耳慣れたチャイムは絶望の音がした。
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:名無子(ライティング・ゼミ平日コース)
――キーンコーンカーンコーン。
耳慣れたチャイムは絶望を運んだ。
手の先が冷えていき、音は少し遠くに聞こえる。
誰もいない校舎にひとり。
私はあのときの感覚を、きっと一生忘れない。
宮澤賢治の作品に『よだかの星』というものがある。
数か月前に大学の授業で触れたことで開いた記憶の扉。
このまま閉じ込めておくのは悔しいと思うくらいには強くなったので、
小さないじめの話を、今日はしたい。
どこにでもある小学校だったと思う。
近くに川があって、大きな花壇があった。
春にはそこで青虫を見つけて、サナギから蝶になるまでを籠の外から見守った。蝶になれば蓋を開けて、飛び立つ姿を見届ける。そんな穏やかな場所だった。
どこにでもある学校には、どこにでもいる強い女の子がいた。
あんな小さな社会の中の、ほんの小さなヒエラルキーの頂点。
それでも、私たちの世界はそれがすべてだった。
頂点ふたりを中心に、クラスの女子は三分されていた。
それぞれの頂点に囲われて味方とされた2グループと、始めから彼女らの眼中になかった数人。2つのグループは頂点が結託しているときにはひとつになった。
私がいたのは片方のグループで、親友はもう一方に属していた。だから仲良くできるのはその一時だけで、それ以外は話せもせず文通をしていた。彼女らの眼を盗んで小さく折り畳んだ手紙を渡す。
今思えば馬鹿らしいことだけれど当時の私たちはいたって真剣で、実家を漁ると「大丈夫?」とか「頑張ろうね」なんて頼りない字で書かれたファンシーな便箋が出てくる。
私たちはグループがひとつになるのを待ち望んでいた。
ではいつ望んだ通りになるか。
それが、誰かをいじめているときだった。
いじめると言っても漫画のように水を掛けたり画鋲を入れたり、そんなことはなかった。ある日突然気まぐれで、グループのひとりが標的になる。頂点らから無視を言い渡されて、ひとりのあることないことをひとりの傍で語られる。
幸い、頂点以外の数人は仲が良くて物分かりも良かったから、ふたりの前では従うも離れたときには「ごめんね」と言い合って、次は誰かと怯えていた。
繋がっていた私たちがなぜ反抗しなかったのかと思うかもしれない。しかしそれにはちゃんと理由がある。彼女らを非難すれば、ふたりの母親が出てくるからだ。そしてその母親の矛先は私たちではなく、私たちの親だった。
親には迷惑掛けるまい。小さな頭で精一杯考えた結論だった。
ローテーションするいじめの対象。
ただ友だちと、親友と一緒にいたいだけなのに、願えばひとりがふたりの目に留まる。
親でも担任でも言えばよかったのだけれど、私たちにはもうその勇気もなかった。
『よだかの星』には「よだか」という鳥が登場する。
醜い容姿と「鷹」に似た名前のせいで、周りの鳥から散々な扱いを受ける主人公。
彼は最後「名をあらためろ」と求められる。勇ましくもないのに「鷹」と名乗って、名を変えたならここに居ることを許してやる、というわけだった。
よだかは答える。「そんなことはとても出来ません」と。
断れば殺されるというのに、彼はそれを選んだ。
名を変えることは存在が失われること。
彼にとってその注文は「死んでくれ」と同義だった。
一時期、私の小学校では「校内鬼ご」と呼ばれる鬼ごっこが流行った。
昼の長い休み時間に、先生には見つからないよう校舎の中を駆け回る。
聞けば小学生らしくかわいい遊びなのだが、そのときの私にとっては絶望的なものだった。そのときの標的は私だったから。
いつものように休みの時間がやってくる。
当然のように誘われて、私の返事のないうちに始まった。もちろん鬼は私からだ。
いつもは頂点以外の友人たちがひっそりと隠れて待っていてくれて、見つからないように鬼を代わってくれたりした。けれどそのときは上手くいかなかった。
出会うのは会いたくないふたりばかり。彼女らの機嫌を損ねたくないから何も感じていないように、酷く嫌悪に満ちた眼を無視して追いかける。
そんな顔をするなら誘わなければいいのに。私が触れた箇所を払うくらいなら関わらなければいいのに。彼女らから離れる力のない私はずっとそんなことを考えながら、早く休みが終わることを願っていた。
終わりが近付いてきたそのとき、何かがおかしいことに気がついた。
パタリと誰にも会わなくなったのである。
離れの校舎に私だけ。どれだけ探しても見つからない。
しばらくして、皆がもう教室へ帰ったことを悟った。私を置いて。
廊下の端で立ち止まる。
あぁ、私はいなくてもいいんだ。いない方がいいんだ。
血の気が引いていく頭の遠くで、そんなことを考えた。
チャイムが鳴る。
目を瞑る。
大声を上げて泣き出せばよかったのに、私は皆のいる教室へ遅れて戻った。
こちらを楽しそうに見つめるふたりの眼、申し訳なさそうに縮こまった友だちの背中。
何事もなかったかのように始まる新しい時間。
「あなたなんていなくてもいい」
静かにそう伝えられたあの光景を、私はきっと忘れない。
そんな、ひとが聞けば「なんだそんなこと」くらいのことが重なって、私はそのときの記憶を隠し、時間を掛けて声を上げられる人間に変わった。
「よだか」はとても強かった。
名を変えず、自分を殺さず。
変わらない存在のまま、新しい生を見つけた。
そうなれなかった弱い私は、自分を殺した。
ときより、自分が変わった理由を思い返して悔しくなる。
その理由には少なからず彼女らが関わっていて、自分を構成するものに彼女らが組み込まれているような気がするからだ。わたしが変わったということは「負け」を意味するように思えた。
今、私は幸せだ。
でも成人式やふとしたとき、思い出さざるを得ない彼女たちの存在はとても苦しい。
『よだかの星』を読み終えて、私も変わりたくなかったと強く思った。
今は、あのときの自分を抱きしめたい。よく頑張ったねと。
彼女らとは同じ中学に進んで、そこでもやっぱり嫌なことはたくさん見るけれど、それを笑い飛ばして守ってくれる先輩たちができて、今でも何かと声を掛けてくれる仲間もできたよ。やさしい子が多いところが良いなんて理由で決めた高校でも、そこで見つけた好きなことをするために入った大学でも最高の友人と先生に出会う。
今でもひとの目は気になるし、これを書き起こすのに手が少し震えていて悔しく思うけれど、文字にして残してやろうと、同じ気持ちだったひとに届けばいいと思うくらいには強くなっているよ。
それはきっとあのときの自分がいたからだと思っている。あのときがなければ今の自分はいないとは絶対に言いたくない。でも、誰かの痛みをちゃんと感じられる人間になっている。
だからもう少し逃げ続けてほしい。
私もあのときの私に恥じないように、しゃんと背を伸ばすから。
いつか「いじめ」という言葉が「差別」に変わって、小さなからだに圧し掛かった大きな悪意なんてすべて消えますように。願わくはその言葉までなくなりますように。
これを書くことで私と誰かの、小さな籠の中にあった気持ちがすべて飛び立っていけば良いなと思っている。
***
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