頑張らなんたい ~酔った父が明かした、あの日のエール~
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記事:菊川美咲(ライティング・ゼミ5月開講通信限定コース)
6月に入ると、どうしても父のことを考えてしまう。
父の日があるし、父の誕生日も6月。
日付も近いのでプレゼントは毎年まとめて贈っている。大抵ビールか焼酎だ。
そして、結婚式で父の腕を組んでバージンロードを歩いたのも6月だった。
20年以上も前、思春期の私は父が大嫌いだった。
まず、父は飲み過ぎる。
家での晩酌では酩酊することはないのに、外での飲み会になるとベロンベロンになって帰ってくる。
その翌日は二日酔いで寝ている。
どうしようもなく情けない姿をみるのが嫌だった。
次に、話さない。話しかけても会話にならない。
父は決まっている予定さえ母に伝えないことがほとんどだったので、母が「ちゃんと言っておいてよ!」と怒っているのがいつもの風景だった。
そのやり取りを見るたびに、私は「もういい加減学習すればいいのに」とイライラした。
両親でみかん農家を営んでいるので、二人のスケジュール確認は必須なはずだし、翌日の段取りがわからなければ道具や弁当の準備もできない。
「お父さんはなーんも言わっさんとよ」と母はよくこぼしていた。
会話にならないといえば、中学3年の冬、進路で迷っていたときに父に相談したことがあった。
当時、英語の教師になりたかった私は「姉妹校への交換留学ができる私立高校に行く」か、「大学進学を目指して県立の進学校に行く」か、どちらも魅力的で決めきれなかった。
私は倉庫でみかんの選別作業をしていた父のそばに行き、「お父さん」と声をかけた。
進路で迷っていること、それぞれの高校の魅力やメリット、デメリットを話し、「お父さんは、どっちがいいと思う?」と尋ねた。
どちらの高校の名前が出るかドキドキしていた私は、衝撃を受けた。
「……頑張らなんたい」(頑張らなければいけないね、の意)
たったそれだけ?!
しかも答えになってないし。
本当に父が発した言葉はこれだけだった。
この人は私の話を聞いていたのだろうか。私のことを考えていないのだろうか。
私のことなんでどうでもいいのではないだろうか。
ショックだった私は、さらにある思いにたどり着く。
お父さんは私のことなんて愛してないんだ。
春になり、私は県立の進学校に入学した。
始発のバスに乗るため、母は5時半に起きてお弁当を作ってくれた。
うっかり寝坊することもあった。そんなときには、ほとんど話しかけなくなっていた父に「ごめん。送って」と頼んだ。するとすぐに車を出してくれた。
もちろん車中で会話はない。
父がいつも聞いているラジオを、私が好きな音楽のカセットテープに変えても文句も言わない。無言のまま途中のバスの営業所まで、時には車で1時間かかる高校まで送ってもらった。
目も合わせずに「ありがとう」と言い放って降りていく。当時の私にはそれが精一杯だった。
高校3年生のある秋の日、みかん2箱を学校へ持っていった。
1箱は職員室へ届け、もう1箱は教室前の廊下に置いて友達に自由に取ってもらった。
毎時間、授業に来る先生が教室に入るなり「みかんありがとう」と言ってくださり、廊下で友達とすれ違うたびに「みかんおいしかったよ」と言われる。
“うちのみかんは素晴らしいものだ”
と初めは思っていた。
しかし、「このみかん、お家でつくっているの?」「どうやったら、こんなおいしいみかんになるの?」と尋ねられるたびに「うちの両親がね……」と話し、そうして話しているうちにふと、
“おいしいみかんを作っている父は素晴らしい”
という考えがぱっと頭に浮かんだ。
今まで全く考えなかったけれど、父の作るみかんはみんなを喜ばせている。父がおいしいみかんを作ってくれたおかげで、運んだだけの私まで「ありがとう」を言ってもらえる。
夏は日焼けして汗だくで、秋には朝早くから収穫し選別作業で夜も遅くて、こんなに大変な割にうちは裕福ではない。辛い仕事だとしか思っていなかった。
昼休みにお弁当を食べ終わった友達が、食後のデザート代わりにうちのみかんを食べている。
そのおいしそうに食べる顔が教えてくれた。
父は素晴らしい仕事をしているのだ。
ようやく私は父を尊敬するようになった。
結婚する少し前、私は実家に戻っていた。
ある日、例のごとく会合で飲んできた父は深夜にヘベレケで帰宅した。
私がまだ起きていたからか、父がそばに座りその日はなぜかやたらと話し出した。
それは初めて聞く話ばかりだった。
父はみかん農家を継ぐために農業高校に進学し、卒業後はずっとみかんを作っている。
しかし本当は私が入学した県立の進学校に行きたかったのだという。
だから私が高校に合格した時には自分の夢が叶ったかのように嬉しかったし、高校まで送っていくのも楽しかったらしい。
ほかにもたくさん聞いたが、全部は覚えてはいない。
進路の相談をした時のことを覚えているかと尋ねたが、父は覚えていないと言う。
ただ、父自身は「進学校に行って大学進学して建築の勉強がしたい」と思いながら農家を継がなければならなかったが、私には自分が選んだ道で好きなことを思いっきりやってほしいと思っている、と言ってくれたような気がする。
あのときの「頑張らなんたい」はそんな思いを込めた父なりの精一杯のエールだったのか。
心がじんわり温かくなるのがわかった。
酔っていないと本音を話せないのは、父が19歳のときに祖父が亡くなり、若くして一家の大黒柱にならなければならなかったため、いつも緊張していたからかもしれない。
やっと父のことが分かった気がした。
父は私のことをとても愛してくれている。
お嫁に行く前に聞くことができて、よかった。
チャペルのドアが開く。
父と腕を組み、二人で歩幅を合わせてバージンロードをゆっくり進む。
歩みを進める先で待っているのは、背が高くて、ご飯をよく食べ、口下手で、お酒も好きな、心優しい人。
私が人生のパートナーに選んだのは、父によく似ている人だった。
***
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