文章の魔法にかかったら、一生懸命生きている人にぴったりのカクテルと出会えた《プロフェッショナル・ゼミ》
*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:一宮ルミ(プロフェッショナル・ゼミ)
「カンパリシェカラート」
そのカクテルの名前を知ったのは、天狼院書店のホームページに掲載されたお酒が大好きな女性が書いた記事だった。
彼女の文章は、いつもお酒への愛で溢れている。上手なお酒の飲み方、お酒で失敗したこと、お酒で元気になったこと。読むたびに記事に載っているお酒が必ず飲みたくなってしまう、魔法のような文章だ。
そして、私も彼女の文章の魔法にすっかりかかってしまった。
先日、目にした「カンパリ」というお酒の記事。
カンパリは、数十種類の薬草が入っているというお酒。
昔、一度だけ飲んだことがある。
一口飲んで、失敗だったと悟った。
「苦い」
とにかく苦かった。今までに飲んだことのない味。アルコールの苦さではない。カンパリを構成する薬草の成分だろうか。苦い漢方薬をも超えるほどの舌をさす苦味が口に広がった。
もともと苦いものが苦手だった自分にはとうてい受け入れられないシロモノだった。
カンパリには、手を出さない。
私のお酒にまつわるルールとなって久しかった。
それなのに、素敵なお酒の文章の魔法にかかった私は「飲んでみたい」と思った。記事に載っていた、カンパリを氷と一緒にシェークしただけのカクテル「カンパリシェカラート」を。
それは、あのカンパリをストレートで飲むということだ。
私はそれを実行するための計画を立てた。
徳島県内のとあるバーに、女性のバーテンダーさんがいることを知っていた。カクテルコンテストで世界を制して優勝したほどの腕の持ち主という。雑誌で彼女の存在を知り、一度だけお店に行ったことがあった。小さいながら雰囲気のいい古き良き伝統を守ったお店と、彼女の気さくな人柄がとても印象的だった。そして、彼女の作るカクテルはどれもとても美味しかった。彼女が作ったなら間違いない。絶対、世の中のカンパリシェカラートの中では一番美味しいものになる。
ちょうど、職場の飲み会が計画されていた。
グッドタイミング。職場の飲み会のあと、1人でバーに行こうと決めた。
そして、飲み会当日。
職場のメンバーとのお酒や食事は美味しくて、おしゃべりも面白かった。
でもその間も、どうやって2次会をパスして、バーに行くかということが頭の隅から消えなかった。おかげでチューハイ、赤と白のグラスワインと立て続けに飲んだにもかかわらず、全然酔った気にならなかった。
運のいいことに、1次会は思っていた時間より相当早く終了した。
よし、このまま、バーへ直行しよう。
店をでて、口々に「お疲れ様。次はどうする?」と話している輪から、少しずつ、少しずつ後ずさりして、距離を取る。
小さい声で「じゃ、私はこれで……」といいかけると、ときどき一緒にJRで帰る先輩に「一宮さん、どうやって帰るの? JR?」と聞かれた。
「いえ、私は今日はタクシーで。では、お疲れ様でした!」
逃げるように集団から離れ、駅とは反対方向に歩き始めた。
バーまで歩いて3分ほど。すぐに到着した。
重いダークブラウンのドアをぐいっと開けた。
「いらっしゃいませ」
カウンターの向こうに、あの腕のいい女性のバーテンダーさんがいた。
カウンターの端っこの方の席に座った。バーテンダーさんがおしぼりを手渡すのも待てず、
「今日は、どうしても飲みたいものがあるんです。作ってもらっていいですか!」
1次会で飲んだワインの勢いもあり、初めてこんな注文をすることに興奮していた。バーテンダーさんに襲いかからんばかりの勢いで。
「はい。いいですよ」
バーテンダーさんは、驚いた様子も見せずニッコリ笑ってくれた。
「カンパリシェカラートが飲みたいんです」
私が言うと、
「ああ、カンパリですね。かしこまりました」
ひとまず注文できてほっとした。
ゆっくり椅子に腰を落ち着け、店内を見渡した。
お客さんは、私と、カウンターの反対側に一人、中年の男性がいた。常連さんかどうかわからなかったが、アロハシャツのような柄のシャツを着た楽しそうな感じの人だった。スタッフの女性と「今日も暑かった」という話をなごやかにしていた。
店内も、ドアと同じように落ち着いたダークブラウンで統一されていた。バーカウンターは、とても重そうな厚みのある木でできていて、手を滑らせるとツヤツヤしていて、木の肌触りと厚みが気持ちよかった。女性が切り盛りするお店らしく、可愛らしい雰囲気もただよっていた。ここにして正解だった。
バーテンダーさんが、シェーカーとカンパリの瓶、よく冷やしたカクテルグラスを取り出して、カウンターに置いた。照明のせいだろうか。瓶に入ったカンパリの赤色は濃く、茶色に近いように見えた。けれど、ラベルは間違いなく、昔、苦くて飲めなかったそれだった。
果たして本当に美味しいだろうか。
どんなに腕のいい人が作っても、やっぱり美味しくなかったらどうしよう。
ここまで来て、まずくて飲めなかったら、もう一生飲めないだろう。
「すみません、やっぱりまずくて飲めません」なんて大人が集うバーで子供みたいなことを言うなんて、あまりにカッコ悪すぎる。
でも、記事に書いてあった。
シェークしたカンパリは、苦味の角がとれ、まろやかになると。
そして、作るのは世界一の腕の持ち主だ。
ならばあの魔法の記事を、バーテンダーさんの腕を信じよう。
バーテンダーさんは、無駄のない手つきで、カンパリをメジャーで計って、シェーカーに入れる。蓋をして、そっと持ち上げた。
