異世界転生してみた
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記事:でしょうか(ライティング・ゼミ日曜コース)
私は勇気を振り絞ってビルの最上階にある役員室のドアをノックした。
「どうぞ」
いつもは話しかけやすい役員Aさんも、この広い役員室にいる時はどこか違う雰囲気だ。この部屋に来たのは、長年お世話になった取締役であるAさんに、どうしても納得してもらう必要があったからだ。私はこのIT企業に長年務めていて、その間ずっとAさんの組織に所属していた。勇気を出して説明を開始した。
「Aさん、私思うところありまして退職を決意しました」
しばらくの沈黙のあとAさんがこう言った。この沈黙が何気にきつい。
「転職するってのは人伝から聞いていた。IT業界ならうちが一番だろう。他社に行くのなんてダメだからな」
「いや、実は同業への転職でなく私、ステーキ屋になります!」
そういった瞬間、Aさんが思わず口ごもった。さすがにこれは想定していなかったらしい。
その後、詳細を説明してなんとか了解を頂いた。
こうして長年お世話になったIT企業を辞めて、ステーキ屋さんに転職をした。
IT業界から外食産業への転職というと大体驚かれる。そんなリスクある転職、普通は行わないからだろう。当たり前だが、転職がうまく行くか行かないかは人生の一大事だ。
残念ながら私はステーキ業界の商品知識もなければ、その業界のやり方も知らない。唯一知っているのは私を誘ってくれたその会社の社長だけだった。また、私が担当するのはITではなく人事だった。これもやった事がない仕事だった。
多くの友人からは、なぜ未経験な業界、未経験な仕事であるステーキ屋さんに転職したのかと、暗に否定的な質問を多く受けた。要はこの転職は間違っているのではないかという事だ。
自分自身も正直、転職前後は不安で一杯だった。
IT業界から外食産業へ。IT営業から人事の責任者になる。
これってある意味「異世界」にいく様なものだ。そう、大げさに言えば、私の転職はラノベや漫画でいうところの主人公が異世界に転生して、魔法使いとかになる「異世界転生」だとも言えるのではないか。
見方を変えれば、もしかすると異世界転生ものの定番どおり、主人公がさえない前世のサラリーマンから世界を救う勇者クラスにジョブチェンジするなんてことも可能かもしれない。
異世界転生ものが大好きな私としては、無謀な転職も異世界転生で主人公が無双するパターンに照らし合わせたならば勝てる方策も見つかるのではと考えた。
さらにヒントにしたのは、小西史彦さん著作の「マレーシア大富豪の教え」(ダイヤモンド社)という本だ。この本では小西さんがマレーシアで大富豪になるまでに気づいた、様々なゴールデンルールが書かれている。私がこの中で一番注目したのは、
自分が有利に戦える場所を探す。
という点だ。どんな人にも得意分野はある訳で、それを活かせる場所を探してそこで戦ったほうが成功する確率が上がるというものだ。これサラリーマンにとっても、出世や成功がしたければ最高の教えだと思う。
良く考えてみると異世界転生ものの殆どがこれだと思う。 現実世界ではうだつが上がらない主人公が異世界に行って、現実世界でのスキルや知識を使って無双するっていうもの。この成功パターンは、偶然自分が有利に戦えるところに異世界転生してしまったから起こってしまっている訳だ。
逆にいえば異世界転生的な転職ならば、自分が有利に戦えるものを考えればいい訳だ。
転職したステーキ屋さんは、中堅ながらもまだまだ成長余力があり、会社が大きくなっていく可能性ある企業だった。逆にいえば今後成長し、大きな会社になると必要となる仕組みや制度設計に関しては作っていく必要がある。その点をもってすれば、業界は詳しくないが、今までの企業で学んだ事や経験は活かせるのではという仮説はあった。
入社してから、懸命に働きながらも自分が有利に戦えるところを探すようにした。つまりは私にとっては当たり前の事だったり、たいした事でないと思っていた知識や経験だとしても、この会社ではまだ導入されていない領域に関して重点的に取り組んでいった。
結果、この仮説は大いにあたり、私の今までの知識や経験は転職先で重宝された。
最初は見ず知らずの業界に来た私の活躍に懐疑的な人が多かったと思うが、私はこのまったく知らない業界において活躍できる領域を見つける事ができた。そこからは試行錯誤はあったものの、なんと数年後には取締役に抜擢される事となった。
また、異世界転生よろしく、見える景色も大きく変った。今まではITというBtoBビジネスの中でお客様の喜ぶ顔を直接見る事は難しかった。しかしながら外食産業は違う。これほどまでにダイレクトにお客様に喜ばれ、感謝の言葉をもらえる仕事もないのではないか。転職してだいぶ経つが、今ではすっかりこの業界の魅力に取りつかれていて、仕事が楽しく元のIT業界に戻ろうとは考えなくなった。異世界転生で主人公が結局元いた世界に戻らないのと一緒だ。
今振り返ってみても転職というのはリスクだ。そして、知らない業界に転職しようとすればするほど、そのリスクは大きくなる。どんなにやりたい事が出来るからと言って失敗して路頭に迷う訳にはいかない。だがリスクが高い転職にも勝算は必ずある。そして、そのリスクに見合った対価はあるのだ。もし今転職するか迷っている人がいたら、是非挑戦してほしい。
IT業界からステーキ屋さんへの転職。それは無謀な異世界転生なみのジョブチェンジだったかもしれない。
だが、私の転職は間違いだったかと問われれば、間違いではなかったと強く断言できる。
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