ポルノと文学少女
記事:横手モレルさま(ライティング・ゼミ)
お財布開いて読ませるものは横手さんね、つまるところ「イロ、カネ、暴力」そのみっつ。
学生時代。とある漫画編集部の上司はそれだけ言いおくと、徹夜明けの血走った眼でチューハイを煽った。20年近く経った今でもこれは「文学少女がチューハイとともに学ぶべき最も重要なエッセンス」だと思う。
細やかな人間関係がおりなす情緒の機微、だとか、舞い散る花のはかなさに涙、だとか、ユニークで生きづらい個性派のための人生応援歌、だとか、そういう「感受性の繊細さ」を肯定するモチーフを書き/読みたがる文学少女の、出版業界への憧れをぶった切ってくれる言葉であった。もちろん繊細な機微などを押し出す創作物にだって意義はある(赤ちゃんは生まれただけで意味がある)、ただしマスに向けた商売のタネとするのならかなり難易度が高くなる。君たちみんなが重松清や片山恭一になれるんなら話は別だけどそこはテクニック的にどうなの、とこういうわけである。上司はチューハイをおかわりして梅干しをぐりぐりと破壊しながら、視覚と下半身を直接的に欲望させる創作物が経済となり、ひいては出版社の屋台骨をになう、といった、シンプルなビジネス構造をひとことで叩いた。この直言に、おぼろな原体験が脳裏をよぎる。輪郭のつかめなかったものに名前をつけてもらう行為。わたしはこのとき、まさに「教育」されたのだと思う。
これが社内の華やかな合コン要員になっていた同僚女子大生に対しての言葉ではなく、ジーパンにインドシャツをぼさっと羽織って、ビルケンシュトックをつっかけたメガネっ子に対する言葉なのだから、マスコミっておっかねえなとも思う。今にして思えば上司はわたしの隣に座っていたキラキラ女子に「イケてないバイトにも訓示をさらっと言ってのけるおれ」をアピールしてなおかつ(たぶん)上手く行ってたわけだから、心底マスコミって怖いわあと思う。暴露はまったく趣味ではないが、今日はそんな話をしてみようと思う。
「イロ、カネ、暴力」の最初の一個、イロ=色恋。
ピュアラブじゃなくてセックスのこと。
あなたにとって、ポルノ原体験とはなんだったろうか。
告白しよう。わたしのポルノ原体験は、「週刊新潮」のご長寿読み切り小説「黒い報告書」シリーズだった。
別に媒体に寄せて言っているわけではない。ギター少年がコード進行を宙に浮かべているように、呼吸するように文学がはみ出てしまう……それが文学少女というものである。ギターオタクが自室でミュートした弦をつまびくように、文学少女はおじいちゃんの購読している週刊新潮の真ん中を開く。どきどきしながら文字をなぞる。ベッドが甘い香りで満ちていく(かどうかは妄想で)。
ヤングな方のために説明すると、「黒い報告書」シリーズとは、週刊新潮で1960年から連載の始まった読み切り型の短編小説である。「イロ、カネ、暴力」のからむ時事ネタや殺人事件をモチーフに、当代きっての小説の名手たちが短く腕をふるってきたのだけれど、歴代の著者名を挙げるだけでもとんでもない。城山三郎、水上勉、森功、島村洋子、ビートたけし、さかもと未明、高山文彦、重松清(出た!)、中村うさぎ、柳下毅一郎、青木理、蓮見圭一……。どうです、文壇の妖怪大運動会じゃないですか。
書誌情報をあらためて見ていたところ、タイトルのえげつなさに興奮してきたので書き写す。
「恋人の犬」に成り下がって舐めつづけた男の「舌人形」(桐生典子)
「美しい裸身」に嫉妬したシングルマザーの「格差」(内藤みか)
「九尾狐の匂い」に身を委ね肝を食われた男の「嵌め殺し」(久間十義)
「ここに、挿れるんよ」「先生。わし、頑張る」(岩井志麻子)
「輪姦で千円」払ったホームレスの「殺しの報酬」(深笛義也)
これがすべて「報道を基にした超・短いフィクション」で、毎週一本あたらしいものが読めてしまうわけだから、幼い文学少女にとっては驚きの吸引力を誇るコンテンツだ。日夜エロ妄想を高めるレッスンになっていたことなども、みなさまご想像の通りである。
文学少女はエロい。
学校では『ドリトル先生』の感想文を書きながら、家では澁澤龍彦を隠れ読む。母親に何度没収されて何度奪還しにいったかわからないけれどその冒険は本筋ではないので割愛する。ちょっとイイ話をする。わたしはおじいちゃんの週刊誌をのぞき込むことで、人さまのお財布を開かせるに足る「読み物」の定義を、おぼろげながら作っていたんだなと思う。
文学少女特有の病として「王道をはずす」というものがある。谷崎、太宰、漱石あたりを迂回する。ほんとは迂回するもなにも、「大」のつく小説家の作品についてきちんと読み込めているわけでもないのに迂回する。ビートルズをないがしろにしてシガーロスを聴くようなものだ。なぜならそれがかっこいいと思っているからだ。そんなこんなで実験小説や南米マジックリアリズム小説ばっかり読み込んだりして「純文学の『純』って、なにーーー!!!!」と迷走したりするのが青春あるあるなのだが、わたしの場合は大学時代の漫画編集部でポコンと言われた「イロ、カネ、暴力」こそが、出版という経済活動における大正義のひとつだ、ってことが今もなおすごく大事な指針である。だってみんな、両手で目を覆いながら指の隙間で見るでしょう? 「ああいやだいやだ触りたくない」って言いながら、「それ」そのものについて語るでしょう? 自分を汚しもしないで感受性自慢をするような、自己マン自家発電の文学少女には、ひと様のお財布を開かせられるわけがない。感受性なんてものは誰だって形を変えて持っている。それを賢しげに「自分だけの貴いもの」と勘違いしてまつりあげるから、だからおまえはマスコミの就活を突破することができなかったのだ! と過去のおのれに今さらすぎるツッコミをする。わたしのライフはゼロである。
何が言いたい話かというと、「周りの女子大生バイトにかっこつけたがる上司の目の前に座ると、おこぼれでイイことが聞ける」という豆知識以外のなにものでもない。世界の汚れを見たいわたしもエロいわけだし、女子大生にやる気出してる上司もたいていエロだということだ。世界は今日も性的にまわる。うなずいてくださった方、遠くから乾杯。梅干しはちょっと、多めにね。
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