大学を出ておらずアルバイトをすぐクビになるので、生きるために起業した話《リーディング・ハイ》
記事:貫洞沙織(リーディング&ライティング講座)
夜間短大卒のわたしは、学歴の話が苦手だ。
「娘が私と同じ大学へ進むことになって」
「へえ、どちらの大学?」
「〇〇大学なの(照れ笑い)」
「ええ、すごいじゃない! うちの妹もそこなのよ」
「あら、そうだったの?」
「ええ、わたしはN県に残ってN大学(県の名前がついた大学)」
県の名前が付いた大学は頭が良いって、知ってた?
茨城大学とか、長野大学とかそういう感じの大学。
わたしは三十になるまでそんなこと知らなかったよ。誰も教えてくれなかった。わたしのまわりには大卒なんてひとりもいなかったからね。
わたしは学歴なんて意味ない、実力主義だと虚勢を張りながらも、ひとり家に帰り無学を恥じて泣く寂しい二十代を過ごした。大学に行った人の努力を見ようともせず、ただ自分が学歴を「持っていない」ことにばかり執着し、何もかも無学のせいにしてきた。
まともな会社に受からないのも、安月給なのも、仲間外れになるのも全部学歴がないからだ。こんな安月給じゃ、実家暮らしするか水商売と組み合わせるかしななきゃ生きていかれないじゃないか。実家と仲が悪くて大学を出ていない女に人権は無いのかこの国。大学出てないとわかると軽んじてくる人ばかり。
あれだろ? ワセダを卒業したって嘘ついたらみんなコロッと態度変わるんだろ? お前らの価値観なんてそんなもんなんだよ。大切なものを見ようともしない馬鹿どもめ。
……いちばんの馬鹿は謙虚になれない自分なのに。
二十代のわたしはいつも周りを馬鹿にしながら、どんどん人に嫌われていった。「嫌われる勇気」という本がよく売れているが、わたしは「嫌われる方法」という本が書けるレベルで嫌われていた。当時のわたしは全人類から嫌われていた自信がある。軽んじられ、疎まれ、距離を置かれ、バイトをクビになった。
それでも生き続けているうちに、学力とは別の、胆力というのだろうか。ある種の大胆さが世にウケるということがわかった。破天荒で大胆な選択をする人には、人が集まってくるのだ。
さまざまなタイミングがすべて噛み合ったとき、わたしは起業に踏み切った。携帯ショップでの販売員を派遣する仕事を中心に、仕事を請けている。
情を一切はさまずに売り上げや利益を考えられる性格と、人と一定の距離を取るスタンスが功を奏し、会社は八年続いている。
綺麗事は一切言わない。人に無理をさせない。自分は多少の無理をする。「素の自分で淡々と働いている」だけである。情けない話だが、人前で挨拶一つできない。あがり症が治らないのだ。
これからどうなるかなんてわからないが、いつクビになるかわからないアルバイトよりはずっと安心して働ける。だから続けようと思う。
起業してみると、ある価値観に気づいた。人は特殊な職業の人間に対し「逆転の発想」でものを考えるということだ。
ふつうに生活しているぶんには、学歴は高いほどすごいという考え方なのだが、たとえば画家や小説家、また社長という特異な職業においても「中卒で社長です!」みたいな「逆転の発想」になるのだ。中卒で芥川賞、などもなぜかハクがついたようになる。おかしな話だが「ピンチはチャンス」とか「ギャップ萌え」みたいなものだろう。(異論は認める)
わたしは夜間短大卒業だ。一般的な「大卒」ではないため、無学無教養にカテゴライズされる。
よい大学を出ることは普通に素晴らしい。受験勉強を頑張って、若いころから努力のできる人間だったのだ。専門分野があるならそれも素晴らしい。そして、早い時期から社会に出て職業経験を積んだ人も、同様に素晴らしい。大事なのは履歴書ではなく、その人がどう生きてきたかだ。
自社の面接をするとき、わたしは履歴書を持って来いと言わない。言わなくてもみんな持ってくるので言う必要がないのと、なくても別に構わないからだ。
今までどう生きてきて、今後どう生きたいのか。
うちの会社でいくら稼ぎたいのか。仕事は夢ではなく現実の目標をクリアする作業であるが、その作業をどの程度好きか。それが面接の最重要項目だ。
起業して本を読む余裕もなく日々の仕事に追われまくっているとき、林真理子の「下流の宴」を読んだ。移動中に読もうと思って軽く手に取ったのだ。
この本には、学歴コンプレックスを刺激するエピソードがアホほど詰まっている。そして、学歴偏重の人も学歴コンプレックスのある人も、今の自分がどういうものの見方をしているものか、よいリトマス紙になる、そんな本だ。
わたしは生きていくために、自分で起業した会社を必死で続けている。この会社がある限り、クビになる心配をしなくて済むからだ。長時間労働はよくないと言われているが、長時間働きたい気分の日もある。だから従業員という働き方がわたしにはできない。
今になって思う。
わたしはよい大学を出ていたとしても、人生こじらせていたのではないかと。その場合は学歴ではなく容姿のコンプレックスなどにすり替えて、結局自分を責めて、痛みを伴う生き方を選んだのではないか。そうすることで、現状に満足していない自分を後ろ向きに正当化してあげられるから。
何かコンプレックスのある人は、それが本当にコンプレックスであるのか、一度真剣に考えてほしい。満足のいく容姿でない、周りより出世が遅い、友達が少ない。それって本当に、コンプレックスを感じるほど重要なことだろうか? 人生の主軸にコンプレックスを持ってくると一時的に楽になるが、逃げずに淡々と本当にやりたいことを積み上げるほうがよほど生産的だ。
はっきり言おう。気に病んでいる時間はムダだ。さっさと今ある手持ちの武器で戦い始めろ。動け。下を向くな。横を見るな。昨日の自分を超えろ。好きなことがあるならどんな形でもいいから続けろ。そうすれば下流の自分を脱することができる。
しかし、下流にいると認識しているときの「宴」。
あのときの酒の味は、この世のものと思えぬほど甘露だった。あの味を覚えてしまったら、下流から抜け出したくなくなるものだ。あの記憶があるから、わたしは自分が堕落していくことも実は怖くないのである。
………
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