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カメと道化 ―PTA役員勧誘事件―


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記事:平井 理心(ライティング・ゼミ4月コース)
 
 
ある朝、私はカメと目が合いました。
いつもの通勤路でのことでした。1時間半後に始まる仕事のことを考え、俯き加減で歩く私が、何気なく顔をあげた2、3メートル先に、カメがいました。そのゆっくりとした動作は、通勤を急ぐ路には似つかわしくありませんでした。その違和感に、私は思わず自分の歩みを止めました。
 
甲羅の長径だけでも30㎝はあったでしょうか。大きなカメでした。カメは、その首を目一杯に、にゅにゅにゅっと伸ばし、ゆったりとその頭を左右に振るのです。その様子が、とても愛くるしく私の心には写りました。心の中だけに収めておくのはもったいないと感じた私は、そのカメを写真にも収めたい衝動に駆られました。そこで、右肩に掛けていた鞄から、ごそごそと、スマホを拾い上げました。その間、カメはまだ頭を上げて、その首筋の鮮やかな黄や赤の模様を披露してくれていました。
 
しかし、スマホを向けながら、私が一歩踏み出した瞬間、カメは私の想定外の動きをしました。瞬時に首を引っ込め、くるりと体を180度翻し、シャシャシャシャーと走ったのです。走る? カメが走る? でも、速かったのです。目を疑うほど。私が小走りしないと追いつけない速さでした。
 
「カメ、速っ!」と、言いながらも、何とか2枚収めることができました。けれど、首筋の模様を伴った愛くるしい姿は撮れませんでした。そして、私がスマホから顔を上げたときには、カメは姿を消していたのでした。まさに、私は昔話『ウサギとカメ』のウサギでした。「カメは遅い」という思い込みで、油断してしまい、苦笑する結果となったのです。
 
後で知ったのですが、カメは速く走れるのを意地悪で隠しているのではなく、できる限りのんびりと道化のように暮らして、代謝活動を抑える生活をしているそうです。そんな中で、ウサギが急にやってきたので、慌ててしまっただけなんでしょうね。友人に道化を見透かされて大慌てになった、太宰治『人間失格』に登場する大場葉蔵さんのように。
 
よくよく思い返すと、私もカメになった経験が多々ありました。中でもいちばん印象的なのが、「PTA役員勧誘事件」です。それは、私の息子と娘が小学生の頃でした。「PTA役員希望調査票」というものを、子どもたちが持ち帰ってきました。そのころは、離婚して間もなく、正社員としては雇用されていなかったので、生活も苦しい時期でした。PTA役員活動が平日日中であれば、仕事を休まなければなりません。収入が減ります。また、休日・夜間の活動であれば、子どもとの時間を割かなければなりません。仕事以外のときは、できるだけ子どもたちと一緒の時間を作りたいと思っていました。親の勝手で、父親を失わせてしまった我が子への、わずかながらの罪滅ぼしの気持ちでした。ですので、PTA役員は丁重にお断りをしたのです。「お恥ずかしながら、余裕のない家庭環境です。今は無理です。ご配慮願います」と。
 
そのような思いは届かず、現役の役員さんから毎日のように電話をいただきました。「お子さん2人もいるんですから、何か役員をやっていただかないと。みなさんやっているのですから」と、何度も言われました。やれるものならやりたい。でも、今、私が優先すべきなのは、自分の生活と子どもたちのことだと、心を固めておりました。私がPTAの役員さんたちに何と言われようが構わない。だって、役員さんが、私にお給料の補填をしてくれるわけではないですもの。子どもの心を癒してくれるわけではないですもの。今は出来ないけれど、余裕ができたら、役員をやらせていただこうと、そういう気持ちで私は何度もカメになったのでした。
 
あるとき、いつもとは違う方から電話がきました。その方は開口一番、「〇〇小学校のXXです。私ね、心理学の勉強をしているの。平井さんは、孤独なのよ。それで意固地になっているのよ。あなたみたいな人は、PTA活動をしてママ友をたくさん作った方がいいのよ」と、一気に話されました。その時の私には、心理学を盾にしたウサギさんの強い言動のように聞こえてしまいました。私の事情をどこまでご存知なのかわかりませんが、なんと答えていいのか悩みました。そこで本当は言いたくはなかったのですが、思い切って言いました。「あのぉ、私、臨床心理士なんです」と。相手は何も言わず電話をお切りになりました。それ以降、PTA役員の勧誘は1度もありませんでした。
 
お電話をしていただいた方は、私がシングルマザーということで、いろんな思い込みをされていたんだなと思います。このときの私はのろまなカメとして映っていたのかもしれません。
こういうことは、誰にでもあり得ることではないでしょうか。
 
私は臨床心理士という職業柄、多くの方々の心の内をおきかせいただいております。そこで、カメという道化を演じざるを得ない方々が多いことは感じております。例えば、ご両親の不仲を案じたお子さんが、自分が不登校になることで両親の対話を促そうとしてみたり、妻の不倫に苦しむ夫が、酒と女に溺れるふりをして妻の気を自分にむけようと試みたり。傍からは理解不能や滑稽に見えるかもしれませんが、皆、あがきながら、必死で、生きています。
 
人によって様々ではありますが、その時の生きやすさや真の要求を手に入れる為に、自らの力や本心を隠し、道化を纏うことがあります。人は本当に複雑で厄介ですよね。「だからいいんじゃあないか」※と、思うとともに、その目一杯の姿が愛くるしく私の心に映るのでした。
 
※引用:『文豪ストレイドッグス』11巻、朝霧カフカ原作、春河35漫画、角川書店

 
 
 
 
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