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「好き」なんて言葉、いっそ知らずに生まれてくればよかった


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:長谷川 賀子(ライティング・ゼミ)

「好き」、「スキ」、「すき」。

たった二文字、たった二文字なのに、この言葉を知っているせいで、
わたしは、哀しくて、苦しくて、たまらなくなる。
ふたつの音が、心の中で響くたびに、
知りたくなかった、どろどろした感情が、心の淵から溢れてくる。

どうして、わたしはこんな言葉を知って生まれてきてしまったんだろう。
なんで、物心のつく前に、誰かが私に、教えてしまったりしたんだろう。

「好き」なんて言葉、いっそ知らずにいられたら、
きっと、強く生きられた。
もっと優しく、いられたんだ。

でも、どんなにそう思っても、私は、この「好き」という二文字を背負いながら、生きていかなきゃいけない。

ううん、私だけじゃない。人はきっと、みんな、この言葉に取りつかれながら、狂ってしまいそうになりながら、生きていかなきゃならないんだ。

「好き」という言葉を聞く度に、
「好き」という言葉が心の中に、浮かぶたびに、
わたしはそんなふうに苦しくなった。

苦しくなるということを、
知ってしまった。

ちょっと昔に、わかってしまった。

あるひとと、出会ってから。

そう、あるひと。

ちょっと昔の、
わたしの、とっても、好きな、ひと。

好きな人、といっても、年上の人だったから、尊敬と憧れがまじったような、そんな気持ちだったのかもれない。

初めてのバーのカウンターで、ぎこちなく選んだカクテルみたいに、
嬉しくて、どこかちょっぴり恥ずかしい、
そんな気持ちだった。

好きなひと。
話をするそのひとは、どこか手品師みたいだった。

そのひとの口から語られることは、どんなことでも楽しそうに聞こえた。わたしの嫌いなものまで、その唇から流れてくる音にのって、どこか魅力的なもののように、姿を変えた。

優しいそのひとは、相手が嫌いとわかっているものは、押し付けたりなんかしない。
けど、
手品師が、布で隠して、観客をどきどきさせるみたいに、
そのひとの言葉と感覚の隙間から、消えては現れ、
気になって、仕方ない。

だから、わたしは、嫌いとわかっているものに、うっかり手を伸ばしてしまいそうになる。
眠れる森の美女が、糸車の針に、指を伸ばしてしまうように、
無意識のうちに、触れてしまいそうになる。

わかっているのに、そのひとのつくる幻想に、騙されてみたくなる。

いつも騙されそうになりながら、いっそ騙してほしいと思いながら、そのひとを見ていた。

世界を覗くわたしの瞳は、磁石がはたらくみたいに、そのひとのところに吸い寄せられて、
わたしの瞳の焦点は、無意識に、そのひとに、合っていた。

そのひとを見つける、
その瞬間、

目の前は、一瞬で、煌めいて、
流れ星を見つけたみたいに、心の奥が、キュンとなる。

そのまま、わたしが、見ていると、
そのひとが持ってる、光の粒が、きらきらしながら、踊り出す。

鋭い思考と優しい心が、万華鏡みたいに、煌めく世界をつくっていく。
知性とユーモアが、織りなす模様に、彩りと輝きを与えていた。

小さい子が初めて万華鏡をのぞくときの、手つきみたい。
嬉しそうに、軽やかに、中の宝石が踊り出す。周りの明かりを取り込みながら、楽しげに、形を、模様を、変えていく。

