母の日に思う、あのオムライスのこと
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:Yuko Tsubai(ライティング・ゼミ日曜コース)
陽気なアラーム音で目が覚めた。
ぼんやりとした思考で、スマホのスヌーズを止めて、日付をみる。
5月10日(日)
そう、母の日だ。
1年に一回、「母」という存在を意識する今日。いつも、あの春の日のオムライスを思い出す。
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中学3年生の3月。
無人販売機とキャベツ畑の横を通り、わたしは学校から帰っていた。
卒業式も間近のその日、授業は午前で終わった。
いつもなら、放課後は部活。そのまま、部室である音楽室に直行するところだが、その日はそれも休みだった。
お腹が空いたなあ、と思いながらオートロックのカギを開け、エレベーターへ向かう。
「ただいま」と部屋にはいると、誰もいない。我が家は共働きだ。妹もまだ帰ってきていないらしい。
自室にカバンを置き、ダイニングに向かうと、テーブルの上にオムライスがひとつ置いてあった。
どうやら、母が仕事に行く前に置いて行ったらしい。おなかも空いていたので早速食べようと席に座ると、オムライスの傍に一通の手紙があることに気が付いた。
なんだろう? 手紙?
薄焼き卵で包まれた、ケチャップライスのいつものオムライスのラップを外しながら、その手紙を開いた。
「もうすぐ中学校も卒業だね」という挨拶から始まった手紙には、母の流暢な筆記体で、私に対する謝罪と、感謝がつづられていた。
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幼少期の家庭環境は、少し複雑だったと思う。
傍目に見れば、両親はどちらも公務員で、収入に困ることはないし、自宅も駅からほど近い都内の一戸建てという恵まれた環境に見えていたと思う。
ただ、まじめに仕事に打ち込む両親だからこそ、家庭をあまり顧みられなかったのかもしれない。
その影響を最も大きく受けてしまったのは、私の兄だった。
歳の離れた兄は、両親譲りの真面目な人だった。幼いころは勉強も運動もできて「出木杉くんみたいだね」とよく言われていたらしい。ただ、おそらく社交的という訳ではなかったのだと思う。高校はすこしレベルを下げた学校へ進学した。主席入学だったらしい。それが、周りにはあまりよく思われなかったらしい。家族関係にひびが入ったのはそれが始まりだった。
兄は、不登校になってしまった。
毎日わたしの顔を見るたびに舌うちされた。気に入らないことがあると、大きな物音を立てて威嚇する。
そのころから、私は兄に対し、明確な恐怖と嫌悪を抱いていた。
ただ、両親は仕事の忙しさもあってか、そんな兄に何をするでもなく、静観という名の放置をしてしまった。
そして、3年後、わたしが10歳のときに、兄は措置入院になった。
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その日のことは今でも覚えている。きっかけはカレーが甘かった、のような些細な話だったと思う。
家中に響き渡る怒号と、母の叫び声。自室に妹とこもっていた私は、お守りのようにハサミを握りしめていた。なにかあったら刺し違えてやると思っていた。いつもならそのうち、この大暴れは収まるのだけど、その日は違った。
「ちょっと、来い。」
兄に、私がひとりで呼び出される。当然ハサミを握りしめていたことは隠せず、自室に置いていくしかなかった。一緒にリビングに向かうと、そこには殴られ、顔がはれ上がって憔悴しきった母と、当時まだ健在だった父方の祖父が座っていた。そのふたりの前で、兄は私に殴り掛かった。
「やめて!」
母の声が聞こえ、寸でのところで私がこぶしを避けた。間をすり抜け、祖父の背中に隠れた。
母が泣きながら兄に「お願いだからもうやめて」と懇願し、いつも温和な祖父も見たこともないような剣幕で兄と対峙していた。
祖父の背中を見上げながら、わたしはどこか冷静に「ああ、家族が壊れてしまったんだな」と感じていた。
次の日、私と母と妹は、近くに住んでいた母方の祖母の家に身を寄せ、祖父母は叔父の家にしばらく滞在することになった。遅くに帰ってきた父は、兄とともに自宅に残ることになり、程なくして兄の入院が決まった。
精神科で、しっかりと病名がついた。
それから、兄の状態が落ち着くまでは、私と母と妹は、父と兄らと別居することになり、当時私たち姉妹が通っていた学校の近くにマンションを買うことになったのだ。
線路を眺めながら帰っていた「帰り道」が、畑を通る道に変わったのは、その時からだった。
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あれから、5年たった、その日の手紙。
あの日から、もしかしたらその前からたくさんつらい思いをさせてしまったこと、我慢をさせてしまったこと、ごめんなさい。そして、病気から立ち直りつつある、兄を許してくれてありがとう。
そう、つづられていた。
この手紙を受け取る数か月前から、兄の状態が落ち着いたことを受けて、私の高校入学、つまり4月から、線路沿いの家に帰ることが決まっていた。それまでは兄には伝えなかったこのマンションの住所も、そのときから教えており、たまに兄がこの部屋を訪れたりもしていた。私はまだ怖かった。母はそのたび、私と兄の間を取り持とうとしてくれていた。
兄がこの部屋に何度目かの訪問をしたある日、私は母と兄に呼び出された。
あの日とは違う、表情だった。
兄は、わたしに土下座をした。傷つけてごめん、と何度も何度も謝った。
あのときのことは、兄が悪いんじゃなくて、病気が悪かったんだよ。
今がそうでないなら、それでいいから。
そう言って、私は兄を許した。母もまた、涙ぐんでいた。
あの日のことを、母は手紙にして、わたしに残してくれたのだ。
つらかった日々が、ちゃんと思い出になるように。
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手紙を閉じる。
涙が、止まらない。
泣いているからなのか、空腹もひどくなった気がする。
ひどい顔になりながら、目の前のオムライスにかぶりつく。
いつもの、母のお手製のオムライス。
壊れてバラバラだった家族が、またひとつに集まった。絆という「玉子」は母が包んでくれた。
また、もう一回、家族が始まるんだな。と実感しながら、オムライスを完食した。
いつもより少ししょっぱかったその味を、私は一生忘れないと思う。
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