがあると、信じられない言葉を耳にする。
 
「あなた、天才だと思ってたけど、馬鹿だったのね」
 
そんな学校だったので、勉強なんてできない私はクズのような存在だ。
事あるごとに「否定」される。
 
「なんでこんなこともできないの?」
「指示通りなんでできないの?」
「だから言ってるでしょう?」
 
次から次へと繰り出される否定の言葉は、イクラを一つ一つ口の中で潰していくように、体の細胞を一つ一つ潰されていく感覚。
死刑が確定している死刑囚が、朝に目が覚めると、その時を宣告され続けているかのようなものだ。
 
「こんなことがいつまで続くのだろうか?」
 
否定の言葉は呪いの言葉になり、それまで生きてきた人生や全人格を否定される。
この世の全てが地獄と化しているようだった。
同級生が悪く言われるのも辛い。これは後に、あるテストで人よりも共感性が高いというのが分かった。
それだけではなく、人間自体の「脳のしくみ」として、「他者」と「自分」というものの区別はしないということを知ることになる。
他人の悪口など、否定的な言葉を耳にすると、脳では「私に対して言われた」と認識するということだ。
 
そんな中でも、救われていることがあった。
ちょっとではあるが、肯定されたときだ。
そんな私でも、習字と図工の時間はまあまあマシだったので、その落差だからだろうか。褒められたことがあり、その時だけは死刑宣告の中で、無期懲役に変わる瞬間だった。
 
「死刑宣告という地獄に比べれば無期懲役は、なんて天国なのだろう」
 
親も認める手先の器用さと、母が小学生に習字を教えていたということもあり、直接習った経験は少ないが、見よう見まねで、独学で書き続けていたのも訓練になっていた。
今思えば、この救いがあったから生きられていると言っても過言ではない。
 
「なんであの時、死ななかったんだろう」
死なずに済んだのは、救いがあったからだった。
 
「厳しさの中にも愛があれば分かってくれる」
「叱ることは、成長していく上で必要だ」
「わがままにならないように、教師や親はしつけなければならない」
 
今だから言える。
いじめ、いじめられ、苦しみ、悩み、その字の通り「苦悩」の多い人生だった。
はっきり言おう。
 
「厳しさや叱りは、子供にとっては感情的に怒られているということだけだ」
 
子供にとっては、「あなたのためだよ」という言葉はまやかしであり、幻想、妄想の世界となる。
子供にとっては、否定の言葉は呪いの言葉になり、それまで生きてきた人生や全人格の否定だということ。
 
それよりも、肯定的な言葉に注意を向けてほしい。
人はできること、できないこと、得意なこと、苦手なことがある。
苦手を克服しても、マイナスをゼロにするだけだ。できることに焦点を当てれば、プラスがプラスを呼んで突き抜けることができる。
「できること」が「できること」を呼び、さらに能力が上がっていく。
 
絵画を、「へぇ、すごく良いね!」と言われたときの嬉しさ。
小学生の頃から苦手だった算数は、中学に「数学」という言葉に変わっても得意にはならなかった。授業中も家でも勉強する気には全くなれなかった。
絵画であれば、美術で出された課題は、授業中だけでなく自宅に持ち帰って、夕食の時間を告げられても書き続けることができた。
 
習字を、「そんなに綺麗に書けるなんてすごいね!」と言われたときの嬉しさ。
暗記が苦手で、漢字を憶えるのが苦手でも、高校では「書道科」に進むまでに好きになった。
書道の授業だけでなく、家に帰っても毛筆や硬筆に関わらず、字の練習をするのが楽しかった。
 
計算はそれから何十年経っても好きになれない。
パソコンでのタイピングは人よりも早いが、手書きは今でも大好きでよく書いている。
 
否定的な言葉で萎縮して未来を潰してしまうよりも、肯定的な言葉で未来の可能性を大きくしていく方が、特に子供にとっては大きく広い、光り輝く天国になる。
今生きている世界を、決して地獄にしてはならない。
目の前にいる人に対して、ぜひ、肯定してあげて、生きる力を与えてあげてほしい。
 
 
 
 
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2019-07-18 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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