次は、お花模様になるのかな。

そんな風に、私の瞳が覗いていても、

そんな予想は、一瞬にして、裏切られてしまう。

瞬きをした瞬間、

きれいな雪の結晶が、淡い光の中で、舞っていた。

子どもみたいな楽しい世界は、
一瞬で、
冷たくて、美しい世界にかわっていく。

おもちゃだと思っていた万華鏡は、
アンティークの芸術品に、変わっていた。

そのひとの中には、楽しいおもちゃの世界と、静かな大人の世界が、一緒に暮らしていた。

そんな素敵な世界が、そのひとの中に、詰まっていた。

わたしは、そのひとの世界が、
好きで、好きで、たまらなかった。

わたしも、そのひとの世界に、
行ってみたくて、仕方なかった。

もっと、近くに行きたくて、

できることなら、そのひとの、光の一粒、一粒に、
優しく触れて、みたくて、

そのひとの優しい世界の中に、わたしを包んで、欲しかった。

「好き」が、心に入りきらずに、体にまで溢れてくる。

だけど、そのたびに、

わたしの瞳が、その人をとらえて、
万華鏡を覗く、
そのたびに、

気づくんだ。

筒の通路は、真っ暗で、
光の粒は、ガラスの中。
わたしは覗く側にいる。

そのことを、思い出すんだ。

一緒に話したあの時に、嫌でもわかってしまった、そのこと。

そのひとが、私に笑ってくれる。
楽しそうに、話してくれる。

でも、

わたしの胸のメトロノームは、どんどんテンポをあげていくのに、
そのひとのト長調の声とは、重ならない。
どこかぎこちなく、ふたりのリズムは、ずれていた。

なんでだろう。

けど、「ト長調なら、このテンポがいい」なんて、
お願いする勇気もなくって、

リズムの合ってるふりをして、
わたしの胸のメトロノームが、ずれているのがばれないように、

ト長調の声を、

聴いていた、

時、

そのひとの笑顔の向こうに、知らない女の人の笑顔が、見えた気がした。

そして、次は、はっきりと、もうひとつの素敵な笑顔が見えていた。

わたしが、知らない笑顔を見るたびに、そのひとの優しい笑顔が戻ってくる。

ああ、そっか。

わたしは、今も、これからも、

ずっと、

あの模様をもっと近くで見ることも、大好きな光の粒に触れることもできないんだ。

そのひとの世界を照らすこともできないし、真っ暗にすることもできないんだ。

ふたりで座るこの距離は、こんなにも近いのに、
そのひとがいる場所は、ものすごく遠いところのように感じた。

そのひとの居場所はわかるのに、真っ暗で、道が、消えちゃった。

もし暗闇の中を、手探りで歩いても、
光のところにたどりつけても、

光はガラスの中にあって、
わたしは絵画を眺めるように、そこに立ち尽くすことしか、できないんだ。

目の前にいる、そのひとの、明るい笑顔を見つめながら、
わたしの心に溢れた「好き」に、
「切なさ」が静かに溶け込んでいく。

ト長調の声に、幸せなんだと騙されながら、
色褪せてしまいそうな「好き」をそっと隠しながら、
そのひとのリズムに合わせていた。

「切なさ」の溶け込んだ「好き」な気持ちは、
消毒液みたいに、
心に沁みて、痛かった。

そうやって、この日、
万華鏡を覗くことが、こんなにも、切ないんだって、
わたしはずっと、覗く側にいるんだって、
はっきり、わかった。

でも、

わたしの瞳は、無意識に、そのひとを追って、

夜の部屋で、瞼を閉じると、あの、光が、蘇る。

好きになっても、寂しいだけ。
そう思うたびに、「好き」が心の淵から溢れてきて。

そのひとが幸せなほうが、そのほうがいい。
そう言って笑うたびに、心のどこかが、泣いていた。

遠くに回る、万華鏡は、わたしから冷静さを奪っていく。

そのひとの知らないところで、

独りで、あなたを好きになって。

好きになったら駄目なんだ。そう心の中でつぶやきながら、本当はとっても哀しくって。

それから、自分が嫌いになる。

気持ちをコントロールしているはずなのに、
うわべで取り繕っているだけだった。

遠くで見ているだけで幸せだって、思っていたのに、
自分の中の、知りたくなかった欲を、見てしまう。

あの知らない笑顔に「ごめんなさい」って思うと、
自分の心が苦しくなって。

なのに、そのひとの姿を見つけると、「好き」が溢れて、仕方ない。

ああ、どうして、好きになってしまったんだろう。

好きにならなかったら、こんなに苦しくならないのに。

こんな自分も、知らずに、生きて、いけたのに。

「好き」という言葉が、棘みたいに痛くって、鉛みたいに重たい。

「好き」なんて言葉を背負わずに、生きていけたら、どんなに楽なんだろう。

どんなに、優しい気持ちで、過ごせるだろう。

ああ、いっそ、「好き」なんて言葉、知らずに生まれてくればよかった。

知らずに、生まれて、く、れば……、
よかった、ん、だ。

そう、

よかっ……た?

