「お茶を通じて生活を正すということ」
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記事:雨辻ハル(リーディング倶楽部)
過去に一度だけ、茶道教室に通ったことがある。そのときに茶道の先生に問われた質問に対してようやく答えが出た。その答えを見つけることができたのは『日々是好日』という小説のおかげだった。
大学のときの友人が、以前やっていた茶道を再開するという話を聞いたとき、ずっとやりたかった茶道というものに触れられる機会がきたと思った。友人にやりたい旨を伝えるとすぐ先生に連絡をとってくれ、トントン拍子で念願の茶道教室に参加することになった。
茶道教室当日。教室が開かれる先生の自宅の前に着いたとき、私は妙な緊張感に襲われていた。茶道は作法で雁字搦めになっているようなイメージが私の中にあり、その作法を全て覚えきれるか不安だった。また友達の前で失敗してしまったらどうしようという不安もあった。はじめてで全ての作法を完璧にこなせるはずがないのに、完璧主義者な私がチラチラと顔を見せていた。
「緊張しないでいいよ。先生優しい人だから」
友人はそう言ってくれたが、どうしても茶道は厳しいというイメージが抜けない。作法に厳しい先生で、間違えるといちいち口を出してくるんだろうなと思っていた。先生の口出しに私の心が折れてしまわないか心配だった。
「こんにちはー!」
友人と2人で玄関先で挨拶をした。挨拶をしたことによって覚悟が決まったのか、先ほどまで抱いていた不安が消え、これから念願だった茶道が出来るんだとワクワクしてきた。
「こんにちは。はじめまして」
ふすまがサッと開いて、小柄な年配の女性が現れた。いかにも上品そうな気品を纏っている方だった。自己紹介をせずともこの人が先生だということを直感で理解した。はじめまして軽く挨拶をして、茶室へ移動した。
茶室の扉を開け、敷居をまたいだ途端、空気がピリッと引き締められたように感じた。張り詰めたような緊張感が私の体を襲ってきた。背筋が伸びた。それから先は、入ったら戻ってこられないような、別世界のように感じられた。私のような一般人が入ることができない聖域のようだった。
「どうしたの。早くこっちへ来なさい」
先生の一言で、ハッと我に返る。そうだそうだ、私はここに茶道を学びに来たのだ。何をビビっているんだ。臆することはない。はじめから間違える人などいないじゃないか、と大きく深呼吸をして、一歩一歩、畳の感触を足で感じながら奥へと向かった。指の先々まで神経を張り巡らせて、左右の足を丁寧に運んだ。
茶室の奥で、先生と対面したとき、いきなりこう尋ねられた。
「あなたはどうしてお茶をやりたいと思ったの?」
あまりにもいきなりの質問に、虚を突かれ、答えに詰まってしまった。「やりたかったから」という曖昧な答えでは通用しないだろう。なぜ金と時間を費やしてまで茶道をやってみたいと思ったのか―。
『日々是好日』という小説がある。
私と同じようにお茶の稽古を始めた主人公が、お茶というものを通じて身のさまざまなことを感じながら成長していくという内容だ。
成長と言っても、身体的成長や頭が良くなるという成長ではない。この小説で言う成長とは、(自分を含めた)世界に対する見方を変えていくということだ。茶道という、自由とは程遠いルールで縛られた文化を通じて、自然を五感で感じたり、自分の内面と自己対話をしたり、一期一会という言葉の意味を理解したりしていく。成長に気づくこと、人生を気長に生きること、今を大切に生きること。どれも大切なことだが、実際に理解することは難しい。そのことをお茶を通じて理解していくのだ。
解説で柳家小三治さんが述べていたように、この小説は茶道をこれから始める人のためのものではない。エッセイでもあり、哲学書、宗教、人生読本(柳家さんはこれじゃあ堅いと言っているが、私は人生読本でもいいと思った)なのだ。
私はこれを読んで、あのとき答えることができなかった先生の質問に対して、ようやく答えることができると思った。茶道は家事のようなものだったのだ。家事も茶道ほどではないが、あらゆる行為が集まって有機的にできている。例えば、食事という行為は、野菜を切って、味を付けて、煮たり炒めたりして、盛り付けて、それを食べるという、さまざまな行為が合わさってできている。食事だけではなく、洗濯、掃除なども同じことが言える。だから家事は生活の行為の集合体だということができる
私は、茶道を通じて、この生活の行為というものに精神を宿したいと思ったのだ。食事、洗濯、掃除だけでなく、歩く、寝る、扉を開けるに至るまでの生きていく上で当たり前のことに対して精神を宿したいと思ったのだ。そう思わせたのは、作中に出てくるひとみちゃんという高校生の動作を見たことが原因だった。
茶筅通しする細い指の先まで神経が通っていた。指の動きが繊細な表情を見せる。決められた動作をしているだけではなく、一つ一つの動きに彼女の血が通っている感じがした。心を大切に温めるように両手で茶碗を包み込み、中の湯をじっくりとまわす。背筋が美しかった。高校生の彼女が、引き締まった大人の顔をしていた。
生活の行為というものは、一番大切な事柄であるが、当たり前過ぎてなおざりにされやすいものでもある。生活の行為とは例えば、箸や器の持ち方、歩き方、座っている姿勢など、普段生きている上で行っている行動のことだ。これらは、はじめは誰もが丁寧にやっているが、いつの間にかそれがルーティーン化されてしまって適当になってくる。当たり前にできてしまうので、気づかないうちに雑になっていく。それを茶道を通じて正したいと思ったのだ。
作法も生活の行為と同じように、覚えたてのときは1つずつ思い出しながら丁寧に行うが、覚えて慣れてくるとその行為は魂を失っていく。丁寧にやっていると思っても、丁寧とはかけ離れたものになってしまっている。しかし、茶道はその適当さを許さない。お湯を回す動作1つとってもそこに魂を宿さなければいいお茶が作れるわけがないのだ。いいお茶を点てるためには、全ての動作に魂を込めなければならない。
「神は細部に宿る」ということがひとみちゃんの動作から見て取れる。私はこの部分を読んでひとみちゃんのようになりたいと強く思った。
最近Instagramで「#丁寧な暮らし」というものが流行っているが、それ以上に丁寧に暮らしたいと思っている。私の思う丁寧は、いいものを使ったり、体に優しいものを食べたりすることではなく(それももちろん大事だが)、生活の行為そのものを丁寧にやることだと思う。器を拭くときでも、その器を包み込むかのように大切に丁寧に拭いてやりたい。箸や食器の持ち方も、思わず見とれてしまうような持ち方をしたい。一つ一つの行為を丁寧にこなすこと。それが精神的なゆとりにもつながるし、人間的な成長にもつながる。
人というものは行為でできている。同じような行為を繰り返して生活をしている。その行為の隅々まで血を通わせるということはとても難しい。だが、その一つ一つの行為の質を高めていくことによって人としての質を高めていくことにつながる。私は茶道を通してそれを実践したかったのだ。
今、あの時と同じ質問をされたら胸を張って答えられる。
「生活の細部に自分の血を通わせたい。そのために私はお茶をやりたいと思いました。茶道の作法は数が多くて簡単に覚えられるものではありません。しかし、その作法を何回も繰り返していくうちに自分の血が流れていくと思います。作法一つ一つの行為に心をこめて、『日々是好日』の作中に出てくるひとみちゃんのように、やっていきたい。それが次第に日常でも意識されるようになってはじめて、私の生活の全てに血が通ってくるはずです。私はお茶を通じて、生活というものを見つめ直したいのです。だから茶道をやりたいのです」
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