シャカシャカシャカ。バーテンダーさんの手の中でシェーカーが美しく振られる。シェーカーの中でカンパリと氷が揺れる音、氷が砕けるような、小さな粒がコップの中で弾けているような音がする。
ふっと、バーテンダーさんの手が止まった。カクテルグラスに指がかかる。
シェークされたカンパリが出てきた。
カンパリは、茶色からオレンジ色に変わっていた。
秋の夕暮れの、夜の紺色に塗り替わる直前の濃いオレンジ色。
なんて綺麗なんだろう。
そして、瓶に入っていたときのような透明度はなく、濃いオレンジ色でグラスの中がいっぱいだった。
「透明じゃないんですね」
バーテンダーさんに聞いてみた。
「シェークして、空気が混ざっているので、透明ではなくなるんです」
小さな気泡の粒が、透明度を消しているのか。その証拠に、グラスに注がれたカンパリの表面も小さな空気の粒で真っ白に泡立っていた。そしてその白い空気の粒の中に、小さく砕けた氷の粒が浮かんでいる。照明に照らされてキラキラ光っていた。
「いただきます」
そっとグラスと手に持って、口に近づける。薄いグラスに唇がつくと冷たかった。カンパリを少し口に入れる。こくっと飲み込んだ。
「あ、苦くない」
いや、苦味が全部なくなったわけではない。少しほろ苦い。でも、あの舌を刺すような強烈な苦味は、拍子抜けするほど感じなかった。
代わりに感じた味は甘さだった。甘みなんて昔、飲んだときには、どこにも感じられなかったのに。
カンパリの奥の奥に隠されていた甘みが、姿を現したのだろうか。
「美味しい」
なんて美味しいオレンジ色の飲み物だろう。
あのカンパリが、こんなに美味しくなるなんて。
美味しくてよかった。
甘さにつられて、一気に飲み干したい欲望にかられるが、そこをぐっと我慢して、ちびちびとカンパリシェカラートを味わった。
不思議なことに、漢方薬のような薬草の香りが、くせになりそうな気がしてきた。
グラスを口に運ぶたび、美味しい、美味しいとまるで呪文のように、つぶやく自分がおかしかった。
グラスに入ったカンパリシェカラートを眺めながら、今日の1次会のことを思い出した。おしゃべりの話題のひとつに、少し前に私が仕事でやった失敗のことが挙がった。私のツメの甘さと、ちょっとした不運が重なって、普段なら発生しない事態になった時のことだった。皆、笑い話のように、その時のことを語っている。
私も、平気なふりをして、一緒になって笑っていたけれど、本当のところ結構、へこんでいた。
どうして、もう少しちゃんと確認しておかなかったのだろう。どうして、もう少し冷静に考えなかったのだろう。いい加減な仕事ばっかりする自分に腹がたっていたし、後悔もしていた。
笑って平気なふりをして、皆に笑われるままにされている自分が情けなかった。もっと素直に落ち込んでもいいのに、全然気にしてないよという顔をしている自分が悲しかった。
周りの人は、私のミスが引き起こした事態を、本当に笑い話だと思っていてくれたのかもしれない。私もそんなに気にしなくてよかったのかもしれない。
でも後悔と、自己嫌悪が心の中で重石のようになって、なかなか気分が浮上できなかった。
1次会でそんな気分になって、カンパリシェカラートを飲みに行くなんて浮かれたことをしてはいけないような気持ちもしていた。でも、この機会を逃したら、一人でバーに行くなんていうチャンスは当分巡ってこないことも分かっていた。
1次会で芽生えてしまった、落ち込んだ気持ちを抱えたまま、さっきバーの重いドアを開けたんだった。
後悔や自己嫌悪は、初めて飲んだカンパリの苦さに似ている。苦くて、まずくて、心を刺す、吐き出したくなる。
感じなくてすむものなら、そうしたい。
でも、生きていれば、思いもよらないことが起きる。
そんな時、私はいろんな感情に振り回される。
シェーカーは私たちが生きている社会のようだ。その中で私たちは恋人や友人と仲良くなったり、喧嘩したり、仕事で成功したり、失敗したり、家族とうまくいったりいかなかったり。誰かと出会ったり、別れたり。
私たちは社会というシェーカーの中で感情を揺さぶられ、振り回されて、傷ついたり、落ち込んだりする。その度に立ち上がり、今よりもっとよくなろうと必死に生きれば、シェークされたカンパリのように苦味の角がとれ、まろやかになって、心の奥から滲み出る甘みのある人間になれるかもしれない。
なんだ。そうなら、失敗したり、落ち込んだりするのも悪くないじゃないか。
今、私が考えるべきは、今回の失敗を次にどう生かすのか、自分を過大評価して傲慢になってなかったか、そして私の失敗を笑いとばしてくれた周りの人への感謝だ。
愚痴をこぼすことでも、悲劇のヒロインぶってぬくぬくとした自分という殻の中に閉じこもることでもない。
私は、グラスに残っていたカクテルをぐっと飲み干した。
最後の一滴まで美味しかった。
カンパリと氷をシェークしただけのカクテル、カンパリシェカラート。
それはまるで、社会の荒波に揉まれてもなお、ひたむきに強く優しく生き抜く人の生き様のようだ。
文章の魔法にかかって、苦手だったカンパリを飲みにきたら、こんな美しい、元気がでるカクテルに出会うことができた。
「ごちそうさまでした!」
そう言って、お店の外に出ると、夜だというのに、体に8月末の残暑の湿気と熱気がまとわりついてきた。けれど、心も口の中もカンパリでできたあの素敵なカクテルのおかげで爽やかだった。
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