あれ、違う。

そんなんじゃない。

そんなんじゃないんだ。

自分の心でつぶやいた声に、びっくりして、我に返った。

真っ暗な渦に巻き込まれそうになる前に、
わたしは、自分の部屋に戻ってきた。

よかった。

目をぱちぱちして、気持ちを落ち着かせようと、していたら、
枕もとの携帯電話に、友達の撮った満月が、映っていた。

ああ、そうか、今日は中秋の名月だった。

月の写真を見ていたら、あの日の淡い思い出が、優しく蘇ってきた。

あの日は、秋じゃなくって、春だった。
一年前の、春の夜の帰り道。

ほとんど初めましての数人と、わたしは一緒に歩いていた。

緊張していたわたしの横を、そのひとは並んで歩いてくれた。
そのひとの引く自転車を挟んで、おしゃべりをしてくれた。

嬉しかった。

固まっていたわたしの空気を、そのひとは、一瞬で、溶かしてくれた。

ただ、ありがとうの気持ちでいっぱいで、そのひとの横顔を覗いてみたら、

そのひとは、そっと、立ち止まって、

何の含みもなく、「月がきれいやなあ」と、言った。

そのひとの口から零れる音の玉が、月に向かって流れていく。
隣に並んだわたしには、触れることなく、まっすぐ、月の光に、吸い込まれていく。

そのひとの言葉は、どこまでも精緻に、見上げた空を描いていた。

わたしはそのことをわかっていたけど、心のどこかでときめいてしまった。

そして、むしろ、からっとした口調で、しっとりした言葉が紡ぎ出されることに、耳と心がうっとりしていた。

そして、これが、
わたしの、恋の、プロローグ、だった。

誰にも、秘密に、しておこう。
そう思ってはじまった、心の中の、物語。

その、物語の、序章の、部分。

あの春の夜の、数分が、私のところに蘇ってきたら、

なんだか、くすっと、笑ってしまった。

だって、物語の本編が、そのプロローグに、ぴったりだったから。

そのひとと見た、月みたいに、
美しくて、哀しくて、

夜空の深い藍色に、滲んだ月光のように、曖昧で。

あの日の淡い光が、私の心と時間を支配して、

物語を刻んでいったみたいだった。

そんな風に、思ったら、
なんだかとっても嬉しくなった。

とっても特別なお話が、わたしの生きていく時間の中に刻まれた。
そんな気がして、心地よかった。

初めて知った自分の弱さも、嫌いになった自分の気持ちも、
今ならちゃんと、受け止められる。

嬉しかったそのひとの笑顔も、切なかったあの時も、
一瞬、一瞬が、宝物。

そして、
わたしが見てきたものも、感じたものも、
そのひとのことが、好きで、好きで、たまらなかったことも、
全部、
幻想なんかじゃない、
ちゃんと、そこに、存在していた。
ちゃんと確かに、わたしの中に流れていた、時間だった。

嬉しかった。

嬉しくて、嬉しくて、仕方ない。

気が付いたら、一瞬一瞬が光の粒に変わって、
わたしの心の中で、踊っていた。

ああ、わたし、「好き」って言葉を、知っててよかった。

あんなにも素敵なあなたに出会えて、あなたのことを好きになって、本当によかった。

なにより、
今、
「好き」が持ってる本当の意味を、知れてよかった。

優しい気持ちに包まれながら、
わたしは、心の中で、ペンをとった。

そろそろ、物語を、終わらせなくちゃ。

あの日の月に、
あの日、自分でつくったプロローグに、
邪魔をされてしまう前に、

そして、万華鏡みたいな時間たちが、色褪せてしまう、その前に、

エピローグは、
今、ここにいる自分が、書かなくちゃ。

時計の針が、時間を、刻んで、いくように、
ペンを動かし、言葉を綴る。

物語が、ちゃんと優しく終わるように。
寂しい夜は、優しい月が、そのひとを、ちゃんと守ってくれるように。
そして、わたしが、未来に出会う好きな人に、
ちゃんと、言葉を、贈れるように。

わたしは、最後の文字の下に、優しく小さなまるを、書いた。
ペンをおいて、本を閉じる。

心の中で、そっと月を見上げたら、
心の本に刻まれた、二年分の文字のすべてが、月に向かって昇っていった。

心が、穏やかになっていく。

最後の文字を見送って、

まだ見えない太陽に、そっと、わたしの瞳を向けた。

月の光が、背中を、そっと、押してくれた。

***
この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、店主三浦のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。

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2016-11-17 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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