本当に必要なものは一握り
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:北澤 佳苗(ライティング・ゼミ冬休み集中講座)
先日、パソコンの不具合で工場出荷時初期化作業をしたときにふと、思い出したことがある。
2019年10月に日本に上陸した台風10号。
史上最強と言われた台風は、建物が揺れるほどの、唸っているような暴風が一晩中吹き付けた。翌朝の、飛び散ったゴミや葉っぱや切れた電線が広がる街の様子と、眩しい朝日と嵐の後の静けさを感じされる優しい風の様子が対照的だったのを今も思い出せる。
「この地域では避難勧告が出されました。直ちに近くの避難所に避難を開始してください」
その日の午前10時、区内での放送が流れた。今夜は避難所で過ごすことになるのか。
天気予報をみると、午前中いっぱいは、なんとか風が落ち着いていそうだ。
2時間くらいで準備して避難所に向かうことにした。
何を持って行こうか。ラジオはいるだろうか。懐中電灯も必要かもしれない。電池も予備があれば、ありったけ持って行こう。きっと避難所では時間がたくさんあるはず。せっかくだったら図書館で借りた本を読んでしまいたい。2冊くらい持って行こう。
そんなことを考えて荷造りを始めたらパンパンのボストンバッグ2つが出来上がった。
流石にこれ以上は、強い雨風の中で一人では運べない。
結局荷造りをしなおした。前日に買い込んだパンやおにぎりやみかん、水、スマホの充電器、メイク落としシート、耳栓、アイマスク、タオル、本1冊がカバンに入れた。これが精一杯だった。一人で抱えられる荷物を持って、一晩を避難所で過ごした。
家には必需品だと思っているものがたくさんあったはず、と思っていた。
ボーナスで買った高級ブランドバッグ、退職金で買った一眼レフ、パソコン、愛用している電子ピアノ、血眼になってネットオークションで競り落したC D、高校生の時から何度も読み返した漫画全巻セット。
価値を感じ、コレクションとして大切に家に置いてあったものは、自分の安全を最大限考えた時、どれも必需品からは漏れていった。
一夜明けて、避難所から帰宅した我が家には、変わらず大切なコレクションは置いてあった。自分の中で価値を感じて側に置いていたものは、なかったとしても困らなかった。
大切で必要だと思っていたのに、必要じゃなかった。大いなる矛盾した気持ちに苛まれた。
パソコンのリセットを完了した時にも同じ気持ちになった。
バックアップをするためのH D Dを買うまで待てない。
デスクトップに残っていたデータが20個くらいあったはずだった。諦めてオールリセットをした。
「いつか使うかもしれない」
そう思ってデスクトップの残してあったデータは消えた。しかし、どんなものが残っていたのか思い出そうとしても2個くらいしか思い出せない。
4年前の転職時の履歴書や、家計簿代わりに作ったエクセルシートはあったかもしれない。
パソコンはリセットしたお陰で、ストレスなく動くようになった。
そういえば、仕事でも部署の異動や会社の退職などでデータなんて丸ごと手放したことはあった。手放したけどその後、すごく困ったことはあまりなかったことを思い出す。本当に大切なことはちゃんと記憶に残っている。
欲しいものを手に入れると充足感に満たされる。ものに囲まれていると安心感を抱く。
しかし、台風の時に感じた「大切で必要だと思っていたのに、必要じゃなかった」という矛盾。
実は持っていなくても、痛くもなんともないし、生命の危機には必要がないことにも気づかされる。
むしろ持てば持つほど失った時を想像して不安に苛まれる。きっと自分の一部が欠けたような悲しい気持ちになるのだろう。
ボーナスで買った高級ブランドバッグは実は3年も使っていない。今の自分のファッションには不相応でもったいなくて使う場面がないことに、結構前から実は薄々気づいていたのかもしれない。
それなのに、仮に台風で家が倒壊して、ブランドバッグが川に流されるという顛末は見たくない。
なぜだろうか。
実は手放せないのは、あの時必死で働いていた自分へのご褒美、という感情なのではないか。
苦労して手に入れたと思っている経験や人脈、評価、栄光。恋愛もあるかもしれない。
「いつまで今の仕事を続けていくのかなって思うんですよね。でもやりたいこととか分からないし、今の職場の人は悪い人じゃないし、今より年収下げるのは嫌なんですよね」
最近よく受ける相談だ。同年代の友人がみんな同じことを言っている。
ブランドバッグを抱えたまま恐ろしい嵐の中を一人で過ごすのか、はたまた自分にとって必要なものだけ持って一歩を踏み出すのか。
私も何年か同じことで悩んだ末、体調を崩し10年続けた大企業を辞めて、自分なりに働き方を模索しながら前に進んでみている。
ストレス解消の旅行もやめたし、仕事の人脈づくりだけの行きたくない飲み会にも行かなくなった。衝動買いもやめたし、ほぼ身にならなかった自己啓発の投資も厳選するようになった。
それでも、大切なものはちゃんと残ったと感じている。
関係を続けたいと思った人との交流はちゃんと続いている。
過去につんだスキルや知識があって、やりたいと思っていた仕事も人づてでもらえて、無事に飯も食べられている。
健康も取り戻し、健やかな日々も戻ってきた。
もうブランドバッグは買えないかもしれない。でも、これで本当に十分で充実していると感じている。そんなものなのかもしれない。
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