【6月10日(金)】キーホルダーというのは思っている以上にその人となりをあらわす《今日の編集部日記》
おはようございます! WEB天狼院編集部川代です。
キーホルダーというのは、自分が思っている以上にその人となりをあらわすものだと最近思うようになった。
たとえばこの前、電車の中で真向かいに座っていた女子大生らしき若い女の子のリュックサックに、白い鳥のマスコットのようなキーホルダーが付いていた。それはよく見ると「千と千尋の神隠し」に出てきた「オオトリ様」というヒヨコの神様のキャラクターのものだった。いったいいくつの戦を乗り越えてきたんだろうと疑問になるほど満身創痍のオオトリ様だった。もともとは黄色かったはずの体からは色素が抜け、黒ずんでいた。たぶんあれがオオトリ様だと判別がつくのは何度も「千と千尋の神隠し」を見てきている私のような人間くらいだろうなと思った。もう10年はずっとその子のリュックについているんだろうなと思った。リュックとともにオオトリ様は歳をとってきたのだ。よくよく見ると彼女が持っているリュックサックもひどく汚れていた。黒い布はところどころ茶色い染みがついていて、汚れていた。
きっと彼女は子供の頃からずっと同じスポーツが何かをやっているんだろうな、と電車の座席で寝ている彼女をぼんやり見ながら私は思った。結構大きめのリュックサックだから、スニーカーやタオルが入っているのかもしれない。たぶん彼女は子供の頃に習い事か何かをはじめて、「あら、それなら大きいバッグが必要よね」とか何とか言う面倒見が良く倹約家な母親にその黒いリュックを買ってもらったのだろう。はじめて「自分のバッグ」を買ってもらった彼女は嬉しくなってウキウキして、何か目印になるものがほしいとちょうどその頃に公開になった「千と千尋の神隠し」を見に行ったときに買ってもらったオオトリ様のキーホルダーをリュックにつけたのだろうと思った。リュックとオオトリ様の存在によって、毎日の習い事が彼女にとって少し特別なものになった。順調にそのスポーツで好成績を収めるようになった彼女は、部活に入り、中学でも高校でもストイックにそのスポーツを続けた。
どんなときもオオトリ様は彼女とともにあった。どんなに暑い夏の日も、どんなに寒い冬の日も、彼女はそのリュックを持って部活に出かけたからだ。彼女がインターハイへの切符を手にしたときも、部活仲間とコンビニでアイスを食べながら帰るときも、オオトリ様は微笑みを絶やさず彼女を見守り続けた。
しかし、転機が訪れたのは彼女が高校二年生のときだった。調子が出ない。スランプ。相手との相性が悪かった。いくらでも言い訳は思いついたが、まあとにかく「負けた」のだ。彼女が高校最後の県大会代表選抜に勝ちぬけなかったという事実は変わらなかった。
子供の頃からずっとそのスポーツをやってきていた彼女は、部活に入ったばかりの頃からエースと呼ばれていた。「経験者はやっぱり違うよねえ」という周りからの嫉妬の視線も気にならなかった。むしろ心地よかった。自分が努力してきた分だけ評価される。昔からずっとそのスポーツのことばかり考え、毎日毎日同じリュックを背負い努力してきた彼女にとって、評価されるということは当然のことだった。
なんで、と彼女は思った。どうして私じゃなくてあの子なの。最後の試合なのに。私がずっとエースだったのに。エースの座を最後の最後に射止めたのは、部活で一番地味で、チームの足を引っ張ってきた子だった。初心者で、技術もなければ、チームを鼓舞するキャプテンタイプというわけでもなかった。
「なんで私じゃなくてあの子なんですか」と彼女はコーチに詰め寄った。納得がいかなかった。自分よりあの子が劣っているところが見当たらなかった。
「そういうところよ」、とコーチは言った。彼女はハッと息を飲んだ。
「自分が何としてでもエースの座を勝ち取ろうと努力をするのはいいと思う。でもあなたのそういう、周りを蹴落としてでも上に行こう、自分が絶対誰よりも一番、っていう態度がね、チーム全体の空気を悪くしてたの。コツコツ努力して、実力も身につけて、あなたが期限が悪くなったときに、みんなに気を使ってチーム全体を励まして、ここまで持ってきたのはあの子なのよ」
コーチのその一言に、彼女は奈落の底へ突き落とされたような気がした。誰よりも努力してきたつもりだった。自分は誰にも負けないと思っていた。なのに最後の最後で、負けた。
彼女は引退を待たずに、そのまま部活を退部した。引き止めてきたのは事もあろうに、自分をエースの座から引きずり下ろしたその子だけだった。
「あ……あの、これっ」と気まずそうに差し出した彼女の手に握られていたのは、薄汚れたオオトリ様のマスコットだった。もうだいぶ長くつけているから、ボールチェーンが切れてしまったのだろう。
「いらないよ、そんなの」
