虎と河童の独言録
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記事:黒崎良英(リーディング倶楽部)
私とその作家との出会いは、通常の人より一足早かった、と思う。
ほぼ全ての出版社の高校国語教科書に、必ず採録されている作品の作者である。
つまり何もしなくても、その時に出会えるはずであった。
だが、私はその文章を一足早く読むことになる。教科書ではなく、大学入試の過去問からである。
彼の作品との出会いは高校2年生であることが多い。
だが、最初に教科書の作品を見た人は、数文字読んだだけで、本を閉じることが多いのではないだろうか。いや、そもそも文字が難しすぎて、読めないのではないだろうか。
当時高校生だった私の教室も、何だかそんなオーラが漂っていた。
高校の国語教師になった今も、この単元に触れる時、生徒たちの頭の周りにハテナマークが浮かんでいるのが見て取れる。
その作品はこのように始まる。
「隴西の李徴は博学才頴……」
暗唱させられた方も多いのではないだろうか。
そう、おそらく皆さんが「虎になってしまう話」として覚えているであろう作品、『山月記』だ。作者は中島敦。
だが再三言っているように、私が中島敦の作品として最初に触れたのは、その文章ではない。
高校1年生の時に挑んだ大学の過去問。その中にあった、私が最初に読んだ中島敦の作品。その冒頭部は、こんな不思議な一節で始まる。
「三蔵法師は不思議な方である。実に弱い。驚くほど弱い。変化の術ももとより知らぬ。……」
三蔵法師とは、もちろん“あの”三蔵法師である。
孫悟空、猪八戒、沙悟浄の三人と馬一匹をつれ、天竺から経文を持ち帰るべく旅をする、三蔵法師玄奘のことである。
読み進めていくと、どうやらこれはお供の一人、沙悟浄が、師匠三蔵法師について独り言のように分析している文であるらしかった。
面白かった。実に面白かった。
問題を適当に解いて(もちろん点数は惨憺たるものだった)何度も読み直した。
妖怪という視点から見る人間三蔵法師、その発想がまず面白かった。
妖怪から見ると、三蔵法師はこのように映るのか、と人間が書いたはずの文章にすんなりと納得した。
色々な意味での「力」がものをいう妖怪の世界。しかし、沙悟浄は、妖怪から見れば「驚くほど弱い」三蔵法師に、「我々三人が斉しく惹かれている」というのだ。そしてその理由を理論立てて考えるのである。
私はその後、すぐに作品の原典を探した。
『悟浄歎異』
作品名と作者名を知った私は、すぐに他の作品にも出会う。
今度は恐れ入った。
「こんな天才が日本にいたのか!」
心の中で大いに驚き、快哉を叫んだ。
『李陵』『弟子』『名人伝』『牛人』『盈虚』『文字禍』……
これら普通は忌避されるような漢文訓読調の作品が、しっかりした知識のもと魅力的な物語となって、一つ一つ私を驚嘆せしめた。
皆は漢字だらけの文章だと言う。
だがそれがいい!
皆は暗い作品だと言う。
だがそれがいい!
皆は意味がわからないと言う。
だがそれが……いや、よくよく読み進めていけば何となくは分かるようになります。
とにかく、全てにおいて、それがカッコイイのだ!
漢文の響きは声に出してもカッコイイし、作品に満ちている暗さ、不安さも、物語の良いスパイスだ。
意味がわからなくても、読んでいるだけでカッコイイ。だが中島敦の難解とも思える文章は、その実、読み進めていくと、「面白い」ということがちゃんと分かる。
さらには、自分も考えてしまうのだ。
詩人になれなかった男の嘆きを、師に寄りかかる人間の心を、技を極めるということの意味を、そして自分の「生」の意味を、登場人物とともに我が事のように考えてしまう。
漢文学者の家に生まれ、その知識をふんだんに盛り込んだ作品群だが、とにかく作者は「ちゃんとした」作品を書いている。いや、他の作品がちゃんとしていないわけではない。
作者中島敦は、フィクションでありながら膨大かつ正確な漢文学の知識を以って作品を書いている。それが、高尚な論文ではなく、物語、しかもファンタジーとも言えるような不思議な物語の中に盛り込まれているのだ。
感情の吐露と同時に、知識の吐露をしているような理知的かつ幻想的な文章に、私は心底魅せられたのである。
一方で、作者は南洋の島々に住んでいたことがある。当時日本の植民地だった国々へ、日本語を教える教師として赴任していたらしい。
そこから南洋の島々に題材をとった作品も多く残している。
空気がガラッと変わって、まさに南島の熱風が、心地よい海風が吹き渡るような作品群である。
中島敦といえば『山月記』であろうが、『山月記』だけではないのが中島敦だ。
漢文体だけではない彼の作品群も、とても魅力的である。
手に入れやすいのは各出版社から出ている文庫本(大体『李陵・山月記・弟子』あたりのタイトルがつけられている)であろう。図書館などには「ちくま文庫」の『中島敦全集』全3巻があるかもしれない。
ぜひ、教科書には載らない中島敦をお読みいただきたい。
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