社会人1年目で捨てた夢を叶えた、女の子の言葉
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記事:香月祐美(ライティング・ゼミ2月コース)
「先生、この子ね、塾に来るために毎日学校で頑張ってるんだってー!」
面白くない? と言いながら、女子中学生が話しかけてきた。
隣に座る女の子が学校で言っていたらしく、その子を見ると、なんでバラしたのと言いたげに恥ずかしそうにしている。
正直、仕事終わりに行きつけの居酒屋に寄る、みたいなことを言うな、と思った。
「え? 塾に来るために学校頑張ってきたって……なんかさ、この一杯のために仕事頑張ってきたって言う大人みたいじゃない?」
まぁ、大人の気持ちなんてまだ分からないよねぇと付け加えながら、そんな言葉が口をついていた。
同時に、中学生の思わぬ一言が、私の脳裏に走馬灯を見せた。
走馬灯なんて、漫画の中で命の危機に瀕した主人公が見るものだと思っていたのに。
しかも、死にかけていたのは、今の私ではなく走馬灯の中の昔の自分だった。
子供のころ、週末は家族で居酒屋だった。
「居酒屋行くばい」
親が言うのを、心の中でいつも楽しみにしていた。
普段、家族で食事をしても、テレビに夢中だった。
でも居酒屋では、テーブルを囲み、父はこの日のために仕事を頑張ったと言いながら、いつもよりちょっと良いお酒を飲んで、私は目の前に並ぶご馳走を食べ、会話した。
たまに母も父と一緒に飲みながら、他愛もない話をする時間は暖かかった。
居酒屋は、家族が楽しい過ごせる特別な場所だった。
大人になった私は、外食産業に就職した。
子供のころ好きだったあの場所を、あの空間を、私も誰かのために作ってみたかったから。
店長になるんだ、そう思って入社した。
でも、思わぬ理由で夢は破れた。
入社直前の春休みにヘルニアになり、入社後いきなり入院することになったのだ。
同じ理由で入院していた人よりも、明らかに軽い症状だったから、早く退院したくて仕方なかった私は、入院中、知る由もなかった。
病院では安静にしていたから症状が軽かっただけで、退院した後に地獄を見るなんて。
退院し、よし頑張ろうと意気込んだが、心配した上司が私の入院中、本社への異動の手続きをしていた。
ヘルニアで外食の立ち仕事は辛いだろう、という判断だった。
九州から東京に、外食の現場から本社に。
それだけ見れば、栄転だった。
でも私にとっては、子供のころ大好きだったあの空間を作る夢が、遠のいたことを意味していた。
またお店に戻ればいいと思っていたけど、そうはいかなかった。
喉元過ぎれば暑さを忘れると言うけれど、20年近く経ってもまだ覚えている。
ヘルニアは治ったわけではなかったので、たびたび痛みが私を苦しめた。
座れない、立ってもいられない。
痛みが強い日は、リハビリに向かう電車の中すら地獄で、地獄を見るたびに、突きつけられるようだった。
お前に夢を叶えるのは無理だと。
社会人1年目にして描いていた夢は諦めざるをえず、その後も外食の現場に戻る機会はないまま、転職した。
塾講師になって10年目。
気づけば、社会人1年目の夢なんて、すぐに思い出せないくらい時間が過ぎた。
中学生が、仕事終わりに居酒屋で一杯やるときに言うようなことを言わなければ、今後も思い出しもしなかっただろう。
そうだ、そういえば。
「塾に来るために学校頑張るなんて、この子、面白いでしょ?」と、教えてくれた女子中学生のお母様が、先日の三者面談で言っていた。
「うちの子、ここの塾でよかったって、毎日のように家で言ってるんですよ」
と。
母からの突然のカミングアウトに、慌てていたっけ。
塾が楽しいって、どういうこと?
だって、朝から学校で勉強して、さらに夕方から塾でも勉強したら、家に帰るのは夜9時近くになる。
そうすると丸一日、勉強することになる。
夕方塾に来なければ、家で好きなテレビを見たりしながら、ゆっくりできるだろう。
じゃあ、勉強が好きなのかと言えば、多分その子たちは「大好き」とは言わないと思う。
実際「数学嫌い」とか言っているのを耳にする。
中学生たちに聞いた。
「塾に来るために学校頑張るって……塾が好きなの?」
「だって、ここは安全地帯なんだもん」
「先生がいて、みんながいて、なんかその空気が好き」
それぞれの言葉を聞きながら、不思議な答えだと思った。
勉強は好きとは言えないけど、塾は好きってどういうことだろう、と。
あ、そうか。
この子たちにとって、塾は勉強する「だけ」の場所じゃないってことか。
「勉強は好きじゃないけど、ここでなら頑張れる」という居場所になっていたんだ。
そう気づいたとたん、叶える機会が無いまま忘れていた、社会人1年目の夢が重なった。
子供のころ大好きだった、家族と過ごした楽しい居酒屋の思い出。
誰かとって安らげる空間を、私も作りたいと思っていたけど、居酒屋という場所でなくてもよかったんだ。
叶わないと捨てた夢は、もう、とっくに叶っていた。
女の子たちの言葉が気づかせてくれた。
仕事中にもかかわらず、思わず涙が出そうになった。
いかんいかん。
仕事中にいきなり先生が泣き出したら、子供たちがビックリする。
暖かくなった心の中でそっと「ありがとう」を伝え、明るい声で言った。
「じゃあ、英単語テストしようか」
「えー!!」
予想通り非難の声が上がったけど、だって塾好きでしょ? と冗談っぽく言いながら、プリントを配り始めた。
***
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