「で……でも」
「いらないってば!! 捨てて!! どうせもうこのリュックも使わないんだから!!」
そのボロボロのマスコットをずっと大事に持っていた自分もバカみたいだし、必死になって願掛けするみたいに同じバッグを背負って毎日部活に行っていたのが、なんだか恥ずかしく思えた。
なんだかいたたまれなくなって、そのままその子の前から立ち去った。リュックは押し入れの奥底にしまって見えないようにした。
大学に入学してしばらく経っても、またそのスポーツをやろうとは思えなかった。新歓の飲み会で「何かスポーツやってたの?」と聞かれても曖昧に濁した。その時代の自分がまるで黒歴史みたいに思えた。
でも何かポッカリ穴が空いたみたいに、物足りない日々が続いた。穴を埋めようと新しいことを始めた。ダンスサークルや演劇サークル、軽音楽サークルなど、気になるものには全部顔を出した。でもどれも全部しっくりこなかった。
足が疼いている。靴紐をキュッと縛って、また走り出して、汗だくになりたいと体全体が言っている。
でもどうしてもまたあのスポーツを始めようとは思えなかった。勇気が出なかったのだ。また失敗したら。またエースの座を取られたら。そんな不安が、彼女の足を遠ざけた。
「あ……あのっ」
そんなときだった。
新歓合宿の帰り、ぼんやりと電車に乗っていると、控えめに肩を叩かれた。振り返ると、高校二年の時からずっと、頭の隅から離れなかったあの子の不安げな顔があった。
「あ……」驚きすぎて、声が出ない。
「ひ……久しぶりだね」
その子も、何を言っていいのかわからないようだった。
「大学、何してるの?」
「別に……何も」
この子は今もあの競技を続けているのだろうか。続けているのだろうな、と彼女は思った。その子の日に焼けた肌がそれを物語っていた。
気まずい沈黙がしばらく流れた。
「じゃあ……あたし、もう行くから」
彼女がその沈黙に耐えられず、もう次の電車に乗ろうとした時だった。
「あ……あのっ、これ」
ぎゅっと握り締められた手のひらに、白いボールのようなものが見えた。黙って受け取った。オオトリ様だった。
「え……なんで」
「あの、あたし、ずっと……御守り代わりにしてて」
小柄な肩を震わせて、言った。
「いつか……また会えたら、絶対渡さなきゃって、それまで私が預かってようって、ずっと、思ってて」
「……は」
意味がわからなかった。なんで未だにこんなものを。
「それだけ! いきなりごめん」
そう言うなり、その子はさっと走って人ごみに消えた。
呆然とホームに立ちつくしていた。手のひらを見ると、オオトリ様が、あの頃よりもずっと汚くなって、ボロボロになって、もうオオトリ様とは判別がつかいくらいになったマスコットが乗っていた。
なんか。
なーんか。
バカみたい。
好きなのに、意地になっていた自分がバカみたいだと思った。
「もう、いいや」
いろいろ、めんどくさいこととか、意地はってたこととかが全部どうでもよくなって、ぷっと笑いながら、カバンにオオトリ様をつけようとしたら、やっとそこで自分があの黒いリュックを持ってきていたことに気がついた。
そうだ。新歓合宿で、他に持っていける大きなバッグが何もなかったから、仕方なく押し入れの中からあの黒いリュックを引っ張り出してきたのだ。
なんだか、おかしくなってくる。結局自分はずっとあのスポーツをやりたい欲求から、全然逃れられてなかったんじゃないか。
もうやめよう。いろんなこと、気にするのも、変に片意地はるのも、プライドばっかり守っているのも、もう全部、やめた。
きっとあの子の手で直されたのだろう、そこだけ新しくなっているボールチェーンを手に取り、またあの頃のようにリュックにつける。
あの頃よりも一層、ボロボロになったオオトリ様は、彼女を見てふっと微笑んでいるような気がした。
……ということがあって、今幸せそうな顔で電車で寝ているのかもしれないと私は思った。
それくらいの貫禄があのオオトリ様にはあった。ずっと彼女の紆余曲折を見守ってきているに違いない。
いやあ、ちぐはぐなキーホルダーをカバンに付けている人というのは存外いるものである。
現に今さっきすれ違ったしぶいおじさんのカバンにはさりげなくハートのチャームが付いていた。
人間、何があるかわからない。
なんであの人、こういうところがあるんだろう。
ちょっとでも違和感を覚えたら、世界は少し変わるかもしれない。
当たり前の日常がぷっと笑えるものになるかもしれない。
何が起こるかなんて予想がつかない。
一目見ただけでは相手がどんな人間かわからない。
まあ、だからこそこの世の中は面白いのだけれど。
というわけで、今日も1日元気にがんばりましょう。
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