立ち上がれ、立て、立つんだ「肉」!
記事:西部直樹(ライティングゼミ)
「そんな『肉』なんか、食えるかよ!」
と、妙齢にして佳麗な女性は、紅潮した頬をふくらませ、長い髪をかき上げ、吐き捨てるように言った。
彼女は目の前の鶏肉炭コロ焼きを頬張り、モヒートをぐいと呷った。
そして、私を少し睨むように見て、手羽先揚げをガリガリと噛み砕くのだった。
少し前のことだ。
お笑いライブを見にいったことがある。
若手の漫才を無料で見ることができるというイベントだ。
私の住む東京の足立区は、この手のライブを毎月行っている。
最初に演じるのは若手も若手、昨日今日コンビを組みましたというようなイキのいいというか、駆け出したちである。
この漫才やコントが、一生懸命しているのがわかるのだが、なんとも可笑しくない。
笑えないのだ。
話はまあ、うまい、滑らかだ。ボケも突っ込みも、息が合っているようだ。あがっているようには見えない。でも、笑えないのだ。
なぜ笑えないのだ?
話のネタは彼らの故郷のことらしいのだが、その地方のことは知らない。
知らないことを面白く話してくれればいいのだけれど、仲間内のネタのような話なので、ついていけないのだ。
そう、彼らの話が分からないのだ。
他の観客も「なにを話しているのかなあ」という雰囲気である。
話が分からない、共感できないと笑うこともできない。共感できないから彼らの漫才に魅力を感じない、惹きつけられないのだ。
なんとも残念だ。
妙齢にして佳麗な女性は、憤っていた。
「でもさ、モテるでしょう」と、すこし私がとりなすように言うと、彼女は、ゆず梅酒ソーダ割りを一口飲んで言うのだった。
「モテないよ」
「そんなことないよ、君のことを好きだっていう奴は、それはもうたくさんいると思うけどな」
「でも、好きだって言われてない」
彼女は、特製ローストビーフを次々と口にしていく。
彼女の小気味よく食べる姿を見ながら、「秀麗」ということばがこれほど似合う横顔はないと思う。秀麗なのに、なのになぜモテないのだ?
少し前のことだ、若い友人たちと最近の男性の恋愛行動について話をしたことがある。
「最近は、肉、らしいですよ」
と教えられた。
「肉、ってなんだよ、肉食じゃなくて、肉、なの。草食でもなく」
「そう、肉、なんですよ。食べられるのを待つ、という」
「動かないんだ。自分では、誰かがやってきて、食べてくれるのを待っているのか!」
「そう、肉系男子っすから、最近は」
と、若い友人は、シーザーサラダを人数分取り分け、コーラと共に食するのだった。
そうか、最近は肉系なのか。
若い男性たちは、温和しい草食系男子とか言われていたが、動いて餌をはむ草食動物ですらなくなったということなのだ。
肉系、肉なので、自ら動くこともない、ただ、ひたすら自ら餌となって、女性から声をかけられるのを待つ、ということらしい。
なんということだ。
これでは日本の少子高齢化に、歯止めはかかりそうにない。
生涯未婚率が上昇するわけだ。
肉として待つ、ということは、自ら動かないということ。
誘うとか、告白するとか、それは女性に委ねているということなのか。
私が若かった頃、だから、ずいぶん昔のことだが、「好きだ」と告白するのは、男子の役目だった。好きになったら、きっちり、しっかり、がっつりと告白するものだった。
だから、バレンタインデーに女性から男性に告白する、というのは希有なことだし、それが年に一回の堂々と行われるというのは、一種の祭りだった。
残念ながら、その祭りと私は関係がなかったのだけれど……。
「それで、きみはどんな男性がいいの?」
梅酒の酔いにまかせて、妙齢にして佳麗な彼女に尋ねてみた。
「どんな男性? 好みは……ふふ」
彼女はハイボールを片手に、少し微笑んだ。
きゅっとあがった口角が艶やかだ。
そして、妖しく濡れたような瞳で、私を見るのだった。
「それは……」
「それは」私の胸がすこし高鳴る。
「それは、おじさん以外ね」
「あははは」苦く笑うしかない、胸を高鳴らせたなんて恥ずかしい。
「はは、それはまあおいといて、自分からちゃんと言ってきてくれる人よ」
彼女はワインを頼み、唐揚げを頬張る。
