赤玉国の記憶
記事:Mizuho Yamamoto(ライティング・ラボ)
1945年8月14日赤玉国の領土満州。
朝目覚めると、台所から香ばしい匂いが2階の子供部屋まで流れてきた。鼻のいいむっちゃんには、炒った大豆の匂いだとすぐにわかった。10時のおやつに食べられるかな?
台所に駆け降りて、その後ろ姿から母親が泣いているのに気付いた。
「町内から、小学5年生が選ばれた。あの子が……」
何のことだかわからないが、母親が悲しんでいることと、自分が何かに選ばれたことは理解できた。それも何だかよくないことに。
今すぐにでもつまみたい大豆は、大事そうに、ひものついた小さな布袋に入れられ、着替えをして再び台所に戻ると、母親が首からかけてくれた。
「一編に食べるんじゃないよ。よくかんで少しずつ」
言いながら母親は、大粒の涙をぽろぽろとこぼした。まるで透明な大豆の粒が頬を伝って転がるように。
水筒と大豆の袋を「ばってん」にかけて、母親に言われた場所に行った。
そこには幾人かの同じクラスの子もいて、みんな神妙な顔をしていた。軍服を着たちょっと怖そうなおじさんが話し出した。
「いいか、これから一人ずつ、道路に掘られた穴に入る。じっとしゃがんで上の様子をうかがうのだ。大きな音が聞こえてきて、戦車
が上を通ったら、今から配るこれを上に向かって投げるんだ。こうやってピンを抜いて」
そこへ息を切らして、町内会長が走って来た。
「明日、天皇陛下からの大事な放送があるから、それを聞いてからにしようということになったぞ」
集められた小学5年生たちは、よくわからないままに家に戻った。
母親がくしゃくしゃの涙顔で出迎えて、
「よかった、よかった」
繰り返し何度も頭をなでられた。
翌日8月15日の玉音放送で、戦争は終わった。
それは、子どもを使ったソ連軍への特別攻撃作戦だったらしい。「子ども特攻」ともいうべき作戦。満州での話。
赤玉国は、子どもをも戦争の道具に使おうとしたのか?
そんなはずはないだろう。
私を寝かしつけながら、母が語った昔話。
そのいくつものエピソードは、鮮明な映像として、母の記憶に残っていた。何度聞いても正確に同じ話をしてくれた。
今は亡き母に、事の真偽を訪ねることはできない。
けれども私は思う。
そんなはずはないだろう。
赤玉国は、子どもを大切にする国だったはず。
そして今も一番に、未来を担う子どものことを考える国であると。
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