職場の7不思議??真実の鏡が映す本当の自分とは――
記事:わたなべみさと(ライティング・ラボ)
私の勤務先には、ちょっと不思議で、恐ろしい鏡がある。
いつ、だれが呼び始めたのかは知らないがそれは
『真実の鏡』
そう、呼ばれている。
大層なネーミングだが大仰な代物ではない。むしろ何の変哲もない鏡である。
何しろ事務所を出て廊下をちょいと進んだ先の女子トイレの中に配置されている作り付けの鏡なのだから。
そんなただのトイレの鏡であるにもかかわらず、真実の鏡などという名がついているのは、その鏡が覗き込んだ人々の目に数多の真実を映し出してきた経験則に基づいているからだと信じて疑わない。
かくいう私は何度となくその鏡に真実を見せつけられた。
職場のトイレは窓が真南についているため夏になるとうだるように暑い。用を済ませて窓から吹き込むじんわりとした熱風を背に手を洗い、ふと目線を上げた時に限って、決まって私はそれを見るのだ。
長い黒髪の女がそこに立っている。
私である。
私であるのだが、何かが決定的に違っている。
なにが違うのだろうか。それは――
すごく、顔色が悪いのだ。
げっそりしている。
肌がくすんでいる。
なんかいろいろ気になり始める。
もちろん本人はいたって健康なはずなのに、全くそうは見えない。下手したら鏡の向こうは十数年後の自分が立っているのではないかとすら思えてくる。実際は自分にしかわからない違いなのかもしれないが、明らかに普段の私と全く顔が違う。
どこかで耳にした、いわゆるアンチエイジングというやつを意識した手入れを始める適切な年齢は18歳前後であるという説が思い出され、頭の中をぐるぐるとまわりだす。
ツケか?ツケが回ってきたのか!?もうちょっと頑張れゃしないかい私の肌よ?
問うても答える者も無し、がっくりと肩を落としてトイレを後にするのである。
真実の鏡とはよくもまあうまいこと言ったもんだと思う。
たとえそれが本当のことであっても、それを知って誰もが幸せになれるとは限らない。
童話『白雪姫』で継母が愛用する「魔法の鏡」は、知りたくもない情報を一方的に与えてくる空気の読めない鏡だと子供心に思ったものだ。物語の中でも何の前触れもなく世界美しさランキングにおける使用者の順位をずけずけと下方修正してくる場面においてだけは、継母に同情を禁じ得なかった。
王道RPG『ドラゴンクエスト』に登場する「ラーの鏡」に美しい王妃様を移すと、王妃様の皮の下に隠れた恐ろしいモンスターが姿を現す様をみて、何とも言えない気持ちになったものだ。化けの皮が剥がされるとはこういうことか、と妙に達観したような気持ちにさせられた。いつだって本当のことは残酷なのである。
帰りの電車に揺られながらそんなことを思い、外を見つめる。そこに映る私は安定の顔色の悪さである。しかしそこにおいては何の感慨もわかない。夜の電車の窓にうつる人の顔は、普段よりもいくらか老けて見えることを知っているからだ。たしか、夜を映した真っ暗なガラス窓に向かって、人が真後ろから明るい車内の蛍光灯に照らされると顔が陰りしわなどの不必要な立体感が目立ってしまうからだって聞いたような――
そこまで考えて窓に映った私の表情が変わった。
南向きの窓、窓の対角線に同じ高さに設置された備え付けの鏡。
これが真実の鏡の正体だと思うと、あんなに一喜一憂していた自分がやや滑稽に思えて少し笑えてしまったのだ。
南に向いた明かりとりの窓はこの時期になるとより一層、必要以上に日の光を届け、電気をつけなくても十分すぎるほど明るい。背後から強烈な光に照らされながら鏡に映った自分は、顔の立体感が強調され、クマが目立ち、頬骨の凹凸が強調される。肌も普段より暗めに、くすんで見えてしまう。真実の鏡は夜の電車の窓を明るい昼の時間帯に再現する“コンプレックスを強調する鏡”だったのだ。
確かにその鏡は真実を映し出していた。しかし、鏡で見る顔色の悪い私も、これがいつもの顔だと思っている私も、他人が私を見たときの、自分がまだ知りえない顔色の私も、全部私の本当の姿で、例の真実の鏡が映したものだけが本物の私ではない。それは、考えてみれば、当たり前のことかもしれないけれど、コンプレックスとか弱点とか、自分が気にしていることほど、いろんな可能性を模索できずただ1つだけのネガティブな真実にこだわってしまうものじゃないかと思うのだ。
きっと、あなたの美しさは一番ではないと告げられた白雪姫の継母も、王妃様に化けたモンスターも鏡が告げた事実は確かに真実ではあるけれど、所詮真実の側面の一つにすぎない。真実という肩書きに気をとられているうちはそれしか見えないから気付いていないだけで、ほんの少し、光の角度が変われば継母が世界で一番美しくなったり、モンスターが王妃様・・・はちょっと難しいかもしれないけど、でも、180度世界が変わってしまうような別の真実だってきっとどこかに存在する。存在したっていいじゃないかと思いたい。
真実とは唐突で無慈悲で一方的だったりするけれど、様々な光が複雑に折り重なり、プリズムのように姿を変えていくものなのだろうから。
今日の天気は雨。背後からの強い光は感じない。まだ梅雨が開けていない不安定な天気では、きっと職場の『真実の鏡』の映り方も不安定だ。
そうと知っていても、さっきからなんだかんだと言ってみても、やっぱりあの鏡に向かうのは緊張する。だって、光の効果を差し引いた状態で、自分の顔色や化粧ノリにがっかりしたら、それこそ言い訳の仕様がないんだから。
それに、やっぱりいつだって、鏡に映る自分は顔色良く、機嫌よくいたいものなのである。
だから、私の勤務先の鏡はやっぱり、ちょっと不思議で、恐ろしいままなのである。
あーあ、
どうか、今日はあの鏡を見て、がっかりしませんように……!
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