「だいたい、鈍感な私でもわかるくらい、何かというとこちらを見ているのに、見ているだけなんだよ。来るなら来なさい、っていうの。そうしたら、思い切り振ってやるのに。その方がスッキリするんだよね。なんかモヤモヤしているのは、嫌いなの」
彼女は美麗な眉を曇らせ、ワインを一気に飲み干した。
当たって砕けろ! はもう死語なのか。
砕け散ったっていいじゃないか、次がある。
告白して、玉砕しても、それですべて終わりじゃない。
100戦して殆ど勝てなくてもいいのだ。
思い起こせば、私は連戦連敗だった。
雨の中で告白したら彼女はそそくさと立ち去り、雨に濡れながら呆然としていた。
100本のバラの花束送ったけれど、その後は梨の礫だった。
突然「あなたなんか信用できない!」とそれまでのプレゼントを突き返された。
思いを告げようとしていたら彼女の傍らには見知らぬ男がいた。
なんだ、かんだと……。
戦って必ずしも勝たなければいけない、そんなわけではない。
しかし、挑まなくては、勝つ機会も得られない。
恋愛は戦いではないけれど、リングに上がらなくては話にならない。彼女を誘わなくては、思いを告げなくては、気持ちは伝わらない。関係もできないのだ。
グレープフルーツサワーをぐいぐい呑む妙齢にして佳麗な友人に訊いてみた
「なあ、どうすればきみのような素敵な人を口説けるんだろう」
「試してみたら」
「え~と、好きです」
「フン、芸がない! 肉が踏まれて「キュー」っているのと変わらないじゃないの」
「じゃあ、愛してます」
「詐欺師!」
(参考:「愛している」と語る輩(やから)は、すべからく詐欺師である。)
「う~ん、月が青いねえ」
「部屋の中で、月なんか見えないじゃない」
ふう、やれやれ。
私は、特製つくねをつまみながら「お、これは美味しいなあ」と呟く。
彼女も、つくねを口にしてニッコリとする。
「ホント、美味しい!」
そして、
「こんな共感が必要なのよ。共感できたら、惹きつけられるの」
彼女は、夢見るように続ける
「同じ月を見て、青いなあ、と同じように思えたら、その人に、となるのよ!」
そうなのか、過日の若手の芸人たちのことを思い出した。
恋の告白は、お笑いなのだ。
共感できれば、笑える。惹きつけられる。
共感できなければ、笑えない、振られるだけだ。
若手の芸人たちは、何度も苦い思いを味わうのだろう。
共感を得られず、笑いを取ることもできず、それでも何度も挑み続けていったものが残っていくのかもしれない。
恋愛もそうなのだろう、戦わなくして、得るものはないのだ。
私も、20年以上前のある日、それはなんだか高嶺の花なのかもしれない、年も離れているし、と思う女性を誘ってみた。
負け戦になるだろうと思っていた。
しかし、しないで「すればよかった」と後悔するより、してみてダメだった、という方がいいだろうと、声をかけてみたのだ。
するとどういうことだ、彼女は私の誘いを受け入れてくれたではないか。
気がつけば、ふたりの間には子どもまでもいる。
あの時、思い切って誘わなかったら……。
黙って待っていたら、息子と娘に会うこともなかったのだ。
ただ一度だけでいい。1勝でいいのだ。
2勝も3勝もしたら、それはそれで面倒なことになるから。
しかし、戦いの場に臨まなくては、勝つチャンスは訪れない。
黙ったそこにいるだけの「肉」を誰が食べてくれるのだ。
「肉」では戦いの場に行くことはできない。
若き、若くなくてもいいけど、「肉」系男子よ。
立ち上がれ、立て、立つんだ「肉」!
彼女の前に立って、思いを告げろ!
共感をよべ、彼女を惹きつけろ!
妙齢にして佳麗な友人はしみじみ言うのだった。
「最近の『肉系男子』じゃあさあ、つまんないし、疲れるよ」
「グイ、と来てくれる人がいいんだよ、共感できる惹きつけられる人が」
モヒートを一口含むと、酔いが回ったのだろうか、怒りがこみ上げてきたのだろうか、頬を赤く染めて、こう言ったのだ。
「そんな『肉』なんか、食えるかよ!」 と。
ということで、私の「1勝」が呼んでいる。
「あなた、ご飯よ、早く来ないと片づけるよ、もう、はやく、何やってのよ!」
「ええ、行きます、すぐ行きますから、待って下さいよ」
「待たないわよ!」
「ひぇ~!」
1勝を一生まもり続けるのはなかなか多難ではある……。
***
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