なぜ私は日曜の夜に天狼院ライティングゼミにきているのか?
私はなぜ日曜の夜に、天狼院ライティングゼミにわざわざきているのだろうか? まだ幼稚園の幼い息子を夫と自宅に残して、一家団欒の貴重な日曜の夕食を棒に振ってまで、一体何をしにここにきているのだろうか?
自分でもよくわからない。ただ、わかっていることは、私が書きたかったということだ。ただの独り言ではなく、単に友人たちへ向けたメッセージでもなく、不特定多数の人たちに向けて何かを書きたかったのだ。
そして、それは幼い時からの私の夢でもあった。でもずっと勇気が持てなかった。なぜか怖かった。見知らぬ人になんて思われるのかわからない、どう読まれるのかわからない文章を書くのがずっと怖かった。だけれど、同時に私の中に、ふつふつと書きたいことが、この10年以上、いや20年以上、いやもしかしたら、本当に幼い時からずっとずっとたまっているのが自分でもよくわかっていた。出口を求めてのた打ち回る大蛇のように自分の中を動き回り、自分自身でも持て余していた何か。その何かをどうやったら外へ出してあげられるのか、どうやったら解き放てるのかをずっとずっと知りたかった。知りたかったけれど、どうやったら、どこにいったらその方法がわかるのかが、ずっとわからなかった。
本当に書くしかないということは、自分でもわかっていた。わかってはいたけれど、なぜか実際に書くとなると怖くて立ちすくんでいた。怖くて怖くて立ちすくんでいた。何が怖かったのだろう? 自分でもよくわからない。世間の人にどう思われるかが怖かったというのもある。でも、そんな単純な物語ではない。そうではなくて、そう、私は自分自身の中にある大蛇を見たくなかったのだ。自分の心の中に、実は、暴れまわりのた打ち回っている大蛇がいるなんて、認めたくなかったのだ。そして、その大蛇を解き放ったら、自分がどうなってしまうのかを見たくなかったのだ。心の中でうごめく何か、その何かの正体を知ってしまうと、きっと自分でも愕然とすると思ったから。きっと自分自身が耐えられないと思っていたから。
私はずっと今まで自分が書かなかったのは世間の目が怖いからだと思っていた。でも、この文を下記ながら私は気が付いてしまった。本当はそうではない。私は自分自身の中にある矛盾や混乱や不安を本当の意味で見つめたくなかったのだ。一見平穏な日常の奥底に潜んでいる心の底の奥まで私は自分で自分を見つめる勇気がなかったのだ。
だとしたら、今ここ天狼院のライティングゼミにきているということは、どういうことなのだろう? 何回かだけど、何とか文章を書いてしかも天狼院のサイトに載せてもらったということは、私は自分自身を見つめる勇気がでてきたということなのだろうか? いやそういう単純な問題ではない。今でも私は怖い。今でも私は自分の中にある矛盾を見つめるのがとんでもなく怖い。自分自身の心の奥底に潜んでいる何かを自分で全てコントロールしきていている自信なんて全くない。
だけど、怖いのにここにきているのはなぜだろう? 大切な日曜の夜にわざわざ天狼院にきて15分で書くという荒武者修業をしているのはなぜなのだろう? それは怖いけれど、書くこと自体の楽しさ、気持ちよさを知ってしまったから。あの一本書き終わった後の何とも言えない爽快感を知ってしまったから。そして、友達から面白かったとコメントを貰う楽しさや、全く知らない人にまで自分の書いたものを読んでもらえる喜びを知ってしまったから。
きっと私はこれからもこのライティングゼミに通うだろう。そして、自分なりのペースだけれど、書き続けるだろう。日曜の夜、ゼミのワークショップでこの文章を書いた15分でカタルシスがまた一つ浄化するのを感じながら、私はゆっくりと静かにペンを置いた。
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